追悼レヴィ=ストロース

moriyasu11232009-11-28

『人類学者レビストロース氏死去=構造主義の父−100歳』
20世紀を代表するフランスの文化人類学者・思想家で、西洋中心型の近代的思考法を内側から批判する「構造主義」を発展させ、「悲しき熱帯」「野生の思考」などの著作で知られるクロード・レビストロース氏が10月30日死去した。100歳だった。家族に近い筋が3日、AFP通信に語った。
ブリュッセルユダヤ系フランス人の画家の家に生まれ、パリ大学で法学と哲学を学んだ。1935〜39年サンパウロ大学に赴任し、ブラジルの先住民社会に関する民俗学的調査に没頭。41年、ドイツ占領下のフランスを逃れて渡米、構造主義言語学者ヤコブソンと知り合い、影響を受けた。
ソシュールヤコブソンらの構造言語学の方法を文化人類学に導入、構造人類学を構築し、ブラジル滞在中の体験を盛り込んだ名著「悲しき熱帯」(55年)で脚光を浴びた。
59年高等教育機関コレージュ・ド・フランス社会人類学講座の初代教授となり、「野生の思考」(62年)を発表。この中で「未開」とみなされた社会の根底に独自の「構造的」知が潜んでいることを明らかにし、西欧中心型の思考体系に根本的反省を促した。
レビストロース氏の思想は、人類学の域を超えて人文社会科学全般に影響を及ぼし、「構造主義の父」と呼ばれた。実存主義をとなえた哲学者ジャンポール・サルトルとの論戦でも知られた。
(2009年11月4日 時事通信

今日(11月28日)は、故レヴィ=ストロース氏の誕生日。
親族組織から神話に至る問題についての数々の独創的研究や、高い人類学的知見に支えられた文明論によって、世界の学問・思想に広く深い影響を与えてきた人である。
もし存命であれば、今日で101歳を迎えるはずであった。
昨年の今日、すなわち100歳の誕生日には、母国フランスにて盛大な記念行事が行なわれるとともに、政府主導で人文社会科学者を対象とする「レヴィ=ストロース賞」を創設することも発表されていた。
サルコジ大統領は、会葬の折に「あらゆる時代を通じて最も偉大な民族学者であり、疲れを知らない人文主義者(ユマニスト)だった…」と哀悼の意を表したと伝えられている。
この「人文主義(ユマニズム)」という言葉の理解には若干の説明を要するが、ここでは割愛する(説明できないから)。
蛇足であるが、先のエントリーでフランスのサルコジ大統領が「国立行政学院(ENA)改革」に着手したことに触れた。
「非エナルク(非ENA出身者)」であるサルコジは、パリ(ソルボンヌ)大学の同窓であるレヴィ=ストロースに、少なからず親近感を覚えていたのではあるまいか。

レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー)

レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー)

レヴィ=ストロースの思想の特徴には、以下の点が挙げられる。
まず、「事物」を二項対立(三項定立)的に把捉する。
レヴィ=ストロースは、ソシュール言語学における「音韻論」にヒントを得て、二項対立の組み合わせによってと膨大な量の情報を表現できるという理論モデルを、人間社会の制度に当てはめることを試みる。
そのうえで、フロイトがいうところの「無意識」という概念、すなわち「直接的に意識しえないもの」「言語的に捉えられないもの」「人間がコントロールできないもの」を重視しつつ、「二項対立」や「無意識」で捉えられた事実としての「構造」を定義づけていく。
ある建物のなかを、目隠しをして歩いていたとする。
このとき、人は様々な方向へと歩行(行動)するが、いずれ建物の壁に行き当たる。
そして壁に行き当たることで、また違う選択をする。
この壁にあたるものが「構造」である。
文化は、それぞれに異なる「壁」すなわち「構造」を有しており、人はその文化の中の「構造」に影響されて行動を決定するというのが「構造主義」である(簡単に説明しすぎだけど…)。
レヴィ=ストロースが、長年の研究を通じて我々に伝えようとしているのは、人類の誕生以来、他者との「無意識の交通」という「思考法」は変化していないことであり、そのような「無意識の思考」を「言葉にできないもの」「形にならないもの」として神秘化せずに「構造主義」として形式化したところに彼の偉大さがある。

私たち自身のものに比べて、どれほど衝撃的で非合理に見えるものであっても、それぞれの社会の慣習や信仰は、ある体系をなしていること、そしてその内的均衡は、数世紀をかけて達成されたものであり、たったひとつの要素を除くだけでも、全体を解体させる危険がある(…)
(前掲書より抜粋)

また、人間は社会を構成する一要因にすぎないという考えから、サルトル実存主義やナチズム等の人間中心主義的な考えに異を唱え、「文化相対主義」の観点から、西欧文化と他文化、さらに言えば「未開」と呼ばれる地に暮らす人々の文化との間には何ら「差異」はないと強調する。

人類の歴史のおそらく九十九パーセントにあたる期間、そして地理的に言えば地球上で人の住む空間の四分の三で、ごく最近まで人びとがどのように暮らしてきたかを理解するには、これら「未開」と呼ばれる社会が唯一のモデルになるということです。
したがって私たちが学ぶべきことは、これらの社会が私たちの遠い過去の諸段階を表しているらしいということではありません。そうではなく、人間のありかたの一般的状況、共通の分母(公分母)というべきものを示している、ということなのです。この視点から見ると、西洋および東洋の高度に発達した文明こそ、むしろ例外なのです。
(前掲書より抜粋)

さらに、これら「未開」社会の小集団がもっていた「環境への適応技術」「人間を疎外しない労働感」「人口増加を抑制する知恵」「(小規模集団で生きていたために病原体も小集団でありえたという)衛生上の好条件」等々の長所について説得力のある資料をもって示しつつ、未開社会の思考をあたかも歴史の高みから俯瞰できているかのように語るサルトルらの傲慢さを辛辣に批判していく。

野生の思考

野生の思考

彼らのうちであれ,私たちのうちであれ、人間性の全ては、人間の取りうるさまざまな歴史的あるいは地理的な存在様態のうちのただ一つのもののうちに集約されていると信じ込むためには、かなりの自己中心性と愚鈍さが必要だろう。私は曇りない目でものを見ているという手前勝手な前提から出発するものは、もはやそこから踏み出すことができない。(…)
サルトルが世界と人間に向けているまなざしは、『閉じられた世界』とこれまで呼ばれてきたものに固有の狭隘さを示している。(…)
サルトルの哲学のうちには野生の思考のこれらのあらゆる特徴が見出される。それゆえにサルトルには野生の思考を査定する資格はないと私たちには思われるのである。

レヴィ=ストロースは、大学で法学部に所属して法学士号を得ているが、哲学、心理学、特に精神分析をも学び、法学部卒業と同時に、超難関といわれる哲学教授資格試験(Agrégation)に同期合格者中最年少で一発合格を果たしている。
その同期合格者であり、教育実習もともにしたとされるボーヴォワールメルロ=ポンティらとの親交は、その後も長く続いたらしい。
この時代のフランスから、レヴィ=ストロースをはじめ多くの世界的叡智が生み出されていたのは、当時のフランスがナチス占領下という「異常な状況」に置かれていたことと無関係ではないだろう。
彼らは、自分たちがフランスに残された最後の「知的・倫理的希望」であり、また自らの知的達成が祖国の知的最高水準を決めるという壮絶な自覚と覚悟をもっていたに違いない。
我が国でも、黒船襲来から幕末、明治維新に至る過程に代表される「異常な状況」において、所謂「エリート」と呼ばれる人間が輩出されている。
もちろん、現在の日本にも、権力や威信や文化資本を潤沢に享受する人間、優れた才能を有する人間、努力して高い社会的地位を得ている人間は少なからずいる。
しかし、もし今の日本に「真のエリート」が存在しないとするならば、それはレヴィ=ストロース風に言えば、今の日本が「エリートを必要としない<構造>を有する社会」だということになるのだろうか。

創造に満ちた偉大な時代とは、遠く離れたパートナーと刺激を与えあえる程度に情報交換ができ、しかもその頻度と速度は、集団・個人間に不可欠の壁を小さくし過ぎて交換が容易になり、画一化が進み多様性が見失われない程度にとどまっていた時代だったのです。
進歩のためには人びとは協力しなければ成りませんが、協力を必要かつ豊かなものにしていた多様性は、協力が持続する過程で消失していきます。あらゆる進歩は、「協力ゲーム」から生じますが、各プレーヤーのもつ資源の均質化もまた、遅かれ早かれ生じてきます。多様性こそ初期条件であるとしたら、ゲームが長びくほど、勝つチャンスは減少していくわけです。(…)
現代の人類は「世界文明」に向かっているように見えますが、この「世界文明」という考え方そのものが、「文明」の理念に含まれ、また求められるもの、すなわち、可能なかぎり大きな多様性を示す諸文化の共存─と矛盾しないでしょうか。
(前掲書『レヴィ=ストロース講義』より抜粋)

1934年に渡伯し、4年間にわたりサンパウロ総合大学で教鞭を執りつつフィールドワークに明け暮れたレヴィ=ストロースが、リオ・デジャネイロでの夏季五輪開催を知ったら果たしてどんな顔をするだろうか。
合掌。