トレーニングの量と質

moriyasu11232012-03-21

今月6日、日本コーチング学会(日本スポーツ方法学会から名称変更)の機関誌であるコーチング学研究の編集委員会から下記の連絡(抜粋)を頂戴する。

この度,コーチング学研究25巻1号に掲載されました貴論文が「学会賞」に選考されました。
www.jstage.jst.go.jp
選定理由『1名のアスリートの成長を,3年間に渡り長期に追跡するとともに,トレーニング経過やそれに伴う様々な意味のある指標を縦断的に計測していることは特筆に値する。また,なぜそのような経過が得られたのかに関するトレーニング学的な論考も明快である。このような事例研究が,コーチング学研究に沢山投稿されることも期待して,この論文を学会賞とする。』

17日、日本コーチング学会第23回大会の総会にて、村木征人会長から賞状と楯(冒頭写真)を拝受する。
大変光栄なことである。
これを励みに今後も精進していきたい。
折角?の機会なので、以下に論文の内容(抜粋)を再録する。

<緒 言>
世界的な中距離選手を数多く育成したリディアード(1993)は,「トレーニングの究極のねらいは,簡単な話,自分が出場しようとしているレースをスタートからゴールまで,自分が目標としているタイムを出すために必要とするスピードで走りきるだけのスタミナをつけることである」と述べている.一読すると至極当然のことのように思われるが,リディアードの言う「スピード」と「スタミナ(持久力)」の本質的な意味を読み解くことはそれほど容易ではない.
800m走では,より短い距離(例えば400m)を走る「スピード」や,より長い距離(例えば1500m)を走る「持久力」が必要であると考えられているが,これを支持する根拠としては,これらの種目を兼ねる選手がいることや,AnaerobicおよびAerobicなエネルギー供給系への依存度がともに高いと考えられていること(Duffield et al.,2003)などが挙げられるだろう.
この考え方には,中距離走パフォーマンスの歴史的変遷や経験則から導き出された,ある種の本質が含まれているとみてよいが,400m走や1500m走記録の向上が800走のパフォーマンス向上に繋がらないケースがあることも看過できない.トレーニングの「特異性」という原理を踏まえれば,パフォーマンス向上のために獲得すべき能力は,あくまでもその種目の「特異性」を踏まえた「専門的」なものであるべきことは言を俟たない.
陸上競技の走トレーニングにおいては,長きにわたり「疲労物質」とされてきた「乳酸」の除去や緩衝能力の重要性が指摘され,特に準備期においてはそれらの能力向上に照準された持久的(低強度)トレーニングを行うのが一般的である.しかしながら,乳酸が単なる自由拡散ではなく輸送担体によって積極的に運ばれて代謝が継続するという“Lactate Shuttle”のフレーム(Brooks, 1986)が提示されて以来,高濃度の乳酸が筋の興奮性を持続させ筋疲労を抑制する可能性(Nielsen et al., 2001; Pedersen et al., 2004)や,細胞膜からの乳酸の放出や取り込みに関与するトランスポーター(MCT:Monocarboxylate Transporter)の存在や関与のメカニズムが示されるなど(Bonen, 2001; Hashimoto et al., 2005),「乳酸=エネルギー源」という可能性についても多数報告されてきている.
また最近では,運動による疲労を「運動を起こす側(中枢)と運動を行う側(末梢)の相互作用」として捉えるべきであるという指摘(Hargreaves,2008)が数多くなされているだけでなく,末梢から中枢へのシグナルとなるべき生理学的パラメータの探索やレース(ペース)戦略の最適化に関する実践的な研究を行っているグループもある(Lambert et al., 2005; St Clair Gibson and Noakes, 2004; Rauch et al., 2005).
これらの報告に加えて,短期間のスプリント・インターバル・トレーニング(SIT)が,持久的能力を効率よく改善するといった報告(Burgomaster et al., 2005, 2008;Gibala et al., 2006)などを勘案すれば,800m走のトレーニングや効果測定の方法についても再考を要するといえるのではないだろうか.

というわけで、本研究では『長期間にわたるトレーニング負荷の変化が生理学的指標および800m走パフォーマンスに及ぼす影響について、主に走トレーニングの走行距離と強度に着目して事例的に検討すること』を目的とした。
研究対象者(S選手)の高校時代の800m走のベスト記録は2分10秒35、大学時代のシーズンベスト記録(SB)は、1年次が2分08秒03、2年次が2分14秒84、大学3年次が2分06秒43。
期分けについては、高校3年の12月から大学1年の11月末までの1年間(大1シーズン)および大学2年の12月から大学3年の11月までの1年間(大3シーズン)を分析対象とし、12月から翌年3月末までを準備期、4月から7月末までを試合期前半、8月から11月末までを試合期後半と定義した(故障のためレースへの出場機会がほとんどなかった大学2年シーズンは分析期間から除外)。
ラボテストについては、スピード(解糖系)能力の変化を測定する方法としてMaximal Anaerobic Running Test(MART)、持久的(酸化系)能力の変化の測定およびトレーニング分析を行うための基準を導出する方法としてMaximal Aerobic Running Test(VO2-LT test)を採用した。
強度別の走行距離分析については、VO2-LT testの結果をもとに、血中乳酸2mmol/l時の走速度(vLT2)、最大下の酸素摂取量から推定するVO2max相当の走速度(vVO2max)、および各期間において最もよい800m走記録の平均走速度(v800m)とし、Z1(vLT2未満)、Z2(vLT2以上vVO2max未満)、Z3(vVO2max以上v800m未満)、Z4(v800m以上)の4つのカテゴリーを設定し、それぞれのカテゴリーに該当する走トレーニングの走行距離を積算した。
上記の詳細については、拙稿をお読みいただきたい。
以下に、結果および考察(抜粋)を示す。

<大1シーズンにおけるトレーニング,生理学的指標およびパフォーマンスとの関係について>
高校時代のS選手とコーチとの間には,準備期のトレーニングでは走行距離を確保することが最優先であるという共通認識があった.また,積雪の影響により屋外での走トレーニングが可能になるのは3月に入ってからという環境にあったことから,校舎内の廊下や階段を用いたトレーニング(S選手の感覚的にはvLT2〜VO2max強度)を週3回程度行うとともに,走トレーニングで強度を上げられない部分については自転車エルゴメーターを用いたトレーニング等で補うというのが準備期の通例であった.

準備期の総走行距離(1247km)に占めるZ1およびZ2(1016km + 159km)の割合が約94%にも及んでいることからも,この時期に低強度の走トレーニングが重視されていたことが伺える.
一方,大学入学後のS選手とコーチとの間には,800m走のレースペースを強度設定の基準と考え,「レースペース以下」,「レースペース」,「レースペース超」および「レースシミュレーションとコンディショニング」という4段階の負荷調整による走トレーニングでレースに向けた準備を行うという流れについての共通認識があった.
試合期前半は,上記の流れを意識しながらトレーニングを進めていく過程で,6月には当時の自己ベスト(PB)記録(2分8秒03)をマークし,その後アジアジュニア選手権の日本代表にも選出されている.(…)
試合期後半は,800m走でレベルの高い試合が比較的少なく,また年間を通して積極的に1500m走レースに出場していたこともあり,800m走での更なるPB(SB)記録更新には至らなかった.しかしながら,(…)「競技的状態(sports form)」の判定基準であるSB記録のマイナス2%レベル(村木,1999)をクリアした8レース中3レースは試合期後半のものであり,この期間に1500m走でPB記録(4分25秒20)をマークしていることなどを勘案すると,試合期を通じて競技的状態が維持されていたとみて差し支えないだろう.
総走行距離および強度別の走行距離については,試合期の前半と後半との間に大きな差は認められなかった.また,Z1の走行距離が,準備期(1016km)だけでなく試合期前半(985km)から後半(1075km)にかけても維持されていたことについては,高校時代からもっていた「走行距離の確保も重要である」という考え方から,試合期における早朝練習や調整練習(積極的休養)において積極的に低強度の走トレーニング(ロングジョグなど)を取り入れていたことによると考えられる.
試合期後半(11月)に行われたVO2-LT testの結果においては,試合期前半(6月)と比べて大きな変化はみられなかったが,MARTの結果においては,VmaxやPBLaなどのスピード(主に解糖系)に関連するとされる指標や,解糖系(乳酸の産生)および酸化系(乳酸の利用)を勘案した総合評価指標(森丘ほか,2003a; 2003b)とされているV40%LaやV60%Laにおいて向上傾向が認められた.
これらの結果は,走行距離で培う持久力をベースとしながら,高強度トレーニングによるスピードをかみ合わせていくというトレーニング過程が,高校から大学へのスムーズな移行と中距離走パフォーマンスの向上につながったことを示唆しているといえるだろう.

<大3シーズンにおけるトレーニング,生理学的指標およびパフォーマンスとの関係について>
S選手は,大1から大3シーズンにかけてPB記録を1.60秒更新しており,競技的状態の判定基準以内におさまるレースの平均記録も2.23秒の向上を示している.このことは,S選手のパフォーマンスレベルが大3シーズンにおいてさらに向上したことを示すものであるといえるが,加えて試合期前半(6月)にマークしたPB記録(2分6秒60)を試合期後半(9月)に再び更新(SB:2分6秒43)するなど,800m走の競技的状態が試合期を通じて維持されていたとみることもできるだろう.
大3シーズンのトレーニングの最大の特徴は,日本選手権など高いレベルの試合での上位入賞を目標にしていたことから,レース前半からの速いペースに対応することを最重要課題として,準備期から高強度(レースペース超)の走トレーニングの割合を大幅に増やしたことにある.
大1シーズンと大3シーズンの走行距離を比較してみると,まず目につくのは1シーズンの総走行距離の大幅な減少(3540km→2053km)である.期分け毎にその内訳をみると,準備期(1247㎞→659㎞),試合期前半(1103㎞→701㎞),試合期後半(1190㎞→693㎞)といずれの時期においても約40〜50%の大幅減を示しているが,そのほとんどはZ1(3076㎞→1664㎞)とZ2(199㎞→74㎞)という,いわゆる低強度トレーニングの減少によるものである.
一方,最も強度の高いZ4の走行距離は約35%(170㎞→232㎞)もの増加を示しているが,そのほとんどが準備期における増加(26㎞→76㎞)によるものである.
上記のような大胆なトレーニング内容の変更を受けて,MARTおよびVO2-LT testに関する全ての指標が大1シーズンの同時期との比較において向上を示したが,さらに大3シーズンの準備期から試合期にかけて,VmaxやPBLaなどスピード(解糖系)能力に関連が深いとされる指標だけでなく,vVO2maxやvLT4などの持久系(酸化系)指標にも向上傾向が認められたことは興味深い.


一般に,中距離走のトレーニングでは,準備期において低強度トレーニングによってベースとなる持久的能力を高め,試合期に向けて徐々に高強度トレーニングを行っていくことが望ましいと考えられているが,その根底には,「スピード(≒Anaerobic)」)」と「持久力(≒Aerobic)」との間にはトレードオフの関係があるという先入観が横たわっている.
しかしながら,近年,SITがミトコンドリア内の酵素活性,筋グリコーゲン量の増加,筋の酸化および緩衝能力,さらには持久的パフォーマンスを向上させることも報告されている(Burgomaster et al., 2005;Gibala et al., 2006).Coyle(2005)は,上記論文の批評において,「持久的パフォーマンスの改善=持久的トレーニングという考え方は,陸上競技における一流中距離選手の間では受け入れられていない.なぜなら,彼らはずっと昔から高強度のインターバルトレーニングが持久的能力も改善することを知っているからである」とコメントしているが,持久的トレーニングに比べて休息を含めた総トレーニング時間が短いことも,極めて効率のよいトレーニングであると認識される所以である.
大3シーズンの取り組みでは,走トレーニング以外の技術トレーニング(バウンディング,ミニハードルを用いたドリル,レッグランジおよびそり引き歩行,スキップなど)の頻度(14回→40回)や完全休養日数(37日→72日)が大幅に増えているが,これも低強度の走トレーニング時間とのトレードオフによるものである.
大3シーズンの取り組みは,高強度の走トレーニングと休養および走トレーニング以外のトレーニングを効果的に組み合わせることによって,準備期から試合期にかけて起こるとされるスピードと持久力のトレードオフを回避しつつ,800m走パフォーマンスを向上させることが可能であることを示唆しているといえるだろう.
中距離走レーニングへの示唆>
大3シーズンにおけるZ4は,試合期前半(87km)に比べて試合期後半(69km)の方が少なかったが,試合期前半ではレースペースに近い強度での400〜600m走(60〜90秒程度)が多かったのに対して,試合期後半は,300m以下の距離をほぼ全力に相当する強度(45秒以下)で行う走トレーニングを頻用していた.
十種競技選手が,高強度の走トレーニングを中心に取り組みながら400m走記録を約1秒短縮していく過程において,Laの絶対値を基準に推定された指標(V3mMからV10mM)は低下を示したものの,PBLaに対する相対値を基準に推定された指標(V40%La,V60%Laなど)において向上を示したという報告(森丘ほか,2006)もあるが,S選手の大3シーズンにおけるMART結果の推移にも同様の傾向が見てとれる.
遅筋線維や心筋に多く存在しLaの取り込みに関与するといわれるLa輸送担体のMCT1や,速筋線維に多く存在しLaの放出に関与するMCT4の濃度は,トレーニング強度によって選択的に応答することが指摘されている(Evertsen, 2001).レースを含む高強度トレーニングは,このような末梢における様々な適応の総体としての解糖系能力を向上させ,結果的にLaが有意に増加するなどの変化として表れると考えられる(Svedenhag and Sjodin, 1985).
特に中距離走(800m走)においては,より速いペースでの走トレーニングによって速筋線維を積極的に動員して乳酸を多く出すことによる「速筋線維の遅筋線維化(八田,2009)」が求められるが,レースペースを超える高強度トレーニングにおいても負荷のかけ方次第で,引き出されるトレーニング効果は異なると考えられる.
村木(2007)は,期分け論における体力面への傾斜が顕著であることを踏まえたうえで,有用な実践理論の構築には技術・体力の相補性原理を包括する統合理論が不可欠であると指摘している.この「技術・体力の相補性原理」の理論化とは,巧みな動きやよい動きに内在する「運動技術」について,運動課題を達成するために「生理的エネルギー(発生エネルギー)」を「力学的エネルギー(出力エネルギー)」に変換し,その力学的エネルギーを運動課題に応じて効果的に使うための運動経過(阿江,1996)として包括的に捉えるべきであるという指摘にほかならない.
レーニング負荷は,いわゆる体力論的には,運動の強度,時間,頻度および休息時間によって決まるとされているが,そのトレーニング(運動)にどのくらい心理的・技術的な要素が考慮されているかによって,その効果は大きく異なると考えられる.心理・技術・体力に分けて切り出した個別のトレーニング負荷をいくら増しても,それらが有機的に重なり合う部分,すなわちその競技(種目)の特異性を踏まえた専門的トレーニングが実践されなければパフォーマンス向上は望めないが,反対に心技体の相補性が考慮されたトレーニングを実践することによって,その効果を最大限に引き出すことが可能となる.

一例を挙げれば,S選手が積極的に取り組んだ「技術走」は,レース分析のデータをもとにモデルペースを想定し,800m走のスタートからオープンコースになる120mまでをスムーズに加速しつつ,さらに集団での位置取りポイントとなる200m通過あたりまでを効率よく,すなわち「楽に速く」通過するための運動技術を身につけることに主眼を置いた専門的「技術」トレーニングである.
しかしながら,このトレーニングも,実施する本数や休息時間の工夫次第では負荷の異なる専門的「体力」トレーニングにもなり得るし,正確性を追求すれば周囲に惑わされない自信を深めるための専門的「心理」トレーニングにもなり得るのである.
レーニングの本質は,種々の運動の反復による変化と安定の絶えざる更新であり,実践に有用なトレーニング理論を展開するには,まずその本質を相対関係として認識し,それらの関係性の変化もしくは契機についての理解を深める必要がある(村木,2007).
したがって,S選手のトレーニング過程を読み解く際の要諦は,限りなくトレーニング実践の「質」を高めようとした結果,走速度や走行距離といった「量」的なトレーニング負荷が変化したという因果の関係性を過たないことにあるといえるだろう.
もちろん,その確度を高めるためには,本稿で扱いきれなかった詳細なパフォーマンス分析だけでなく,研究方法や仮説の前提となる理論的枠組み自体を問い直すような研究も必要になるだろう.

大事なことなので繰り返すが、このプロセスを読み解く際の要諦は『限りなくトレーニングの「質」を高めようとした結果,走速度や走行距離といった「量」的なトレーニング負荷が変化したという因果の関係性を過たないこと』にある。
レーニングの「量(走行距離)」や「強度(走スピード)」を高めるには限界があるが、量と強度の無数の組み合わせ(量的負荷)に盛り込むべき「質(的負荷)」は無限である。
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この度の受賞を共著者に伝えた際に、本研究の対象者でありセカンドオーサーでもあるSさんから下記のリプライを頂戴した。

この度は、学会賞の受賞おめでとうございます。
私自身の競技への取り組みを新しい視点を加えてまとめてくださり、それが評価されたこと、本当に嬉しく思います。
これまでの競技・研究活動を通して学んだことをさらに深め、これからは指導者として活かしていけたらと思います。
今後ともご指導の程よろしくお願いいたしします。

彼女は、来年度から故郷に戻って高校教員(指導者)の道を歩み始める。
スポーツ(陸上競技)は、このような素晴らしいアスリートと出会う機会を与えてくれるという意味で、少なくとも私の人生においては「不可欠の文化」となっているのである。
共著者ならびに学会関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。