赤坂清話

moriyasu11232009-09-13

一昨日、「嘉納治五郎IOC委員就任100周年記念事業」と銘打たれた「国際青少年スポーツセミナー」に参加。
テーマは、「青少年とオリンピックムーブメント 青少年とアンチドーピング」。
会場は、赤坂の一等地にそびえ立つANAインターコンチネンタルホテル東京
我が職場の創設者である嘉納治五郎氏の業績を映像で振り返った後、イギリスオリンピック協会(BOA)のオリンピック・パフォーマンス・ディレクター(?)であるクライブ・ウッドワード卿による「青少年とオリンピックムーブメント」と題したイギリスの選手育成・強化システムについてのレクチャーを拝聴する。
プロフィールによると、イギリスが2003年のラグビー・ワールドカップ大会で優勝したときの監督でもあるようだ。
ラグビーフットボール発祥の地であるイギリスでは英雄なのだろう。
そういえば、午後の基調講演者として呼ばれているイスマイル・ジャコエット博士も、南アのラグビー・ユニオンの主治医となっている。
登壇者にラグビー関係者が多いのは気のせいか?(まいっか…)
イギリスの強化システムやその考え方において学ぶべきところは少なからずあったが、最も目(耳?)を引いたのは、とある自閉症のバスケットボール選手に話が及んだところである。
ウッドワード卿は、それまでバスケットボール部の裏方に徹していた自閉症の学生が、監督の配慮によって試合に出場し、スリーポイントシュートを複数回決めるなどの活躍をみせてそのゲームに勝利し、多くの仲間からの賞賛を得たという米国のニュース映像を見せながら「彼が真のチャンピオンである!」と連呼していた。
いかにもアメリカ人が好みそうなこの映像は、ハリウッド映画よろしくチームの劇的な勝利と関係者の感動的なコメントをもって幕を閉じる(英語だったのであくまでも想像)。
他者とにせよ、自分とにせよ、それを一回性の「戦い」であると捉えれば、「勝利(または敗北)」によって終結する。
しかし彼の「戦い(人生)」は、この試合のあとも続いている。
これを単なる「感動的な出来事」で終わらせないためには、そのことに思い至らしめる必要があるだろう。
昼食を挟んで(食べてないけど)、「青少年とオリンピック・ムーブメント〜選手強化の視点から」と題したシンポジウムを拝聴。
先に登壇したウッドワード卿ほか、日本オリンピック委員会JOC)のお歴々が司会者&シンポジストとしてご登壇。
JOC幹部によれば、金メダルの獲得率で、ロンドンでは5位、その次のオリンピック(東京?)では3位に入るというのがミッション(目標)なのだそうである(その根拠は提示されず…)。
フロアからもいくつか質問が出たが、イギリスの潤沢なスポーツ財政(補助率やその使い道など)に関するものが多かったせいか、ウッドワード卿はやや辟易とした様子で「金がすべてではない」というようなニュアンスのコメントをしていた(ようにみえた)。
『「金」という字はあるけれど 「カネ」とよむのか 「キン(メダル)」なのか(by詠み人知らず)』
また、スポーツの意義や価値として「夢と希望を与える」「教育(人づくり)」「社会性の涵養」「健康」といったことが挙げられていたが、正直言ってこれらも「理念なきレトリック」にしかみえない。
スポーツをすれば、すべての人間に「健全な精神」が宿り、優れた「社会性」を帯び、「健康」が得られるわけではない(そういう人もいる)。
逆にスポーツをしているが故に、「不健全な精神」が宿り、「社会性」をもたない「不健康」そうな御仁もいないわけではない。
さらにスポーツをしていなくても、「健全な精神」が宿り、優れた「社会性」を帯びた「健康」的な御仁は数多おられる。
したがって、これは「因果関係」ではもちろんなく、いわんや「相関関係」のエビデンスとしても心許ないと言わざるを得ない。
確実に言えることは、スポーツに没入することによって、相対的に「他のことをする時間がなくなる」ということだけである。
ウッドワード卿も、似たようなことをさらりとコメントしていた(が誰も拾わなかった)。
そもそも我々が言っている「健全な精神」「社会性」「健康」とは、一体何を指しているのか?
「我々はメダルの数だけをカウントしているわけではない」とJOC幹部はいうが、もしそうであるならば、スポーツ界はもちろんのこと、その外延に向けてどんな「メッセージ」をどのように「発信」していくべきなのかについての根源的な議論が必要なはずである。
それなしにば、セミナーのレジュメにある「スポーツの本質的な問いを通して幅広い視点を共有する」という趣旨も画餅と言わざるを得ない。
会場ホテルから六本木通りを挟んで反対側の坂上に、勝海舟の邸宅跡がある。
もともと氷川小学校の敷地であったが、近隣の小学校の統廃合を経て、現在は赤坂小学校とその名を変えている。
氷川清話」が座右書である身としては、一度は足を運んでその空気を吸っておかねばなるまい。
昼休みに、氷川界隈を散策する。
「赤坂」という名の通り坂の多い地区であるが、昔は相当遠くまで見渡せたであろう坂の頂にその場所はあった。
冒頭写真は、邸宅跡の目印である銀杏の大木。
樹齢三百年はあろうかというこの大銀杏は、もともと勝の屋敷の裏庭にあったが、教育のためならと邸内の一部を提供したときに、学校の正門にあたる現在の場所に移し替えたらしい。
樹下には「勝安芳邸址」と刻まれた伊予の青石碑がある。

赤坂(氷川)小学校では、いまだに「勝海舟先生」と敬意を込めて呼び習わし、折々に氏の偉大さを教え伝えられてきているようである。
青年時代、貧困のうちにあった勝は、オランダ語の辞書を買う金がなかったため、遠く持ち主のもとに毎晩通いつめて二冊分を書写し、一冊は自分のものとし、もう一冊は売って学費にしたという。
この手の逸話は枚挙にいとまがなく、いずれも勝の「努力と情熱」を象徴するエピソードとして後の世に語り継がれている。
しかし勝は、後世に語り継がれるために毎晩書写に精を出したのであろうか。
無論そうではあるまい。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

何のために苦学するかといえば、一寸と説明はない。前途自分の身体は如何なるであろうかと考えたこともなければ、名を求める気もない。(…)ただ昼夜苦しんで六かしい原書を読んで面白がっているようなもので、実に訳のわからぬ身の有様とは申しながら、一方を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、おのずから楽しみがある。(…)貧乏をしていても、粗衣粗食、一見看る影もない貧書生でありながら、智力思想の活発高尚なることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かしければ面白い、苦中有楽、苦即楽という境遇であったと思われる。(…)
今日の書生にしても余り学問を勉強すると同時に始終我身の行く末ばかり考えているようでは、修行は出来なかろうと思う。さればといって、ただ迂闊に本ばかり見ているのは最も宜しくない。宜しくないとはいいながら、また始終今もいう通り自分の身の行く末のみ考えて、如何したらば立身が出来るだろうか、如何したら金が手に這入るだろうか、立派な家に住むことが出来るだろうか、如何すれば旨い物を食い好い着物を着られるだろうか、というようなことにばかり心引かれて、齷齪勉強するということでは、決して真の勉強は出来ないだろうと思う。
(by福沢諭吉氏)

福澤諭吉は、この「福翁自伝」や「痩我慢の説」のなかで、幕臣でありながら明治新政府に仕えた勝や榎本武揚らを名指して「やせ我慢」をせぬものと批判している。
その批判に対する勝の返事はこうである。
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存候(世に出るも出ないも自分がすること、それを誉める貶すは他人がすること、自分は預かり知らぬことである)」
このやりとりは、二人のキャラクターがよく顕れていて実に面白い。
恐らく、お互いに「ウマの合わない奴(関西人と江戸っ子だし)」と感じつつも「気になる存在」ではあったのだろう。
この二人の信念、関心、立場は、それぞれに異なるものである。
しかし「苦中有楽、苦即楽」ということが、パフォーマンスを高めるための「本質」であるということだけは共有されていたのではないだろうか。
もし勝が生きていたら、「スポーツってぇのがなんなのかよく分かんねぇけど、ほんとうにやりてぇんならとことんやんなよ」と一笑に付されるに違いない。