思い込みと信念

moriyasu11232009-04-01

『陸上:インナーマッスル「大腰筋」 日本陸連ケニア勢のツボ発見』
◇マラソン強化の切り札に
陸上の長距離界を席巻するケニア勢は、日本選手と比べて、腹部のインナーマッスル(深層筋)である大腰(だいよう)筋が発達していることが、日本陸上競技連盟科学委員会の研究でわかった。これまで国際陸連の研究などでは、「ひざから下の下腿(かたい)が細くて長く、骨盤が前傾している」と骨格面で特徴づけられていた。人種的な体形ではなく、鍛えられる筋肉に違いを見つけることで、競技力の差を縮められるか。日本勢の今後の強化が注目される。
大腰筋は大腿(だいたい)骨と脊椎(せきつい)をつなぐ。上半身と下半身を結ぶ唯一の筋肉で、姿勢を保ったり、太ももを上げるなど股(こ)関節の運動に使われ、短距離種目では「スピードを高める筋肉」として注目されてきた。
科学委は日本の実業団や大学に在籍するケニア選手6人と、日本の有力選手6人について、国立スポーツ科学センター(JISS)を使って詳細に検査。ケニア選手の方が、酸素消費が効率的で、走る時にけった脚を前に出すスピードが速かった。体格面では、一般的に腹筋と呼ばれる腹直筋や背筋と呼ばれる広背筋には差がなく、大腰筋の断面積はケニア選手が38.5平方センチ、日本人は35.1平方センチと大きな差があった。
科学委員会は「脚を前に出す時、ケニア選手は大腰筋を一瞬だけ使って振り子のように出す。日本人は脚全体の筋肉を使うためエネルギー効率が落ちる。鍛えられる部分なので、強化は可能」と結論づけた。28日から大阪で開かれるランニング学会で、同委員会の榎本靖士・京都教育大准教授が発表する。
(2009年3月21日 毎日新聞大阪夕刊)

3月28〜29日に大阪学院大学で開催された、第21回ランニング学会大会に参加。大学院で同門の榎本氏から、学会の際に日本陸連強化副委員長も交えて、プロジェクトの今後の方向性を検討するから「必ず来い!」というご下命(後輩なんだけど…)を受け、大阪まではせ参じた次第である(関係者の皆様、お疲れ様でした)。
実は少し前に、米国でトレーニング中の為末大選手から、「信念がある選手と、思い込みが強い選手の違いなんかも書いてみてください」というリクエストを頂戴していた。
たいへん興味深いテーマであり、いずれ書いてみたいと思っていので、行きの帰り新幹線や学会期間中につらつらと拙い思索を進めていた。学会というのは、「思い込み」や「信念」の事例には事欠かない場所でもある。
で、戻ってみたら、すでにご自身で書いているじゃあ〜りませんか。
ぐっときたサイドラインを以下に示す。

  • 簡単に、信じれば叶うと言いましたが、信じるというのは実は非常に難しい事です。ちょっとそう思うというレベルではなく、地球が丸いというくらいに自然に思えなければならないからです。それは自分との戦いであり、それから他人の思い込みとの戦いでもあります。(…)根拠はありません。根拠がないものを本気で信じなければならないのです。根拠とは、他人と自分への説明です。将来そうなる事への説明をしなければ、仮に他人は騙せても、自分自身を騙す事だけはできません
  • さてひねくれ者な私は最後にもう一言申し上げます。『成功者は成功法則に従って生きている。けれども成功法則に従って生きたとしても、成功するとは限らない。そして法則に従った人間の中で、成功した人の本やメッセージしか世の中には残らない』

(2009年3月29日 為末大氏ブログ「思い込みと成功法則」より抜粋)

むむむ・・・ほとんど書くことがなくなってしまった。
といって書かないのもつまらないので、「文脈」はほとんど同じだが、少し「文体」を変えて表現してみたい。
そもそも「思い込み」と「信念」の定義には、どのような違いがあるのだろうか。
広辞苑(第五版)にはこうある。

  • 思い込み:①深く愛する。強くひかれる。②固く決心する。③すっかり信じてしまう。深く心に思う。
  • 信念:ある教理や思想などを、固く信じて動かない心。

う〜ん、ますますよく分からなくなってきたが、とりあえずいってみよう(byいかりや長介
偉業を成し遂げる人間のすごさは、それを達成するための「能力(スキル)」を持っているということだけではない。
彼らのほんとうのすごさは、不可能だと思われていることが可能であると本気で「思い込み」、実現に向けたあらゆる「努力」を惜しまず、最後には「結果」も出すということにある(でないと偉人にならない)。
聞けばケニア人は、隣近所や親戚からトップアスリートが輩出されたときに、「なんや、あいつにできるんやったら、わしにもできるわ(なぜか関西弁)」と本気で「思い込み」、それを行動に移せる人種のようである(by忠鉢信一氏)。
そういう「思い込み」をもちつつ、成功に動機づけられた多くの人間が、それこそ国をあげて走っているのがケニアを含めた東アフリカの現状にほかならない。
私事で恐縮だが、高校生のときに今井美樹と結婚したい(できる)とかなり本気で思っていた。
結局それは叶わなかったが、そう「思い込んで」いたからこそ、それ以上に素晴らしい伴侶を得ることができたわけである。
「どんなにあざといペテン師も、自分に嘘はつけない。(by布袋寅泰)」
閑話休題
ケニア人と日本人に様々な「違い」があるというのは事実である。
そして、これまでにも「遺伝?食生活?心肺機能?通学距離?最大酸素摂取量?筋肉のエネルギー代謝自然淘汰による進化?酸素消費量?水分補給?脂肪のエネルギー化?膝下の長さと容積?体重の軽さ?メンタリティ?練習量?キャンプという仕組み?ハングリー精神?人間性?酸素の働き?歴史?モチベーション?知性?筋肉の質?…」といった観点でその「違い」について論じられてきた。
そしてこれらの多くは、有意差を示すデータとそれを反証するデータが示されており、どれも「パフォーマンス」の決定要因とは言い切れないということになっている(忠鉢氏の著書に詳細)。
いずれにせよ、パフォーマンスは、多くの要因の「相互作用」によって決定づけられるというのが、たぶん「正解」だろう。そして、どんなに分析が進んでも、そのメカニズムが解明されることは恐らくない。
我々は、本来「不可分の全体」として成立する「パフォーマンス」や「身体」を、便宜的に独立した要素、すなわち「心理」「技術」「体力」などに分け、それらをさらに細分化して様々な角度から(科学的な)観察や分析を進めている。
言い換えれば、「分析」とは、ある部分に「焦点化(注目)」するために、他の部分を「無視」する営みでもある。
したがって、その結果を直ちに「パフォーマンス」に還元することはできない。
ミツバチ研究家の話によると、ミツバチ研究が進めば進ほど、ミツバチは「空を飛べない」という結論に至るらしい。体重、羽根の面積、筋力等をどう分析しても、空を飛ぶのは「100%不可能」という結果しか出ないそうである。
しかし、ミツバチは平気で空を飛んでいる。
ミツバチは、自分が空を飛べるのを「当たり前」だと思っている。付け加えるなら、「おまえじゃ飛べないよ」などとお節介なことをいう他者もいない。
この挿話は、「分析」というものの「限界」と同時に、生き物の「可能性」「神秘性」をも示唆している。
とはいえ、様々な分析結果にも、それぞれに「意味」はある。
問題は、それらの「意味(関連)づけ」にある。
形式論理学には、形式論理と我々の推論の「ずれ」に関する指摘がある(詳細はコチラ)。
例えば「優れたランナー(P)→大腰筋が大きい(Q)」という前提があったとき、「優れたランナーだから大腰筋が大きい」「大腰筋が大きくないから優れたランナーではない」は妥当な推論である。しかし、「優れていないランナーの大腰筋は大きくない」とか「大腰筋を大きくすれば優れたランナーになれる」という推論は、言うまでもなく非論理的ということになる。
特に最後のような推論形式(これを「後件肯定の錯誤」という)は、斯界でもよく耳にする「錯誤」である(例えば水分補給とか)。
『ランナーの「速さ」は大腰筋の大きさに影響するが、大腰筋の大きさはランナーの「速さ」を保証しない』というのが、形式論理学上の「妥当な推論」なのである。
材料が調っていても、調理法を間違えれば料理は不味くなる。
今、日本の中長距離走に危機感と関心をもった選手やコーチと研究者によって、速く走ることの「本質」を捉えることを目的とした実践的な議論が始まろうとしている。
ラディカルな議論というのは、失敗や危機的状況がきっかけとなることがほとんどである(成功時は必要ないから)。
危機的状況なだけに、少なくとも「研究者は現場を知らない」とか「現場はもっと(科学的)知識を持つべき」といった「念仏」をとなえて互いの立場を相対化するような雰囲気は一切ない。
これは、我々が様々な「思い込み」をもった人間であることを自覚しながらも、それぞれの既知を解体して認識を深めていくよりほかに我々自身の「パフォーマンス」を向上させる道はないという「信念」だけは共有できている人間の集まりだからであろう。
恐らく、具体的な実践についての議論を深めていく過程においては、互いの意見や考え方に「違和感」をもつ場面も増えてくるだろう。
しかし、何の「違和感」もなく淡々と進む議論から「知のブレイクスルー」が起こることはほとんどない。
よい議論とは、それぞれ立場の人間が自分の主張の背後にある暗黙の認識を自覚化・相対化して、一層洗練された考え方にいたることを指す。
ケニア人とは「素質が違うから勝てない」という「思い込み」を、いかにして「同じ人間なんだから勝てる」という「思い込み」に変換するか。
少なくともこのプロジェクトを、我々が「思い込み」から解放されるきっかけにするという「信念」だけは持ち続けていきたい。
今回の学会は、事前に「思い込み」と「信念」というテーマを与えられていたおかげで、いつもとは少し違った視点で観察することができた。
物事に「正解」はないから「考えてもしょうがない」と考える人間と、「これが正解だ!」といってそれを差し出そうとする人間は、今いる場所に「留まっている」という点では同じである。
「手持ちのものさし」で全てを計測しようとする習慣を捨てなければ、そのものさしでしか測れない世界から抜け出すことはできない。
「ブレイクスルー」とは、それまでの自分の「ものさし」が「無効」になることである。
重要なことは、「手持ちのものさし」で測定可能なものとそうでないもの間を架橋するために何が必要なのかを問い続けること、すなわち様々な分析から得られる「多様なデータ」を読み解き、パフォーマンスを高めることの「本質」に限りなく接近しようとする「知性」にある。
自分の「思い込み」を解体し、新たな「思い込み」を構築する。その繰り返しによってのみ、より確度の高い「確信」に支えられた「信念」を生み出すことができる。
陸上競技も研究も、いわんや人生も、すべて自分のパフォーマンスを高め続けるための「実践」であると考えれば、ことの「本質」はそれほど違わないように思われるのである。