現状打破!

moriyasu11232014-01-22

年明け早々、地元(埼玉)陸協から会報が送られてきた。
会報の第四面は、恒例?となっている川内優輝選手(埼玉県庁)の手記である。
手記のタイトルは『サブテンを達成して世界へ出よう!』。
この手記を読んで、昨夏の日刊スポーツ紙面に掲載された下記の記事のことを思い出した。

2年前、川内君が勤務する春日部高校の文化祭で初めて話す機会があった。実業団に属さず、公務員として走っているという肩書の物珍しさの方が先行している存在だった。僕も市民ランナーとしてのバックグラウンドには興味を持ったものの、選手としての彼にはさして関心はなかった。
ところが、いざ話をすると印象は一変した。自分がなぜこういう練習方法をしているかという説明が明快で、しかも自分の頭で考えた形跡があちこちに見える。あれから2年たち、成績を出し続ける彼は陸上界にとってもはや“きわもの”ではなく、新しいスタンダードを生み出しつつある。
(2013年8月7日 日刊スポーツコム「為末大学 〜ニッカンキャンパス〜(川内はキワモノではない)」より抜粋)

大変光栄なことに、小生は記事の冒頭で触れられている二人の初対面の場に居合わせている。
諸般の事情によりぶっつけ本番となったトークショーの概要はコチラ
冒頭記事の続きである為末大氏の川内優輝考を以下に示す。

論理的思考
まず、自分で自分のやっていることを説明できる客観性を持っている。愚直、真面目、必死というイメージを持たれている彼の口から「効率的」「選択」「努力しても意味がないものはやらない」という言葉がどんどん出てくる。2年前、そのギャップに驚いた。
一見奇をてらうようなやり方をしている場合、大きく分けて2種類の選手がいる。1つは周囲の注目を集める目的で派手なことをやる選手、もう1つは常識を1回取っ払ってロジカルにつめていった結果、今までの常識から外れたものにたどり着いた選手。話をしてみると、常識外れを意識しているのではない。むしろ自身の体験から、常識からいったん離れてコツコツと考えて積み上げてきた彼にとっては、常識的なやり方だという印象を受ける。
例えば「なぜ試合にたくさん出るのか」と聞くと、「マラソンは経験の種目で、レース展開への対応、ペース配分など長くやってみなければわからないことがある。いくら実戦形式の練習をしても練習は試合になり得ないから、試合経験を重ねていくのが結局、マラソンランナーとして成熟する一番の近道」だと言う。
練習量が少ないことについては「練習量が多すぎると疲れた状態でトレーニングをすることになり、走り過ぎでバネもない。けがのリスクも高く、練習効果も低い。それぐらいだったら練習量を抑えて、それぞれの練習効果を高め、試合を練習化していった方がいい」と答える。常時そんな風に、すべての自分の行動に考えた形跡が見える。
極度な集中力
論理的であり、自分の姿を客観的に見られる一方で、いったんスイッチが入ると極端な集中状態に入るように見える。インタビュー中に自分の世界に入り、勢いよく話し続けて、ふと我に返るということがある。こういう集中状態に入る選手は時々いる。白人で唯一100メートルを9秒台で走っているフランスのルメートルも、試合前に相当な集中状態に入る。一度レース直前にグラウンドで見たことがあるが、周囲は目に入らず、まるで自分しかそこにいないという風だった。
一見すると陸上競技は身体の限界との戦いに思えるけれど、まず自分にブレーキをかけているのは脳であり、心理面だ。人間が本当に持っている力を出しすぎると危険だと脳が判断し、ブレーキをかける。禁止薬物に興奮剤やホルモン剤が含まれているのも、自分自身の脳のリミッターを切ることを目的にしている。恐れ、緊張、注意の散漫、さまざまな心理的理由でパフォーマンスは落ちる。
球技などチーム競技であればある程度、客観性が必要になり、自分自身に浸りきる訳にはいかない。だけど陸上のような個人競技なら自分の力を出し切ることが重要だ。その点において集中しきれる選手は強い。彼がレース後に興奮してまくし立てる姿を見ると、どうも自分の世界に入り込んで集中しきるという能力が高いのではないかと思う。
反骨精神
なぜ川内君は公務員ランナーというやり方を選ぶのか。実業団はおろか、プロとしても十分やっていけるほどの実力も人気もありながら、彼は公務員であり、市民ランナーである自分の立場にこだわっている。質問すると「既存の実業団中心の長距離界に対し、自分のような市民ランナーが活躍することで次の世代に新しい選択肢を作りたい」という答えが返ってきた。
実業団スポーツは、競技者がフルタイムでトレーニングしなければ戦えないというのをベースに仕組みが作られている。大体一つの駅伝チームで年間2、3億円ぐらいかかり、選手はほぼ会社の業務には関わらず、競技だけを行っている。年間の合宿も数回あり、その予算は小さくない。
ところが彼は日常の仕事の合間にトレーニングをする。合宿は休日に行い、試合に出場する時ですら有休を取る。それで並みいる実業団を抑えて代表に選ばれる。その存在自体が、強烈な陸上長距離界へのアンチテーゼになっている。
今、日本のスポーツ界にはドンキホーテは少ない。川内君のようなやり方は教科書的ではない。彼はうまくいったけれど、もちろん同じようにやって失敗する人もたくさんいるだろう。けれどもそうやって多様なやり方で挑む選手が多ければ、その中でハマった選手が世界的に活躍することがある。彼には学生の頃に「自分は主流ではなかった」という思いが強くある。そして高校で活躍できなければ箱根駅伝には出られず、箱根に出られなければ実業団に入れないという大きな流れに対し、カウンターとしての自分を強く意識している印象を持った。
独学の人
僕にとって、彼は独学の人である。公務員試験に独学で受かり、レースを中心に調整するという手法を独学で生み出した。自ら実践する人であり、自らの体験から学ぶ人である。なぜこれほど目立ち活躍できるのかという背景には、市民ランナーということもあるだろうけど、自ら学ぶ人がスポーツ界に少ないことを意味しているのではないか。
川内君のやり方が万人にとって正しい訳ではないだろう。けれど残念ながら彼のように常識を疑えて、実験をできる選手はそんなに多くない。とくに常時チームとして結果を出さなければいけない実業団では、リスクを取って冒険するよりも、既に行われてある程度成果が認められている手法を選びがちなところがある。皮肉なことに、過去に行われた手法から学べることは少なく、結果として学びは小さくなる。
常識とは何だ。本当にいいトレーニングとは何だ。自問自答しながら彼は走り続けるだろう。そしてチャレンジするたびに、何かを学んで成長していく。自ら考え学べる選手を作る。それが今スポーツ界が面しているさまざまな問題を解決する上で一番、重要な事だと思う。
(2013年8月7日 日刊スポーツコム「為末大学 〜ニッカンキャンパス〜(川内はキワモノではない)」より抜粋)

母校でのトークショーで川内選手の『(指導者から離れて)一人になって一人じゃなくなった』という名言に唸ってから約2年半の歳月が経過したが、以来今日に至るまで自分のスタイルを貫きながら“日本最強マラソンランナー”の看板を譲ることなく座右の銘である『現状打破!』に挑み続けている。
そんな川内選手が会報に寄せた手記は、いわゆる「試合負荷」を克服するためのトレーニングのあり方という、昨年末の大分出張を契機として自身のトピックスにもなっている問題関心の琴線に触れた内容である。

日本のマラソン界の常識は「世界」では通用しないことが多々ある。
例えば、スタート時間を過ぎても始まらなかったレースがあった。何の連絡もないまま数分が過ぎてから、市長の到着が遅れたことが原因だと判明した。結局スタート時間は20分遅くなった。この大会では先導がいないためコースを間違えて観客の声(英語)で慌てて戻ったり、前からロバ車が走って来たり、子供たちが自転車で追いかけてきて「ニーハオ」と話しかけてきたり、と驚きの連続だった。これはとある「AIMS公認レース」の話である。
あるレースのテクニカルミーティングではペースメーカーがハーフまで引っ張ると説明していた。しかし、誰がペースメーカーなのか主催者に尋ねてみても「スタートまでに連絡する」の一点張りで何もわからなかった。結局、スタートまでに何も連絡はなく、「チームワーク」と叫ぶケニア選手を中心に代わる代わる選手たち自身で初めからペースを作っていかなければならなかった。結果として、私も何回も先頭を引っ張ることになり、事前に想定していた戦略とは大きく異なるレースとなった。これはとある「賞金レース」での話である。
ある大会では空港から選手村までの送迎バスが上り坂の途中から異音を発し始めた。暫くすると、床から煙が上がり、頂上を過ぎるとエンジンが止まった。エンジンが切れたままの状態で何とか惰性でガソリンスタンドまでたどり着いた。結局、バスはオイル漏れを起こしており、代わりのバスで選手村に向かうことになった。さらに選手村では芝生を走っているとゴルフ客がいて「止まれ。そして戻れ」というようなことを言われた。選手村はゴルフリゾートであり、敷地のほぼすべてがゴルフ場であるにも関わらず、ゴルフ場の芝生はランニング禁止であったのである。また、選手村の蛇口を捻ると黄色い水が流れ、硫黄の匂いがし、大きいコオロギも部屋の中に出没するような衛生環境であった。これはとある種目の「世界選手権」での出来事である。
また、手荷物預かりの時間がスタートの50分前のレースもあった。ちなみに福岡国際マラソンであれば10分前でも何の問題も無い。この50分前という時間はテクニカルミーティングでの指示とも現地スタッフから聞いた話とも違う時間であった。これには日本選手同士で顔を見合わせ苦笑いするしかなかった。さらにスタートの3時間以上前に選手はホテルからスタート地点へバスで移動し、監督・コーチ・マネージャーとは別行動となった。日本の中高生によく見られるようなスタート直前まで監督・コーチ・付添のいずれかが選手の傍にいるということに慣れてしまった選手にとっては信じられないだろう。しかし、これは世界最高峰の「WMM」での出来事なのである。
日本の大会運営の正確さや繊細さには頭が下がる一方、それは「グローバルスタンダード」ではないということが「世界」に出てみるとよくわかる。国内だけに目を向け、国内の整備された環境を「グローバルスタンダード」だと思ってしまう「鎖国意識」のままでは、世界からあらゆる面で日本のマラソンは取り残されていってしまうだろう。
こうした経験から次世代のアスリートにはできるだけ早く海外へ出て「世界」を知ってほしいと思っている。選手本人も指導者もそうした気持ちで積極的な海外チャレンジを続けて欲しいと思っている。「日本人が思っている以上に世界中のマラソンが日本選手を待っている。日本人はチャンスを無駄にしている」、数多くの海外レースへ招待出場する中で、私は強くそう思っている。アフリカ勢が世界中のレースを席巻し、賞金レースや市民マラソンが世界各地でますます加熱している一方で、多くの国々がサブテンすらもできない状況になってきている。一方で、国際陸連ゴールドラベル選手の標準記録は2時間10分30秒となっている。そして、ゴールドラベル選手を5か国以上から必ず招待しなければならないため、毎年のように何人もサブテンランナーを輩出している日本は世界各地の国際マラソンにとって貴重な存在となっているのだ。
世界記録と差が開き、日本記録も10年以上更新されず、日本マラソン界の悪い面ばかりが叫ばれているように感じる。しかし、そうしたネガティブ思考に陥るのではなく、ポジティブ思考で「サブテンさえ達成すれば海外レースからオファーが来る。海外レースからオファーが来れば様々な経験を積むことができる。だから、まずはサブテンを達成しよう」と考えることの方が私は有意義であると思う。「世界記録や日本記録を狙え」、「五輪や世界陸上を狙え」と言われても多くの日本選手にとっては目標にしづらいだろう。世界記録や日本記録はそう簡単には出せないし、五輪や世界陸上は人数が限られている。しかし、サブテンであれば多くの日本選手にとって妥当な目標となりうる。人数制限もない。実現可能な目標は選手の努力や創意工夫を促すだろう。そして多くの日本選手がサブテンを達成し世界に挑戦していくことが当たり前になっていけば、世界の刺激を受けて、必ずその上の目標を設定する選手が大勢出てくるようになるだろう。そうすれば、自然と世界との差は再び縮まっていくに違いない。
「まずはサブテン」、30年前と変わらない目標なのかもしれないが、これからマラソンを志す次世代のランナーにとっては重要な合言葉であると私は思っている。
(2013年12月20日 川内優輝サブテンを達成して世界へ出よう!」埼玉陸協会報第31号より抜粋)

「試合負荷」を克服するためのトレーニングは、体調の乱れを意図的につくり出した状態で競技遂行の確実性を磨く「体調(身体)負荷トレーニング」、試合で遭遇しうるあらゆる環境条件の変化に対して競技遂行が左右されないことを目指す「環境負荷レーニング」、重要試合での競技における心理的条件(不安や緊張状態)下での競技遂行をモデル的に行う「心的負荷トレーニング」という概ね3つに分けられる(by金子明友先生)。
『マラソンは経験の種目で、レース展開への対応、ペース配分など長くやってみなければわからないことがある。いくら実戦形式の練習をしても練習は試合になり得ないから、試合経験を重ねていくのが結局、マラソンランナーとして成熟する一番の近道』と看破する川内選手の「連戦(トレーニング)」は、練習という日常と試合という非日常を往復しながら重ね合わせようとする従来の「試合負荷トレーニング」すなわち「練習は試合のように…試合は練習のように…」を超えた「心技体の相補的(試合負荷)トレーニング」といえるだろう。
『実現可能な目標は選手の努力や創意工夫を促す(by川内選手)』
上記手記の末尾には「川内選手には、福岡国際マラソン後のお忙しいなか執筆していただきました。感謝申し上げます」という編集者からのコメントが掲載されている。
福岡国際マラソンのレース当日が昨年12月1日であり、会報の発行が12月20日であることから考えても、原稿依頼から執筆までは相当タイトなスケジュールだったと思われる。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びのプロも遊びの活動の本質を少しも変えはしない。たしかに彼は遊んでいるとはいえない。彼は仕事をしているわけだ。運動選手や俳優は、報酬と引きかえに遊びをするプロであり、楽しみしか期待していないアマチュアではないとしても、競争あるいは劇の本質は変わりはしない。〔プロとアマとの〕差異は、ただそれを行う人間だけに関わることなのである。

「遊ぶように働き…働きながら遊ぶ…」という“積極的公私混同”。
その多忙のなかから紡ぎ出された律儀なテクストには、「遊び(自由)」と「労働(拘束)」という二律背反やダブルバインドを超えた「スポーツ」というメタ・コミュニケーションの本質に真摯に向き合おうとする川内選手の姿勢が垣間見える。

日本のスポーツ環境は、アジアの隣国である中国や韓国のみならず、欧米諸国に比しても誇るべき豊穣性を有していると愚考するのであるが、一方でメディアや世論のみならず、スポーツ界自身による二律背反的な「遊び/労働」認識によってそれが侵食され、さらにはそれに封じ込まれようとしている現実もある。
それへの抵抗は、スポーツに関わる人間が「固定され押しつけられた遊び/労働の境界を臨機応変に変えたりずらしてしまう(by小田亮氏)」ような実践プロセスを経由しながら、斯界に孕む様々な二律背反に引き裂かれない「リテラシー」を獲得することによってのみ可能となることを自覚する必要があるだろう。
同時にそれは、ホイジンガが構想し、以降多くの研究者が手掛けてきた「遊びの復権」というテーマが、依然として我々の生きる現代社会の重要な課題であることの証左なのである。
(2011年3月1日 拙稿「スポーツは遊び?仕事?」より)

上記会報の編集責任者の欄に「秋元惠美(先生)」のお名前を発見。
高校時代、県の選抜合宿などでハードルブロックのコーチとしてご指導いただいた(「へたくそ」と言われた)ときの記憶が甦る。
初心忘るべからず。
本年もよろしくお願いいたします!