スピードと持久力

moriyasu11232009-09-09

『長距離王者のベケレがボルトに挑戦状』
陸上で短距離と長距離の王者が中間の距離で勝負したらどちらが勝つのか−。先の世界選手権で男子5000メートルと1万メートルの2冠に輝いたケネニサ・ベケレエチオピア)が3日、同選手権の100メートル、200メートルをともに世界新記録で制したウサイン・ボルト(ジャマイカ)に「彼が応じれば、対戦する準備はできている」と“挑戦状”を突きつけた。
問題は勝負する距離。
ボルトは「600メートルなら結構走れる。800メートルより長いと勝ち目はない」と言い、ベケレは「600メートルだとボルトに有利。700メートルは欲しい」。ベケレのマネジャーも「ボルト側に打診してみる」と実現の可能性を探るつもりだ。
(2009年9月4日 日刊スポーツ)

単なるリップサービスとして受け流す(読み飛ばす)には、誠に惜しいやりとりである。
ベケレは、言わずと知れた5000mと10000mのスペシャリストであるが、1500mでも3:32.35の記録をもつ。1500mは、過去に二度ほど走っただけのようなので、しっかりと準備をして臨めばまだまだ記録を短縮する可能性も高い。
一方のボルトは、もともと200mと400mを中心にしていた選手であり、400mのベスト記録は2007年の45.28。同年、100mを10.03、200mを19.75で走ったのを契機に、100m、200mに軸足を移してきたが、今のスピードをもって400mを真剣に走ったら一体どんな記録が出るのか興味は尽きない。
もともと400mを走れる(走ったことのある)ボルトが、「600mまでなら結構走れる」という感覚はよく分かる。実際、600mを走ったこともあるだろうし(ないかもしれない)、スタートからゴールまでをある程度「想像(予測)」できるのであろう。
一方、ベケレは1500mのパフォーマンスや、5000m、10000mのラストスパートのキレを見る限り、800mでも高いパフォーマンスを示すであろうことは想像に難くない。そのベケレが、「700メートルは欲しい」というのも頷ける。
まるで総合(異種)格闘技の試合前に展開される、対戦相手とのルール調整の駆け引きをみているようである(詳しく知らないけど)。
ちなみに600〜700mあたりの距離であれば、恐らく400m(400mH)や800mを専門とする選手のなかに、彼らよりも速く走れる選手が少なからずいるはずである。
しかし「スピード」と「持久力」という言葉を代表するこの2人の英雄対決は、「この距離において一番速いのは誰か?」ということ以上に興味をそそられる。
どこまでが「スピード」で、どこからが「持久力」なのか。
海岸は、海の「終わり」か、それとも陸の「始まり」か。
真実には、明確な境界線がないことが多い。
我々の「脳」は、言葉による枠にはめられた考え方で自分のまわりの秩序を作り上げているが、我々の「肉体」は「スピード」と「持久力」を分けて考えてはいない。
それを分けているのは「思考(言語)」である。

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

われわれの日常使っているひとつひとつのことばは、その源流をさかのぼってみれば、第一次的現実から創り上げられた思考の産物、つまり第二次的現実であることに思い至る。そのことば自体がいつのまにか、第一次的現実のようになっているのも問題である。
(by外山滋比古氏)

我々が「スピード」とか「持久力」と呼んでいるものの「実態」は何なのか?
そのことをリアルに捉えていく必要がある。
ベケレ vs ボルト…今年中にやってくれないかなぁ(できれば680mあたりで)。