日本陸連中距離合宿

moriyasu11232009-03-27

3月19日〜25日にナショナルトレーニングセンター(NTC)にて行われた日本陸連中距離春季強化合宿に参加。
20日国立スポーツ科学センター(JISS)でMaximal Anaerobic Running Test(MART)、21日にNTCのトラックでコスミンテストが実施されたため、両日立ち会う。MARTは今季初、コスミンテストは2月の研修合宿に引き続き2回目の実施である。
コスミンテストは、800m選手が1分間走を2回(リカバリー3分)、1500m選手が1分間走を4回繰り返し(リカバリーは3分、2分、1分)、その積算距離から記録を推定するという中距離走に特化したパフォーマンステストである。テスト時には、1分間の走行距離や100mごとの通過タイムの他に、走動作を確認するためのVTR撮影(ピッチ&ストライド変化も分析)、各走行終了後の主観的運動強度(RPE)や血中乳酸濃度なども測定する。
前回(2月)は、実施に先立って「合計距離が最大になるようなペース戦略を考える」「走行中の主観的努力感を大切にする」という留意点と、「ひとりずつ走り、ラップタイムはよまない(終了10秒前のカウントダウンのみ)」ことを伝えた(選手からは「えぇ〜っ?!」の声)。
終了後、多くの選手から「(スピード練習をしていないのに)予想していたよりも速く走れた」という感想が漏れ、事実多くの選手がこの時期としてはかなりのハイペースで走破していた(1本目の400m通過が50秒台の選手もいた)。全走行終了後の血中乳酸値は、男子が12〜14mmol/l、女子が13mmol/l程度といずれも高く、乳酸をしっかりと「出す」トレーニングになっていたと言えるだろう。
これは、ラップタイムを読まなかった「成果」ではないかと感じている。
「ペース戦略」とは、時々刻々の疲労情報から未来(ゴール)を予測し、その予測情報をもとに時々刻々の努力感を調節する「制御システム」のことを指す。
このシステムの「安定」は、すなわちパフォーマンスの「安定」を意味するが、パフォーマンスを「向上」させるためには、当然システムの「再構築」が必要となる。そのためには、苦しさや疲労の度合いといった主観的な情報と走スピードとの関係によってつくられた脳の「プログラム」を書き換えなければならない。
ラップタイムは、設定タイム通りにトレーニングをこなすためによむものではない。
予め練った戦略や出力調整(主観)と実際のペース(客観)との「ズレ」が何に起因するのか…そのことを、すでに終わっている自分の走りに遡って検証するためによまれるべきものなのである。
すぐに「答え」を知りたがってはいけない。
今回のテストでは、ほとんどの選手が前回よりも走行距離を伸ばしていたが、800m選手達は1本目からさらに突っ込む(乳酸値は前回よりも高値)ことによって、また1500m選手達は1本目の走行距離(ペース)を若干抑えつつ(乳酸値も低値)ペース配分をマネジメントすることで、走行距離を伸ばしている傾向が見て取れた。
これらの結果は、エネルギーを「うまく使う」ことと「出し切る」ことのバランスが取れてきたことの証といえるだろう。
中距離走では、より短い距離を走れるスピードや、より長い距離を走れる持久力をつけることが必要であるとよく言われる。800m選手であれば400m&1500m、1500m選手であれば800mや5000mがそれにあたる。
そこには、中距離走パフォーマンスの歴史的変遷から導かれた、ある種の「本質」が含まれているとみて間違いはないだろう。
しかし、その読み解き方を誤ると「本質」をはずしかねない。
単にスピードや持久力のキャパシティーを高めることが、直ちに中距離走パフォーマンスの向上に繋がるわけではない(繋がることもある)。パフォーマンス向上のために獲得を目指す能力は、あくまでもその種目の「特異性」を踏まえた「専門的」なものでなければならない。
例えばラストスパートに弱い選手は、自分の課題は「スピード」という認識をもつだろう。
この課題の立て方に瑕疵はない。
問題は、その後の解決策を練るところにある。
短い距離の走力(スピード)が高まっても、余力が残っていなければラストスパートはかけられない。反対に、走効率の改善が余力を残すことにつながり、ラストスパートがかけられるようになることもある。
海岸は、海の「終わり」か、それとも陸の「始まり」か。
真実には、明確な境界線がないことが多い。
我々は、言葉による枠にはめられた考え方で、自分のまわりの秩序を作り上げている。
「肉体」は、「スピード」と「持久力」を分けて考えてはいない。それを分けているのは「思考(言語)」である。
我々が「スピード」「持久力」と呼んでいるものの「実態」は何なのか?
そのことをリアルに捉えていく必要がある。
寺田さんサイトに、先の東京マラソンで引退した高岡寿成氏と弘山晴美氏のコメントが掲載されていた。
以下に抜粋させていただく。

  • 難しかったのはトラックとロードでは違うので、マラソンの走り方が必要だったことです。それでもマラソンに向けてトレーニングをしているときも、スピードを殺さないようにしていました。スタミナが必要だからと50km走とかしていません。40kmの中でスピード感、リズムを大事にしてやってきました。後輩には、僕のやってきたことは決して難しいことではない、と伝えたいですね。多くの人に可能性があると思います。マラソンを好きになって、世界に挑戦する気持ちを強く持って取り組めば、チャンスはあると。(高岡氏)
  • 最初にマラソンをやるときに、ピッチでちょこちょこ走る方がいいのかな、と思ってやっていたら故障をして、トラックの走りをそのままマラソンに持ち込んだ方がいいのかな、と思いました。これまで成功してきたマラソンは、トラックや駅伝でスピードを上げておいた方が上手くいっているんです。私の場合はトラックをそのまま、マラソンに持ってきた方がよかった。(弘山氏)

「創造」の第一歩は「破壊」である(byピカソ)。
一度自分の限界を超えることができた人間は、必ずその「自分の限界を超えたやり方」に固執する。しかし、優れた選手や指導者は「そのやり方」に固執してはならないということ、すなわち「変化の仕方自体を変化させる」ことが重要であることに気付く。
ただし、この知的/身体的フレームワークの再構築には、必ずある種の「酸欠状態(苦しさ)」がつきまとう。畢竟この「酸欠状態」に挑み続ける人間だけが、自身のパフォーマンスを高め「続ける」ことができるのだろう。
「変化の仕方自体を変化させる」ことは、自身の身体システムの「構築」と「解体」という矛盾に引き裂かれながら鍛錬(再構築)し続けることに他ならない。そして、そのように錬磨された「身体知」でなければ、たとえ科学的で高級そうに見えるエビデンスであったとしても、ほとんど使い物にはならないのである。
二人の偉大なランナーのコメントには、パフォーマンスを高めるための「本質」が含まれているはずである。
その「行間」を、しっかりと読み解く必要がある。
選手やスタッフの皆様、お疲れ様でした。