失敗のススメ

moriyasu11232010-01-16

13日(水)、職場の上司と朝日新聞忠鉢信一氏といういつものメンバーに、マラソン日本記録保持者の高岡寿成氏スペシャルゲストに招いて一献。

難しかったのはトラックとロードでは違うので、マラソンの走り方が必要だったことです。それでもマラソンに向けてトレーニングをしているときも、スピードを殺さないようにしていました。スタミナが必要だからと50km走とかしていません。40kmの中でスピード感、リズムを大事にしてやってきました。後輩には、僕のやってきたことは決して難しいことではない、と伝えたいですね。多くの人に可能性があると思います。マラソンを好きになって、世界に挑戦する気持ちを強く持って取り組めば、チャンスはあると。
2009年3月22日 寺田的陸上競技Web「引退する弘山と高岡のレース後会見」より抜粋)

上記コメントの「行間」を補足する、大変マニアックな議論が展開される。
「無気と有気」「技術と体力」「スピードと持久力」「(トレーニング)強度と量」といった二元論の超克を目指す身としては、まさに垂涎もののやりとりであった。
高岡氏は、日々の走行距離を積算するのは、あくまでも次の計画の目安にするのが目的であり、あらかじめ走行距離を目標とすることはなかったという。
これは、マクロなトレーニング過程における「ペース戦略」と言っても差し支えないだろう。

「ペース戦略」とは、時々刻々の疲労情報から未来(ゴール)を予測し、その予測情報をもとに時々刻々の努力感を調節する「制御システム」のことを指す。
このシステムの「安定」は、すなわちパフォーマンスの「安定」を意味するが、パフォーマンスを「向上」させるためには、当然システムの「再構築」が必要となる。そのためには、苦しさや疲労の度合いといった主観的な情報と走スピードとの関係によってつくられた脳の「プログラム」を書き換えなければならない。
ラップタイムは、設定タイム通りにトレーニングをこなすためによむものではない。
予め練った戦略や出力調整(主観)と実際のペース(客観)との「ズレ」が何に起因するのか…そのことを、すでに終わっている自分の走りに遡って検証するためによまれるべきものなのである。
すぐに「答え」を知りたがってはいけない。
(2009年3月27日 拙稿「日本陸連中距離合宿」より抜粋)

このあたりの詳細については、3月に開かれる「第22回ランニング学会大会」の特別講演にて拝聴できる予定なので、ぜひ足をお運びいただきたい(小生も前座を務めさせて頂く予定…)。
酒宴も終盤を迎えたあたりで、マラソン中の水分補給の話になる。
高岡氏は、レース中にほとんど水分補給をしなかったそうである。
「本当は摂った方がよかったのかもしれないが、給水所での様々なリスク(摂れなかったときの心理的ダメージや転倒、靴脱げなど)や、摂ったあとの内蔵の違和感などなど…とを天秤にかけて最終的に摂らないと判断」されたとのこと。
水分補給の是非については、科学的にも議論の分かれるところであるが、恐らく今後もクリアカットな結論が出ることはないであろう。
なぜならこの問題は、気象条件、走行距離(時間)やペース配分、そして選手個人の生理的特性や主観的感覚など、様々な要因の総合評価による多様な解が導き出されるからである。
極端に言えば、ひとりの選手のなかでも、摂った方がいいときと摂らなかったほうがいいときがあったりするはずなのである。
畢竟、やってみた結果の積み重ねで判断するよりほかない。
現在、すでに賞味期限を2ヶ月経過した野菜ジュースを昼食にしている身としては、激しく首肯できる内容である(一緒にしてすみません)。
スポーツの現場では、「理論」とは辻褄が合わないが、「実践(感覚)」とは合うということがよく起こる。
この「理論」と「実践」のあいだを架橋するのは「身体」である。

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗と成長ないし発展の関係は、生物学で説明される原理である個体発生と系統発生の仕組みに似ています。人間の子どもは、母親の胎内で細胞分裂を繰り返し、魚類、両生類、他の哺乳類と同じ状態をプロセスとして通過しながら、最後に、ようやく人間の形にたどり着いて生まれてきます。(…)
この中の魚類、両生類、他の哺乳類に該当する部分は、失敗から生まれる知識に置き換えて考えることができます。つまりは、人類がその長い歴史の中で過去に経験したものでも、一個人が成長する上では、同じプロセスを必ず通過しなければならない「失敗体験」というものがあるという意味です。
(by畑村洋太郎氏)

そういえば、「失敗」の重要性を指摘していたアスリートがいたな…

もし全幅の信頼を置ける、自分の選択よりも常に正しい選択をする人間が指示をしてくれていたら、これは正しい失敗の機会を奪ってしまうことになります。痛い目をみない失敗は、そのほとんどが忘れ去られてしまいます。あまりにこの期間が長くなってしまうと、様々な失敗を、自分が対応できた類と考えず、チームのコーチの、ゆくゆくは組織の問題だという領域に持ち込みがちです。なぜなら自分で選択している感覚が薄れるからです。
(2008年12月9日 為末大オフィシャルサイト「コーチング論」より抜粋)

また、水分補給からの流れで、「最近は、コーチの言うことはよく聞くが、自分で判断できる選手が少ない」というご指摘もあった。
これは、巷の若者論などでもよく指摘されるところであるが、失敗を許容しない、あるいは必要以上に失敗を避けようとする我が国の風土、教育、あるいはシステムの問題によるところも少なからずあると考えられるだろう。
「赤子」は最初から「子ども」ではなく、「子ども」は最初から「大人」ではない(by読み人知らず)。

問題を防ぐ手立ては、作業者にシステム全体を理解させる全体教育を施すのが一番です。とはいえ、不可抗力で生じる失敗でも、まわりへの影響が大きいようなら、「いまあるものは絶対に変えない、いじらない」の考えで、「封印技術」の発想を持ち込むのも効果的です。
封印技術とは、文字通り技術を誰も触れないように封印するものです。システム全体を知らない者による改悪事故に結びつきやすい原子力発電の現場などでは、(…)施設全体の基本設計やシステムの変更は一切行わず、文字通り封印しています。
封印技術は、無制限にこれを導入すると、二度と誰も触れることができないアンタッチャブルの世界になりかねないという一面も持っています。実際には、技術の寿命は無限ではないので、実用化には時限の発想を持って考える必要があります。
(前掲書より抜粋)

「創造」の第一歩は「破壊」である(byピカソふたたび)。
一度成功した人間は「そのやり方」に固執したがるが、優れた選手やコーチは「そのやり方」に固執してはならないということ、すなわち「変化の仕方自体を変化させる」ことが重要であることに気付く。
「変化の仕方自体を変化させる」ことは、自身の身体システムの「構築」と「解体」という矛盾に引き裂かれながら鍛錬(再構築)し続けることに他ならない。
そして、そのように錬磨された「身体知」でなければ、たとえ科学的で高級そうに見えるエビデンスであったとしても、ほとんど使い物にはならないのである。

すべての技術は、萌芽期、発展期、成熟期、衰退期を通ります。(…)ある技術が発展期に入ってから衰退期に移行するまでの期間は、一般的にはおよそ三十年程度といわれています。(…)
この法則は、「技術」を「組織」に置き換えてもそのまま当てはまります。つまり、企業もまた、萌芽期、発展期、成熟期を経て衰退へ向かう流れの中にあるのです。
(前掲書より抜粋)

いまだに懐古的に語られる、1980年モスクワ五輪における「幻のメダル独占」。
この前後を日本の長距離・マラソン界の「発展期」と捉えるならば、それからおよそ30年の月日が経過したことになる。
その「発展期」に、瀬古利彦氏や宗兄弟とともに日本長距離・マラソン界を牽引していた伊藤国光監督
そして、その伊藤監督の多大なる影響を受けて、日本のエースに君臨し続けてきたのが、ほかならぬ高岡氏である。

(「技術」や「組織」が成熟期を経て衰退へ向かうという)この厳しい宿命を乗り越えるためには、新しい技術、新しい組織をつくる形で古いものとの置き換えを行わなければなりません。衰退の段階までに新しい萌芽をつくり、次の文化を築かないことには、その組織の未来はないのです。
若い社員たちの使命は、大きく分ければふたつあります。ひとつは今後、封印を守り続けること、そしてもうひとつは、封印が解かれるまでに、新しい封印技術の開発をしておくことです。
(前掲書より抜粋)

冒頭の写真は、アテネ五輪代表選考会となっていた2003年福岡国際マラソン、すなわち高岡氏が国近友昭選手と諏訪利成選手の後塵を拝して五輪代表を逃したレースである。
失敗とは、『人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと、または望ましくない結果が生じること(by畑村氏)』である。
その意味で、高岡氏にとってこのマラソンは「ひとつの失敗」であったといえるだろう。
しかし、失敗には「よい失敗」と「わるい失敗」があり、『未知の事象に突き当たり、失敗することによって進歩・発展するのは「よい失敗」(by畑村氏)』なのである。
高岡氏は、これまで積み上げてきた「よい失敗」を活かして、日本の長距離・マラソン界をさらに発展させてくれるに違いない。
また飲みませう。