複数の方程式(その2)

moriyasu11232011-05-01

前回エントリーからのつづき。
記事の抜粋を再掲しつつ「スピード持久力係数」という得体の知れない概念について改めて考えてみたい。

『マラソンケニア勢のスピード+精神力+日本の持久力…1時間58分50秒可能!?』
米国生理学会は今年1月号の機関誌で「マラソンで2時間を切るのはいつ、誰が」と題する特集を組んだ。執筆者の1人、電気通信大の狩野豊准教授(生理学)は「スピード持久力係数」という概念を持ち込み、2時間以内の記録は可能と結論付けた。
「係数」は一万メートルの自己記録の何倍の時間でマラソンを走ったかを算出。一万メートルのスピードを42・195キロで保つほど値は4・2195に近付く。ゲブレシラシエの4・70に対し、日本のトップ選手10人の平均値は4・52。絶対的なスピードは違うが、距離重視の練習で持久力のある日本選手が勝る結果となった。ならば、26分17秒53の一万メートル世界記録保持者が日本のトップ選手並みにスピードを維持できればどうなるか。計算上は「1時間58分50秒」となる。
日本陸上競技連盟の科学委員会副委員長を務める榎本靖士・筑波大准教授(バイオメカニクス)も「ストライドを6センチほど伸ばせば可能」と語る。ゲブレシラシエの記録は1キロ換算で2分56秒。2時間を切るには1キロ2分50秒のタイムが必要で、それを埋めるのが6センチというわけだ。
ケニア勢の強さの理由は何か。榎本准教授は「日本とケニアの選手の間に、筋力や最大酸素摂取量など決定的な差は見つからない」と言う。ただ、ケニア選手の方が無駄なく効率的に速く走れる動きを身に着けていると指摘する。端的に言えば燃費がいいのだ。加えて、心理的な要素も見逃せない。「世界記録は決して不可能ではない」。そう語る選手のいかに多いことか。
ラソンで初めて2時間10分を切ったのは1967年。ポール・テルガト(ケニア)が03年に2時間5分を切るまで36年を要したが、2時間を切るのに同じ期間を待つ必要があると考える識者は少数派のようだ。2人の結論は一致した。「心理的な壁はもう破られている。あとは時間の問題だ」【田原和宏】
(2011年4月23日 毎日新聞(大阪夕刊)より抜粋)

例えば、マラソン世界記録保持者のゲブレセラシエ選手の「スピード持久力係数」は4.70(10000m・26:22、マラソン・2:03:59)、北京五輪金メダリストのワンジル選手が4.69(26:41、2:05:10)と、いずれも4.70前後と高い値を示している。
一方、日本歴代でみてみると、トラックのスピードをマラソンに持ち込んだとされる日本記録保持者の高岡寿成氏でも4.58(27:35、2:06:16)と先の二人より0.1以上も低く、さらに歴代2位の藤田敦史選手は4.48(28:19、2:06:51)、3位の犬伏孝行氏に至っては4.43(28:40、2:06:57)と極めて低い値となる。
ちなみに、日本歴代10傑で最も値が高かったのは(高岡寿成氏のコーチであった)伊藤国光氏の4.60(27:47、2:07:57)というのも興味深いところである。
これらの値が、世界のトップ選手(のごく一部)との比較において「マラソンに比べて10000mの記録が悪い」と評価するのか「10000mに比べてマラソンの記録が良い」とするのかは、そこにあてるモノサシの性質にもよるが、いずれにせよ日本人の生理学的特性やトレーニングの特徴を表していると考えて差し支えないだろう。
さて、件の両選手を比較してみると、川内選手は4.43(29:02、2:08:37)、尾田選手は4.63(27:53、2:08:37)となる。
これらの現在記録が、いまの二人の実力を判定するに十分な精度や妥当性を保証しているかは確かめようもないが、今の日本マラソン界における典型的な「スピード型と持久力型(というものがあるとすれば)」の二人であると言えなくもない。

400mHのパフォーマンスは、おおよそ2台目のハードルを越えるまでに立ち上がる最高速度の高さと、その速度をどれだけ長く維持できるかによって決まるという原理・原則がある(当たり前だけど…)。(…)
したがって、できるだけ努力感の少ないかたちでレース前半の走速度を高めていくこと、すなわち「楽に速く」という「矛盾」に引き裂かれるトレーニングを構想&実践しつつ各選手オリジナルの「前半型」を確立することが、「疲労を先送りする」かたちでレース中・後半の速度維持に繋がる。
というような話をしたところで、部長から「(世陸ファイナリストになる前に)長めの距離を走るトレーニングにおいて後半まで速度を維持できる技術&体力を確立した結果、(心理的に)自信を持って前半からハイペースのレースパターンに挑めるようになり、それがさらなる「前半型」追求への布石となった」という補足があった。
なるほど。
これこそ、まさに心技体の相補的トレーニング(効果)の神髄と呼べるものなのかもしれない。
(2010年1月24日 拙稿「日本陸連ハードル合宿 in 福岡」より抜粋)

集団の速い流れに対応しながら後半の勝負に挑むことを試みた、所謂「スピード型」の尾田選手。
一方、前の集団を追うことを避けて足を溜め、ラスト2.195kmを出場選手中最速のスピードであがった、所謂「持久力型」の川内選手。
彼らのレースパターンは、日本記録更新や五輪のメダルという「山の頂き」を目指す経路がひとつではないことを示唆している。

北京五輪ラソン金メダリスト サムエル・ワンジル
『練習しすぎなければ』
北京五輪はまだ3回目のマラソンだったから、過去2レースと同じように走ろうとした。昨年の福岡国際と4月のロンドン。どっちも1キロ3分前後。北京も同じペースでいきたかった。慣れているペースが一番いい。
ケニア人はそれまで暑さを気にしてスローペースにしてしまったから、五輪で金メダルを逃した。ゆっくりすぎるよくないことがこれで分かった。五輪や世界選手権のペースはきっともっと速くなる。
直前練習はケニアの2400メートルぐらいの高地でやった。7、8月にかけて38キロの距離走と30キロのペース走を2回ずつ。長い距離を走った翌日は400メートルを10本か3000メートルを3本走ってスピードをチェックした。
朝食前にも15キロを走る。1キロ4分から最後は3分5秒ぐらいに上げる。「あー、いい汗かいた」っていうイメージで終わる。補強運動はやらない。クロカンのようなコースを走るだけで筋力はつく。日曜日はオフ。雨の日は休み。
仙台育英高にトヨタ自動車九州と、この夏まで6年以上、日本のチームにいた。陸上界全体を見渡して思うことは、日本人は練習しすぎだということ。タイムトライアルの日に雨が降ったら、自分は休んで晴れた日にやる。その方が記録もいいし、いい印象が残る。日本人は予定通りにやらないと心配になる。
高地練習でも低地と同じメニューをこなす。それって体に悪いよ。日本人はもともとマラソン向き。練習次第では、まだ戦える。スピードの切り替えがうまい佐藤悠基のような選手がマラソンやったら楽しみだ。
(2008年12月3日 朝日新聞より)

2008年ミズノスポーツライター賞受賞ジャーナリストから聞いた話だが、ケニアの選手達は年間を通じて涼しい高地でトレーニングしているため、自分たちが「暑さに弱い」と思い込んでいたという。
実際、夏のマラソンでは暑さを警戒し、前半からハイペースで突っ込む(得意の)レース(リズム)を封印するものの、後半で力尽きることが多かった。
現在、男子マラソン世界歴代10傑中9名を誇るマラソン王国ケニアだが、実は2004年アテネまでの長い五輪史のなかで一人の金メダリストも輩出していない。
しかし、北京五輪ワンジル選手が前半からハイペースで突っ込み、夏マラソンとしては驚異的(と我々が思っていただけか?)な記録(6分台)で優勝。
これにより、ケニア選手達の「暑さに弱い」というイメージは自他共に払拭され、これまで夏マラソンのスローペースの恩恵に浴していた日本マラソンも、スタートから3分ペースでおしていくレースへの対応を余儀なくされた。
とはいえ、このワンジル選手のみならず、ダグラス・ワキウリ氏(ソウル五輪で銀)、エリック・ワイナイナ氏(アトランタ五輪で銅、シドニー五輪で銀)といった過去のケニアンランナー達は、いずれも日本式トレーニングによって五輪メダリストの称号を得ているのである。

難しかったのはトラックとロードでは違うので、マラソンの走り方が必要だったことです。それでもマラソンに向けてトレーニングをしているときも、スピードを殺さないようにしていました。スタミナが必要だからと50km走とかしていません。40kmの中でスピード感、リズムを大事にしてやってきました。後輩には、僕のやってきたことは決して難しいことではない、と伝えたいですね。多くの人に可能性があると思います。マラソンを好きになって、世界に挑戦する気持ちを強く持って取り組めば、チャンスはあると。
(2009年3月22日 寺田的陸上競技Web「引退する弘山と高岡のレース後会見」より抜粋)

偉大なるデータマン野口純正氏のコラム『男子長距離種目で日本の層の厚さは世界一!! 』によれば、2010年に男子5000mで14分を切った選手数は、ケニア136名、エチオピア28名に対して日本は153名(驚)。また、10000mで29分を切った選手は、ケニア77名、エチオピア5名に対して日本はなんと174名にのぼる(愕)。
世界全体でみると、5000mでは153/607名とおおよそ1/4、10000mでは174/379名と約半数近くが日本人ということになる。
加えて、上記のケニアエチオピア選手のうち30人以上が日本の実業団や大学などに所属している。
従前より、この状況は日本の「エリート育成システム」の脆弱性を表すものとしてネガティブに捉えられていた。
しかし上記の174名(10000m)にすら含まれていない川内選手(ベスト記録は29分02秒)が、実業団の半分から三分の二程度のトレーニング時間(量)で世陸代表をつかんだという事実は、我々人間のもっている様々な可能性を感じさせてくれるだけでなく、彼のようなアスリートが珍しくない時代が到来する可能性にも期待してみたくなる。
さらにいえば、これだけ多くの「タレント」を要する日本の長距離・マラソン界が「世界に挑戦する気持ちを強く持って取り組めば(by高岡氏)」、5分台、6分台の選手が続出してもなんら不思議ではない、否むしろ出ない方がおかしいとさえ思われるのである。

■川内の勝利が、実業団チームへつきつけるものは?
日本陸連澤木啓祐専務理事も「既存の(実業団)チームに大きなショックを与えたのではないか」と、この結果が日本男子マラソンに大きな刺激となることを期待する。実業団の強化体制に対して疑問の声が上がることも予想されるが、それについては「トレーニングとは方程式ではなく、それぞれの選手に合った方法がある。川内選手のケースは成功事例のひとつ」と述べ、この結果が実業団における強化体制の否定にはつながらない見解を示した。
確かにマラソンへの取り組み方は一つではない。誰しもが川内のような環境で力を伸ばせるわけではなく、練習環境や費用などに恵まれた実業団の優位性は変わらないだろう。しかし、実業団チームは駅伝での成績を期待することが多く、そこでの活躍で満足してしまう選手が多いことも事実だ。
加えて近年、日本のマラソン界では世界と戦うためにトラックのスピードを求める傾向が強い。しかし川内の1万メートルのタイム、29分02秒33は大学生に混じっても目立たない凡庸な記録だ。それでもこの日のレース最終盤、35キロから40キロのラップタイムはメコネンに次いで2番目であり、40キロ以降は参加選手中最速だった。トラックのタイムだけでは測れない強さを追及する必要もある。
競技のための環境の整った実業団選手が、お金と時間を使い、自分で環境を作り出している“市民ランナー”に負けたという事実は重く受け止めなければならない。この結果から多くの選手がマラソンへの取り組み方を再考し、奮起すればそれが今大会の一番の収穫となる。
(2011年2月28日 スポーツナビ東京マラソン総括 日本マラソン界に衝撃を与えた好走(加藤康博氏筆)」より抜粋)

川内選手と尾田選手の間にある「26秒」は、もちろん「勝負」という意味においては決定的な差であるが、2時間超のマラソンパフォーマンスとしてみれば誤差の範囲といっても差し支えないだろう。
実際、川内選手も「途中、尾田さんみたいに前を追っていくことができず、結果的に前が落ちてきたからここにいる。実力的には世界と戦えるレベルではありません」と冷静に自己分析しており、このレースの結果のみをもって両者の実力差を査定することはできない。
今回の世陸男子マラソン代表は5人中4人が実業団選手であり、依然としてその優位性や潜在的可能性は揺るがないだろう。
大事なことは、実業団システムの不備を論うことではなく(精査は必要だが)、世陸代表という「等至点」に達した選手が辿った「複線経路」についてリアルに検証することである。
それは単に「みんなちがってみんないい」という思考停止ではなく、長距離・マラソンのトレーニング原理・原則を再構築するために、異なる経路を辿っているように見える選手達の「共通点」を洗い出すために行われるべきものなのである。

失敗学のすすめ (講談社文庫)

失敗学のすすめ (講談社文庫)

すべての技術は、萌芽期、発展期、成熟期、衰退期を通ります。(…)ある技術が発展期に入ってから衰退期に移行するまでの期間は、一般的にはおよそ三十年程度といわれています。(…)
この法則は、「技術」を「組織」に置き換えてもそのまま当てはまります。つまり、企業もまた、萌芽期、発展期、成熟期を経て衰退へ向かう流れの中にあるのです。(…)
この厳しい宿命を乗り越えるためには、新しい技術、新しい組織をつくる形で古いものとの置き換えを行わなければなりません。衰退の段階までに新しい萌芽をつくり、次の文化を築かないことには、その組織の未来はないのです。
若い社員たちの使命は、大きく分ければふたつあります。ひとつは今後、封印を守り続けること、そしてもうひとつは、封印が解かれるまでに、新しい封印技術の開発をしておくことです。
(by畑村洋太郎氏)

いまだ懐古的に語られる、1980年モスクワ五輪における「幻のメダル独占」。
この前後を日本の長距離・マラソン界の「発展期〜成熟期」と捉えるならば、それからおよそ30年の月日が経過したことになる。
人やチームや使えるお金の「量」が右肩さがりの時世にあって、その「質」を追い求めるというのは、限られた身体資源の善用でパフォーマンス向上を目指すというスポーツの本質でもある。
今回の「ショック(by澤木氏)」「衝撃(加藤氏)」は、「新しい封印技術の開発(by畑村氏)」のための奇貨としなければなるまい。