相補的トレーニング(その2)

moriyasu11232009-06-22

4.3 動きや感覚を重視したトレーニン
これまで述べてきた全てのトレーニングに関わる大きなテーマとして,動きや感覚を重視したトレーニングの重要性が挙げられる.動きの意識や感覚を大切にすることの重要性は,一般論としては誰もが理解しているかもしれないが,トレーニングの具体論に踏み込んだとたんに,ドリルなどの動きづくりや筋力トレーニングの是非といった議論に矮小化されてしまう.しかしながら,動きの意識や感覚を大切にするトレーニングは,日頃行っている走トレーニングのなかでも十分に工夫が可能であり,またそういうトレーニングの中から新たな動きのコツを発見することの方が多い(金高,2004)のである.
疲労への対処という点で言えば,「疲れてからどうするか」ではなく「疲れる(と感じる)前にどうするか」,すなわちレース後半の疲労(疾走速度低下)に対して,最高疾走速度の向上や,レース前半のペース配分および動きの効率化による努力感の逓減を指向し続けるという視点があってもよいと感じる.S選手が準備期から積極的に取り組んだ「技術走」は,まずレースパターン分析のデータをもとにモデルペースを想定し,800m走のスタートからオープンコースになる120m付近や200mあたりまでを効率よくモデルペースで通過するための走技術を身につけることを主目的としたトレーニングである.しかし,このトレーニングも,休息時間や本数を工夫すれば専門的な体力トレーニングにもなり得るし,正確性を増すことを目指していけば,周囲に惑わされずに自分のレースを組み立てられるという自信を深めるためのメンタルトレーニングにもなり得るのである.
また,レペティションやインターバルといった,いわゆる「高強度(レースペース)トレーニング」についても,予め設定した距離や本数をこなすことを優先するのではなく,設定ペースを維持できなくなった時点で終了し,なぜ走速度を維持できなかったのかを振り返るようなトレーニングがあってもよいと感じる.このようなトレーニングには,一定の走速度を維持することが可能なトレッドミルなどの機器を活用することも有効ではないか.さらに,ラップタイムなどを読まずに自分の感覚(努力感)でペースを調整させるトレーニングを組み込むことによって,周囲のペースに惑わされない自分なりの時計や感覚を持つことができ,レースペースを最適化することが可能となるだろう.実は,このような考え方は,すでに歴代の多くのトップアスリートが,トレーニングの重要なポイントとして再三指摘し続けていることなのである.
(拙稿「乳酸を手がかりとした相補的トレーニングの創発陸上競技学会誌 第7巻1号より抜粋)

確かハードル部長の現役時代に、ラストの直線での速度低下を抑えるために「笑って走る」ことを実践していたことがあったはずである。
そして、年配のお偉い方に「笑いながら走るとは何事か!」と叱責されたというオチがついた記憶がある(違ってたらゴメンね)。
ここに、「耐える」「我慢する」ことを好む日本人のハビトゥスの一端をみる。
そして、それは「長所」にも「欠点」にもなり得る。
そのことをリアルに問う必要がある。

おわりに
最近, Journal of Applied Physiologyなどの学術雑誌において「疲労カニズム」に関するレビューや誌上討論が盛んに行われている.疲労のメカニズムを研究しているその道の大家達が,疲労の原因は中枢?末梢?代謝産物?酸素?体液?イオン?環境温(体温)?といった持論を展開しつつ,最後はそれらの「相互作用」や「心理(mental)」の重要性を指摘している.その討論の中でHargreaves(2008)は,疲労と運動制御に関する理解を深めるためには,中枢と末梢の相互作用について綿密に調べるための複雑な実験が必要であるとし,例えば,様々な運動中に機能的磁気共鳴映像法(fMRI),脳皮質の分光学的解析,磁気による電気刺激や薬理学的遮断といった様々な実験技術の同時適用が必要となると述べている.いかにも基礎科学の研究者らしい発想であるが,おそらくいくら多くの科学的分析手法を同時適応したとしても,そのメカニズムが“本質的に”解明されることはないだろう.皮肉なことに,数多の分析手法が開発され,基礎的な研究が進めば進ほど,疲労カニズムの複雑性が顕在化するということを,これらのレビューは雄弁に物語っている.
しかしながら,そのことを理由に,このような研究の意義を相対化し,ニヒリズムに陥るのは短絡である.これらの基礎研究によって,疲労に挑むトレーニングを創発するためには,多くの要素の相互作用や心理についても熟慮する必要があることが示されたことの意味は大きい.さらにいえば,現場の指導者や選手は,疲労のメカニズムについて詳細かつ正確に知る必要はなく,実践の中で疲労を回避(先送り)するための方法(トレーニング)を見つけ出しさえすればよいのである.
斯界では「エビデンス」という言葉が飛び交う昨今であるが,エビデンスベースドだけが「科学」ではない.「スピード」と「持久力」を同時に高めるトレーニングを発想するというのは,従来の理論とは「辻褄が合わない」かもしれない.しかし,従来の理論では説明できないが,そのトレーニングの存在を仮定しないと「辻褄が合わない」場合には,その存在を仮説的に想定して次に「辻褄が合わなくなる」まで使い続けるべきであり,そのような態度のことこそ「科学的」と呼ぶのではないだろうか.
レーニングの現場では,「理論」とは辻褄が合わないが,「実践(感覚)」とは合うということがよく起こる.この「理論」と「実践」のあいだを架橋するのは「身体」である.我々の研究は,理論構築を目指すために限りなく理論的でなければならず,実践に還元するために限りなく実践的でなければならないが,そのためには常に「身体の声」に耳を傾けながら研究を進めていく必要があるだろう.
(前出拙稿より抜粋)

おわり…