体育・スポーツの今日的課題(その1)

moriyasu11232011-10-19

先週の金曜日、職場の労働組合が主催する創立100周年記念イベント「日本体育協会のこれまで、これから」にて、自身が担当している「日本体育協会創成期における体育・スポーツと今日的課題 ─嘉納治五郎の成果と今日的課題─」という研究プロジェクトの進捗について紹介(初年(H22年)度の研究報告書の内容に基づきレビュー)。
まずは「日本体育協会創成期における体育・スポーツを考えることは、なぜ体育・スポーツの今日的課題につながるのか?」という点についての確認。
「日本のスポーツ百年」とは、大日本体育協会設立を契機として国内外にスポーツの意義と価値をまとまった形で表明し、以後「スポーツ」が一つの制度として社会に存在してきた歴史を指している。
その歴史は、オリンピック大会への参加に向けて、種目別に発展しつつあった日本のスポーツを組織的にまとめなければならないという制度的な必要性のみならず、そのプロセスにおいてどのような理念や課題が示され、それがどのような社会的意義、可能性および限界をもつに至ったのかを考える重要な画期として捉えるべきものと考えられる。
オリンピック大会出場とこの一大機関設立との関連については、「日本体育協会の創立とストックホルムオリンピック大会予選会開催に関する趣意書」において「内は以て我国民体育の発達を図り 外は以て国際オリンピック大会に参加するの計画を立てんことを決議仕り」と述べられているに留まり、両者の関係については明確に説明されていない。
この点について、嘉納治五郎氏(以下、嘉納)が「国民体育の振興」をどのように具体的に考え、これとオリンピック大会出場を契機とする「競技スポーツの発展」とを同一組織内で具体的にどのように結び付け、発展させようとしていたのかを明らかにすることが重要であるといえるだろう。
なぜなら、このような日体協創成期における国民スポーツ振興と競技スポーツ振興の両者の関係性に対する体育・スポーツ界内部の論理の不明瞭性が、21 世紀における我が国のスポーツ振興の今日的課題として残されていると考えられなくもないからである。
したがって、本プロジェクトの目的は、嘉納が残した成果を、その時代的文脈の関係それ自体から構造的に説明しつつ、そこから今後100年に向けた我が国の体育やスポーツに対する今日的課題の在り様や特徴を明らかにし、それを自覚化することとなる。
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嘉納は晩年、自身の成し遂げたこととして「講道館柔道の創設と普及」「師範学校を中心とする教育の充実」「体育・スポーツの振興」の3つを挙げているが、裏を返せばそこに精魂を傾注してきたという思いの表れともいえる。
講道館柔道の創設と普及
嘉納は、柔道の修業上何よりも「観察、記憶、試験、想像、言語及ビ大量」が必要だと力説している。
ここには、それまでの柔術が秘伝の名の下で、一部の者だけが長い年月をかけて気の遠くなるような反復練習によってようやく技術を体得するという「運動方法論」とは全く異質の、西洋近代科学の方法論が取り入れられている。
例えば「崩し・作り・掛け」の考案は、「力学(力のモーメント)」の柔道への具体的な適用であり、「形(かた)」の整備は徹底した合理性や実用性(プラグマティズム)の表れとみることもできる。
また、技そのものの力学的合理性や合目的性に着目した「技術の構成原理」は、最小の作用で最大の効用・効果をあげるという19 世紀イギリスの功利主義(utilitarianism)の原理に立っており、この原理を技術論として敷衍することによって柔術の技を改変し、また創造したと考えられる。
いずれにせよ、嘉納にとっての柔道の究極の目的はあくまで「人格の涵養」や「精神の陶冶」にあり、故に「試合」もあくまで技能向上の経過をみるための文字通り「試し合い」として位置づけるなど、終生にわたり柔道の競技化には否定的であったといわれている。
そのことは、以下の国際柔道連盟規約(序文)をみれば明らかである。

Judo was created in 1882 by Professor Jigoro Kano. As an educational method derived from the martial arts, judo became an official Olympic sport in 1964 (after being named as a demonstration sport at the 1940 Tokyo Olympic Games which were cancelled due to international conflict). Judo is a highly codified sport in which the mind controls the expression of the body and is a sport which contributes to educating individuals.
Beyond competitions and combat, judo involves technical research, practice of katas, self-defense work, physical preparation and sharpening of spirit.
As a discipline derived from ancestral traditions, judo was designed by its Master Founder as an eminently modern and progressive activity.

(extract passages from the article「STATUTES(Preamble), International Judo Federation 」)

数ある国際競技連盟の規約の中で、創設者についてここまで詳述されているものは存在しないと思われるが、いずれにせよこの規約は、「柔道」が(その今日的な状況はさておき)「教育的方法」として広く世界に普及していること、そして「教育的方法」であるが故にそれが可能となったことの証しでもある。
教育への貢献
嘉納は、1882 年に学習院教員になって以降、第五高等中学校長、第一高等中学校長を経て、1893年東京高等師範学校(以下、東京高師)の校長に就任。以降、1920年までの永きにわたって校長の重責を担うが、退任後も非常勤講師として毎年講義を行うなど、生涯にわたって教育にかかわった。
なかでも特筆すべき成果は、師範教育(教員養成)の充実といえる。
当時3年であった東京高師の課程を大学と同じ修業年数(4年)に延ばし、東京および広島の高師(現筑波大学広島大学の前身?)に文理科大学を設置する基礎をつくるなど、師範学校を大学と同等の位置に押し上げた。
また、近代以降で国費留学生を受け入れた最初の日本人でもあり、1896 年から中国(当時は清国)などの留学生を生涯にわたって受け入れ続けた。
さらに、文部省普通学務局長時代には、高等女学校の各府県への設置と発展に寄与するなど、女子教育の拡充にも寄与したとされている。
体育・スポーツへの貢献
「体育・スポーツ」への貢献については、大きく「学校体育の充実」「国民体育(生涯スポーツ)の発展」「オリンピック(ムーブメント)への参加」の3つに分けられる。
1)学校体育の充実
東京高師の校長に就任すると、全ての学生に長距離走を走らせ、柔道か剣道のいずれかを履修させ、夏には水泳実習を行うのみならず、課外活動としての運動部をまとめる組織として「運動会(後に校友会に改編)」を結成するなど学生たちのスポーツ活動を奨励した(その名残か東京大学はいまだに「運動会」の名称を用いている)。
また、3 年課程の体操専修科を4 年課程の「体育科」として新たに設置し、文科や理科と同等の教科に位置づけることにより、教育現場における教科としての体育の立場を確固たるものとした。
無論これは「技術の発達を計るばかりでなく能くその理論を解し、今日の進歩した方法を解得せしめる」という嘉納の求める(体育)指導者像に基づき、教育学、倫理学、生理学、解剖学などの諸科学をベースとする深い識見をもった指導者の育成を目指したことの現れでもある。
現在の日本の体育に特徴的なものとして、小学校から大学まで行われている体育の授業(講義)や、中学校以上で行われている部活動などが挙げられるが、このシステム?を全国に広めたのも嘉納とその教え子たちであったといえる。
2)国民体育(生涯スポーツ)の発展
このような様々な成果の背景にある嘉納の「体育・スポーツ観」とは、一体どのようなものなのだろうか。
数少ない嘉納の一次資料である『青年修養訓(1910年)』には、体育(スポーツ)の価値について「①筋骨を発達させ身体を強健にする」「②自己及び人に対する道徳や品位の向上に資する」「③運動の習慣を修学時代以後も継続することで、心身ともに常に若々しく生活できる」という記述が残されている。
今風にいうと「体力向上」「フェアプレイ」「生涯スポーツ」と言い換えられそうだが、いずれにせよ嘉納の体育・スポーツ観は、後の国粋主義的な(国家の兵士を養成するための)「国民体育」とは完全に差別化できるという点を十分に認識しておく必要がある。

  • 成可く運動と云ふものは、願わくば毎日、少くとも隔日位する事でなくては不適当である。唯だ少数の者は保養旁々遊ぶ手段として之れは適当であるが、国民体育としては論外としなければならぬ。テニスの如きものも似寄って居ると云ふ理由の下に不適当である。さればと云ってベースボール排斥論者でもテニス排斥論者でもない。唯だ之れは国民体育の立場以外有志者としてすればテニス、ベースボール、ボートレース何でも宜いのである。
  • 国民全体に運動をさせようと云ふ事に就ては誰でも出来ると云ふ事が一つの条件でなければならぬ。器用な者は出来、不器用な者は出来ないと云ふものは不適当である。
  • 第二には費用の懸らない設備がいらないと云ふことである。
  • 第三は男女年齢の区別なく成可く人に拠って好き嫌いのないと云ふもので而も面白くて熱中すると云ふ事のないものが宜い。

嘉納治五郎「国民の体育に就て」愛知教育雑誌(1917年)より抜粋)

嘉納の目指す「国民体育」は、高齢者でも女性でも、得意不得意にかかわらず、誰でもできるという運動を意味していた。
なかでも最も重視したのは「長距離を走る(歩く)」ことであった。
東京高師においても長距離走を重視し、全学生に年に2 回、約20km を走らせているが、卒業した多くの教師たちによって長距離走が全国各地に広められていった。
また、単に走るだけではなく神社・仏閣などの名所旧跡を巡ることも提案し、それにより地理歴史や農工商業についての学習を行うことができるとも述べている。

歩くと云ふ事は種々な利益が伴ふものである。即ち第一に胃を健全にする。従て人間をして粗食をしても相当の栄養を摂る事が出来ると云ふ結果になる。(…)真に歩くと云ふ事は人間を質素に導くものであって又歩かうとして出れば目的地迄行かねば済まぬと云ふので自ら意志の鍛錬にもなる。(…)
金の要らない誰でも出来る設備の要らない原則に基いて考えると駈ける事が宜しかろうと思ふ。之れは女子は男子程には行ふ事が出来ない。又老人や余り小さい子供は余程制限してやらねばならぬ。だから歩く程には広く行はれないけれども、歩く事に次いで行う運動は駈ける事である。(…)
幸いに日本は神社仏閣名所旧跡など風景の宜い所が甚だ沢山あるから、さう云ふ所を選んで置いて歩いたり、駈けたりして、さう云ふ目的地へ行って其処で種々道徳上為になる話をするとか、地理歴史の事柄を教えたり、或は農業工業商業に就ての知識を授けると云ふ風にし夫々年齢程度に応じ適当なる指導者が監督して実行したら随分有益なる仕事が出来やうと思ふ。
(前掲論文より抜粋)

これは、体育によって智育も徳育も備わるという三育主義的な発想に基づいていると思われるが、このような考え方は嘉納の弟子たち(※金栗四三氏野口源三郎氏など)によって後に実施される長距離継走@東海道(すなわち箱根駅伝)へと継承されていく。
また私塾における青少年教育の一環として水術の指導にも力を注いでいる。
嘉納の水術は、泳力別の班編成のもとで行われる遊泳実習という特徴を持つのに加えて、様々な海浜での楽しさも味わえるように工夫され、楽しみながら技術を覚えさせる手だてが講じられていた。
その游泳実習は、28日間もの長期間にわたって行われることもあったが、水泳の練習は午前、午後とも2 時間程度であり、学生はそれ以外の時間に魚釣り、散歩、読書、テニス、相撲…に興じるなど、比較的ゆったりと過ごしていたようである。
また游泳の練習も、打球戯を行う中で泳ぎの技術を修得させたり、巻き貝を取って潜水の技術を教えたり、波乗り、地引き網など多様であった。
加えて「段級の設置」や「游泳大会の開催」なども特徴的である。
游泳大会では、決められた泳法を披露する「式游」という泳ぎと「競泳」が行われているが、この式游と競泳の実施は、まさに柔道における形の披露や乱取りに匹敵するものであり、伝統的な柔術を「柔道」に再編したのと同様な手法とみることができる。
今日のランニングブームや水泳(スイミング)の普及をみるにつけ、嘉納の「国民体育」に対する理解と目指すべき方向は、今日の生涯スポーツの姿を先取る炯眼であったと評価できるだろう。
3)国民体育の振興とオリンピックムーブメントの結節点(大日本体育協会の設立)
改めて言うまでもないが、協会創設(1911年7月)の契機は、国際オリンピック委員会IOC)の委員就任(1909 年5 月)によって、1912 年ストックホルムオリンピック競技会への日本選手団の派遣依頼を受けたことにあった。
創設にあたっては、東京帝国大学早稲田大学慶応義塾大学、そして東京高師の関係者などを集めて、最初に日本の体育・スポーツの発展の方策を話し合い、東京における諸学校を中心にして徐々に地方の学校にも奨励していくことを決めた後に、資料をもとに古代オリンピックの概要や近代オリンピックの理念である「スポーツによる世界平和への貢献」などについて説明したうえでオリンピックの参加問題について検討する、という順序で用意周到に議事を進めたといわれている。
結果的に、一同は嘉納の意見に従い、オリンピック競技会に日本代表選手を派遣することを決議する。
所謂「嘉納趣意書」には、オリンピック競技会への参加とともに国民体育の振興という意図が示されており、体育・スポーツの組織体制の整備の必要性に合わせて、国民体育の振興(全国の都市や村落においても体育が活発に行われること)の必要性についても明確に言及されている。
畢竟「日本では殊更に別にオリムピツク会を設けるよりも、体育協会を同時に国際オリムピツク大会に対して日本のオリムピツク会とするが便利であると思つたので、体育協会をこの二重の意味を持つて居る会となし…(by嘉納治五郎氏)」というところから「日本のスポーツ振興」が歩みを始めたということとなる(「便利」ってどーゆーことだろう?)。
これらの成果およびその歴史的文脈を踏まえて、いよいよ本題の「体育・スポーツの今日的課題」にうつるべきなのだが…力尽きたorz。
というわけでつづく…