相補的トレーニング(その1)

moriyasu11232009-06-18

ブログを書き下ろす時間がない(断じて忙しくはない)。
起床からてきぱきと準備しないにもかかわらず「ぜんまいざむらい(録画)」を見る時間がなくなったと嘆く愚息に、「時間は自ら作り出すものである」とたしなめつつ保育園へとダッシュ(牽引走)していた今朝を自戒しつつ、ある学術誌に寄稿した論考の再録という常套手段でこの危機?をすり抜けてみたい。
前段(第3章まで)を省いているので「なんのこっちゃ?」の感もおありだろうが、そこはコチラを併せてご参照いただきたい。

4.1 「耐乳酸」から「使乳酸」へのイメージ転換
「耐乳酸」という言葉ができて以来,疲労状態に耐えることをトレーニングの主目的にすることも少なくないが,感覚的に「苦しい」「きつい」トレーニングが,必ずしも狙い通りの効果を引き出せているとは限らない.疲労により動作が乱れ,走速度も低下している状態を持続することは,悪い動きを継続・反復することにもなるため,技術(スキル)の獲得という観点でみれば効果的なトレーニングとはいえないこともある.反対に,疲労感も少なく,最後までリラックスして走りきれたときの方が,走行後の血中乳酸(BLa)濃度が高いことも多い.また,多くの選手達が,動きの「コツ」を獲得してパフォーマンスが向上する過程で,本人の予想以上に努力感が軽減された,すなわち「楽(らく)」に走れるようになったと感じているのもまた事実である.Noakesらのグループが指摘するように,末梢と中枢(脳)の相互連関システムで疲労シグナルを感知して運動をコントロールしているとするならば,乳酸に「耐える」から「使う」へとイメージを転換することによって,中枢にも何らかの影響(変化)を与え,トレーニング効果やパフォーマンスに差が生じる可能性にも期待してみたくなる.いずれにせよ,「速い選手=最後まで疲れなかった選手」と捉えることは,トレーニングの本質を考える上で,極めて重要な視点であるといえだろう.
以上のことを踏まえて,「乳酸をより多く出し,より多く使う」というイメージで,トレーニングを組み立てることを推奨してみたい.乳酸をより多く出すということは,すなわちFT線維を積極的に動員することであり,より速いペース(モデルとなるレースペース付近)のトレーニングが必要となる.それは,いわゆる「乳酸シャトル」を高速回転させつつFT線維(主にTypeIIa)のST線維化を促すようなイメージの,すなわち生理学的に言えば「酸化系」と「解糖系」の能力を同時に改善するためのトレーニングを「創発」するという方向性でもある.
(拙稿「乳酸を手がかりとした相補的トレーニングの創発陸上競技学会誌 第7巻1号より抜粋)

「きつい」と感じるトレーニングが必要ないのではない。
「きつい」と感じるまでの時間(距離)をいかに先送りできるか、「きつい」と感じてからいかに(スピードを著しく低下させずに)粘れるか」が勝負になるという意味である。
そして、そのために必要なトレーニングの「強度」と「量」のバランスを追い求めるべきなのである。
そもそも「強度」と「量」に分けること自体がナンセンスなのかもしれない。
そういう発想から心技体の「相補的トレーニング」が「創発」される、と思う。

4.2 高強度(レースペース)トレーニングによる酸化的能力の改善
レーニング「量」と「質(強度)」のどちらに軸足を置くべきかということがよく話題になる.無論,両者のバランスが重要であることは改めて言うまでもないが,日本では「量」をこなすことが重視されている感がある.この背景にあるものとして,これまでに日本のスポーツ界が培ってきた独特の“トレーニング観”の影響も大きいが,1分程度の最大運動パフォーマンスにおける酸化系能力の重要性に関する指摘(麻場ほか,1990)の存在も見逃せない.しかしながら,先にも述べたように,ベースとなる持久的能力(例えばVO2maxやLT)の向上に,いわゆる「持久的トレーニング」が必須であるというわけではない.
Coyleは,先に示したSITの合理性を主張する論文の批評において,その内容を評価するとともに,「持久的パフォーマンスの改善=持久的トレーニングという考え方は,陸上競技における一流中距離選手の間では受け入れられていない.なぜなら,彼らはずっと昔からSITが持久的能力も改善することを知っているからである.」とコメントしている.これは,SITの時間効率のよさが経験的に既知であることを示すのみならず,中長距離走のトレーニングを再考する上で極めて示唆的である.また,週160kmに及ぶ距離を走る「マラソンコンディショニング・トレーニング」を重要なトレーニングのひとつに位置づけ,多くの一流中長距離選手を輩出したアーサー・リディアード(1993)は,『トレーニングの究極のねらいは,簡単な話,自分が出場しようとしているレースをスタートからゴールまで,自分が目標としているタイムを出すために必要とするスピードで走りきるだけのスタミナをつけることである』と述べており,実は低強度の長時間走(LSDなど)に対しては否定的であることも見逃してはならないだろう.
海外の一流選手のトレーニングメニューを概観したとき,その種目を問わず「強度(走速度)が高い」「量(本数)が少ない」「休息が短い」と感じることがしばしばあるが,その「違和感」にこそ,我々のトレーニングに関する「常識」を覆すためのヒントが隠されているのではなかろうか.
(前出拙稿より抜粋)

「自分が目標としているタイムを出すために必要とするスピードで走りきるだけのスタミナ…」
さすがはリディアード、間然するところがない。
ここでいう「スピード」はすなわち「スタミナ」であり、「スタミナ」はすなわち「スピード」でもある。
なにやら禅問答めいているが、「スピード」と「スタミナ(持久力)」を分けて考えることにより、実はトレーニングの本質から遠ざかっている可能性があることを自覚する必要があるのではなかろうか。
つづく…