複数の方程式(その1)

moriyasu11232011-04-27

8月に韓国(大邱)で開催される第13回世界陸上競技選手権大会男女マラソン代表選手が発表され、連日メディアを賑わせていた川内優輝選手フィーバーも一息ついた感がある(母校同級生(だんちょー君)にも感謝!)。
そんな折、ボストンマラソンではあと少しで2分台という大記録(非公認)が打ち立てられ、記録が公認されない理由とともに、再び(初めて?)我々の論考(雑談?)が脚光(というほどでもないけど)を浴びることとなった。

『マラソンケニア勢のスピード+精神力+日本の持久力…1時間58分50秒可能!?』
ラソンの世界記録の公認条件を満たさないとはいえ、18日のボストンでジョフリー・ムタイ(ケニア)が世界最速となる2時間3分2秒で優勝。モーゼス・モソップ(同)も4秒差で続いた。前日のロンドンでも、エマニュエル・ムタイ(同)が世界歴代4位をマークしたばかり。2時間3分59秒の世界記録を持つハイレ・ゲブレシラシエエチオピア)を除けば、ケニア勢が上位10傑を独占する。人類、いやケニア勢はどこまで記録を伸ばせるのか。【田原和宏】
米国生理学会は今年1月号の機関誌で「マラソンで2時間を切るのはいつ、誰が」と題する特集を組んだ。執筆者の1人、電気通信大の狩野豊准教授(生理学)は「スピード持久力係数」という概念を持ち込み、2時間以内の記録は可能と結論付けた。
「係数」は一万メートルの自己記録の何倍の時間でマラソンを走ったかを算出。一万メートルのスピードを42・195キロで保つほど値は4・2195に近付く。ゲブレシラシエの4・70に対し、日本のトップ選手10人の平均値は4・52。絶対的なスピードは違うが、距離重視の練習で持久力のある日本選手が勝る結果となった。ならば、26分17秒53の一万メートル世界記録保持者が日本のトップ選手並みにスピードを維持できればどうなるか。計算上は「1時間58分50秒」となる。
日本陸上競技連盟の科学委員会副委員長を務める榎本靖士・筑波大准教授(バイオメカニクス)も「ストライドを6センチほど伸ばせば可能」と語る。ゲブレシラシエの記録は1キロ換算で2分56秒。2時間を切るには1キロ2分50秒のタイムが必要で、それを埋めるのが6センチというわけだ。
ケニア勢の強さの理由は何か。榎本准教授は「日本とケニアの選手の間に、筋力や最大酸素摂取量など決定的な差は見つからない」と言う。ただ、ケニア選手の方が無駄なく効率的に速く走れる動きを身に着けていると指摘する。端的に言えば燃費がいいのだ。加えて、心理的な要素も見逃せない。「世界記録は決して不可能ではない」。そう語る選手のいかに多いことか。
ラソンで初めて2時間10分を切ったのは1967年。ポール・テルガト(ケニア)が03年に2時間5分を切るまで36年を要したが、2時間を切るのに同じ期間を待つ必要があると考える識者は少数派のようだ。2人の結論は一致した。「心理的な壁はもう破られている。あとは時間の問題だ」
(2011年4月23日 毎日新聞(大阪夕刊)より)

よく知る二人の准教授の結論は「心理的な壁はもう破られている。あとは時間の問題だ」ということで一先ずの一致をみたようである(「いつかは晴れる」という「必ず当たる天気予報」の感も否めないが…)。
いずれにせよ、上記記事の表題である「(ケニア勢の)スピード+精神力+(日本の)持久力」の意味は、単なる3つの足し算としてではなく、「スピードと持久力」を分けるのも接着(融合)させるのも「精神(力)」次第という意味で捉えるべきであろう。

『川内が2時間08分37秒で日本人トップ レース後の一問一答』
Q.川内選手は福岡国際マラソンにも出場していますし、出場間隔が短いことが特徴だと思いますが、調整など難しいのでは?
川内優輝 実業団(の感覚)からすれば短いかもしれませんが、市民ランナーレベルなら2週、3週と連続でフルマラソンを走る方もいます。市民ランナーとしては間隔が長いくらいかもしれません。フルマラソンに出たからといって全てが全て、調子が良いわけでもありません。狙っていくレースとしては、間隔は短くないのではと個人的には思っています。
Q.フルタイムの仕事も持っていますが、世界選手権に向けてはどうやりくりをしていきますか。
川内 やりくりという面もありますが、フルタイム勤務でこのタイムが出ましたので、今までのペースを崩さずに、そのなかで練習の強度を上げたり、よりレベルの高い練習を積んでいけば、最低でもこのタイムは出ます。今日も前についていかず、日本選手について楽をしてしまった部分もあります。そういう部分を削っていける選手になれば、まだまだ記録は縮められます。今まで通りの勢いで頑張っていこうと思います。
Q.どんな仕事内容で、どういう練習をしているのですか。
川内 春日部高定時制の事務員をやっていて、昼の12:45から夜の21:15までの勤務です。内容は庶務や学事関係、生徒へ証明書を発行したり、給食費の会計管理をしたりしています。練習は午前中に2時間くらい。(実業団と違って)1部練習で普段はジョッグです。水曜日と土曜日だけは、ペース走やインターバルなどきつめの練習をやっています。水曜日は仕事前に1人で、土曜日には駒沢公園に行ったりして、(学習院大の)後輩や市民ランナー仲間と一緒に高め合っている。今後も、今のスタイルで伸びているので特に崩す必要はないと思っています。(…)
Q.実業団選手と自分の違いは何だと認識していますか。
川内 基本的にはフルタイム勤務の市民ランナーですので、実業団のように練習時間の確保ができません。限られた時間の中で頑張る、集中する、効率の良い練習をすることが自然と身に付きます。多くの市民ランナーと同じように、基本的には自分の給料の中からお金を払って陸上をやっています。好きでないとそういうことはできません。そういった面が実業団との違いだと思います。(…)
Q.世界選手権に内定しましたが、ロンドン五輪を目指す考えは?
川内 自分のレベルでは…今日も1、2位の外国人選手にはまったくついて行けませんでしたし。途中、尾田さんみたいに前を追っていくことができず、結果的に前が落ちてきたからここにいる。実力的には世界と戦えるレベルではありません。ロンドンについては考えず、まずは世界選手権に集中します。
Q.体調管理、食事などはどうされていますか。
川内 実家で暮らしていますので、基本的には親が食事を作ってくれます。定時制高校ですので夜は給食がありまして、それをたくさん食べさせていただいています。
(2011年2月27日 寺田的陸上競技WEBより抜粋)

実業団というシステムに関する構造的な問題については、すでにこの御仁が言い尽くしているので改めて触れないが、「川内はマラソン(の練習)にかける時間が少ない中、努力してこのタイムで走ったのはすごい。実業団の選手は(環境が)至れり尽くせり。ハングリー精神を学んでほしい。(by坂口泰・日本陸連男子マラソン部長)」というコメントに対しては、どのような文脈から切り取られたものかは於くとしても、いくつかの「問い」を立てつつ有益な教訓を引き出す必要があるだろう。
例えば川内選手が「マラソン(の練習)にかける時間が少ない」と考える背後には、恐らく「適切な量(時間)」についての信憑(信念)があるはずだが、それは本当に「適切」といえるのか。
「実業団の選手は(環境が)至れり尽くせり」というが、かつて世界に冠たるマラソン王国を築いていた実業団選手達との間にどのような相違があるのか。
「ハングリー精神を学んでほしい」というが、「ハングリー精神」とはどのようなもので、それはどうすれば学習することができるのか。
あるいは、マラソンの適切な出場間隔に関しても、「実業団(の感覚)からすれば短いかもしれませんが、(…)市民ランナーとしては間隔が長いくらいかもしれません(by川内選手)」という点についてどのように考えるのか。
これら一連の「問い」についての最適解を模索しつつ、それらを適切(的確)に指南するのが指導者の役目である。

日本人の足を速くする (新潮新書)

日本人の足を速くする (新潮新書)

法政大学入学時代から現在に至るまで、私は一貫してコーチの指導を受ける形をとらず、トレーニングのやり方も量も、すべて自分自身で研究し工夫してきました。もちろん、わからないことがあれば監督やコーチ、諸先輩に教えを乞いますし、客観的なアドバイスも頂きますが、それは私が必要と考えて自ら求めるのであり、待っていて上から降りてくるものではありません。(…)
自分には何が足りないのか。それを解決するためには、何をすればいいのか。
それを自分の脳で突き止めた上で行うトレーニングは、上から降りてきたメニューをこなしている場合とは、効力が雲泥の差になるのです。(…)
私は、自分で考えるという最高に面白い作業を、もったいなくて人に渡したくはないのです。
(by為末大氏)

上記の「法政大学」を「学習院大学」に入れ替えれば、川内選手の「内なる声」にほぼ重なるだろうと愚考する。
斯界には「(良質の)練習をしなければ強くならない」ことと「練習(量)をすれば強くなる」ことの混同や、実態が定かではない「科学的トレーニング」なるものへの根強い信憑がある。
例えば「高地トレーニング」は、「科学的に検証」された「必須のトレーニング」と受け止められているが、高地の住人にしてみれば単なる「日常」の延長線上にあるものに過ぎない。
ケニアエチオピアの人々(選手達)の「日常の総体」に目を向けることなく、表層的な情報(エビデンス)だけを鵜呑みにすれば、本質的な問題を見失うことにもなりかねない。
川内選手の実践は、そのことを無言のうちに教えてくれている。
川内選手の月間走行距離は多くても600km程度であり、実業団選手に比して練習時間(量)が少ないと言われているが、ご本人は「スピードからだけではなく、距離からのアプローチもある(by川内選手)」という信念をお持ちのようである。
実際、東京マラソン前にも、5〜6時間の登山道トレイルランだけでなく、43キロの距離走も5回実施しているとのこと。
どのような間隔で行ったのかにもよるが、距離走の頻度だけでいえば実業団選手と比べてもけして少ないとは言えないだろう。
では、トラックのスピードからマラソンへと移行し、初マラソン歴代3位(2時間9分3秒)の記録をマークしたもう一人の世界陸上代表選手にも聞いてみることにしよう。

『尾田が初マラソン歴代3位の2時間09分03秒 レース後の一問一答』
Q.レースを振り返ると?
尾田賢典 初マラソンということでそんなに気負うこともなく、とりあえず集団の流れに乗ることだけを考えて走っていました。途中何回か身体が重いかなとか、苦しい場面も何回かあったんですが、リズムだけは保って走ることだけを考えていました。30km以降も攻めの走りをしようと思っていたので、思い切って行けたらと思っていました。しかし、38kmくらいから本当に脚にきてしまって、川内(優輝)君に抜かれてしまったのが一番悔しいところです。
(…)
Q.昨年夏の陸連合宿に参加して、今回のマラソンに何か良かった点はありましたか。
尾田 昨年のボルダー合宿に参加させていただいたときに、本格的なマラソン練習っていう、土台づくりを初めてやったんですけど、そこで比較的余裕を持ってしっかりこなせたことが自信になって、その後1万mで27分台を出すことができました。スピードを生かしながら距離を踏んでいくことが、しっかりできていたと思います。
Q.佐藤敏信監督が着任してマラソンに取り組む雰囲気がチームに出てきたと思いますが、監督の存在で自分が変わったと思えるような所はありますか。
尾田 若いときはマラソンをやろうとはまったく思っていなくて、マラソン練習はできないと思っていました。でも佐藤さんが来られてしっかり練習をするようになって、その中で徐々に距離を伸ばしていって、やればできるかなという気持ちになって、マラソンに挑戦してみようという気持ちになりました。
(…)
Q.以前から活躍されていましたが、マラソンに対する思い、スタンスはどのようなものでしたか。またここにいたるまでにどのように変化してきましたか。
尾田 入社した頃はトラックの方で出たいと思っていたので、ずっと1万m27分台とかを目標にしていた方が強くて、マラソンはまったくやろうとは思っていませんでした。でも先ほど言ったように佐藤監督になられてしっかり練習できるようになりました。その中で熊日30kmに出てトヨタ自動車九州の三津谷(祐)君といい勝負ができたので、あとはもう少ししっかり土台を作ればマラソンに行けるのではないか、と変わってきました。そこからしっかり自分の中で挑戦してみようという気持ちになってきました。
(2011年3月2日 寺田的陸上競技WEBより抜粋)

「佐藤監督 → しっかり練習」が何度かでてくるが、この「しっかり」が何を指していて、それまでと何が変わったのかを「しっかり」と聞いてみたいところである。
ここで、「スピード持久力係数」という得体の知れない概念について改めて考えてみたい。
と言いつつ、つづく…(いつもすみません)。