スピードスケート五輪代表決定&大晦日

moriyasu11232013-12-31

日本スケート連盟は29日、来年2月に開催されるソチ五輪の日本代表選手を発表した。男子はバンクーバー五輪銀メダリストの長島圭一郎、同銅メダリストの加藤条治(ともに日本電産サンキョー)ら7人。女子はすでに代表内定していた小平奈緒相沢病院)や、田畑真紀(ダイチ)ら10人が選出された。
バンクーバー五輪に15歳で出場した高木美帆日本体育大)は選出されず、姉の菜那(日本電産サンキョー)が代表入りを果たした。
スピードスケートのソチ五輪代表メンバーは以下の通り。
【男子】
長島圭一郎日本電産サンキョー):500メートル
加藤条治日本電産サンキョー):500メートル
及川佑大和ハウス工業):500メートル
上條有司(日本電産サンキョー):500メートル
山中大地(電算):1000メートル
近藤太郎(専修大):1000メートル、1500メートル
イリアムソン師円(山形中央高):5000メートル
【女子】
小平奈緒相沢病院):500メートル、1000メートル
辻麻希(開西病院):500メートル、1000メートル
住吉都(ローソン):500メートル、1000メートル
田畑真紀(ダイチ):1500メートル、チームパシュート
菊池彩花富士急行):1500メートル、チームパシュート
押切美沙紀(富士急行):1500メートル、チームパシュート
高木菜那日本電産サンキョー):1500メートル、チームパシュート
藤村祥子(宝来中央歯科):3000メートル、5000メートル
穂積雅子(ダイチ):3000メートル、5000メートル
石澤志穂(トランシス):3000メートル、5000メートル
(2013年12月30日 スポーツナビ加藤、小平らがソチ五輪スピードスケート代表 高木美帆は落選より)

12月28日から1泊2日の日程で、スピードスケートのソチ五輪代表最終選考会を観戦。
エムウェーブ内にいるスノーレッツと4年ぶりの記念撮影。

↓ちなみに4年前。

スケート界もスノーレッツも4年間で順番が若干入れ替わっている。
岡崎朋美選手は、500mのレースをもって引退(お疲れ様でした)。

「岡崎さんと滑れて幸せだった」
長きに渡りスピードスケート界をけん引してきた岡崎の魂は、現エースの小平奈緒相澤病院)に受け継がれる。すでに500メートルでソチ五輪出場の内定を得ている小平は1回目に38秒21、2回目は38秒17と両方ともに1位のタイムを記録。貫録の滑りで優勝を果たしたが、「体がはずむ感じがなくて、少し動かなかった」と唇をかんだ。そんな彼女を励ましたのが岡崎だった。「奈緒ならできるよ」。その言葉に涙が溢れた。
小学校5年生の時に地元・長野県で開催された五輪をテレビで見た。そこには銅メダルを獲得する岡崎の姿があった。この時から五輪でメダルを取ることが小平の目標となった。それはバンクーバー五輪でかなうことになる。個人戦こそ500メートルは12位、1000メートルと1500メートルで5位と表彰台には届かなかったが、女子団体パシュートで日本女子スピードスケート界で初となる銀メダルに輝いたのだ。
ソチ五輪で狙うのは当然、個人でのメダル獲得。「バンクーバーでは12位でした。岡崎さんも初出場のリレハンメルは14位でしたけど、2回目の長野で銅メダルを取った。私もできれば岡崎さんを超えたい」と決意を語った。
岡崎はそんな後輩を頼もしく感じている。
奈緒は本当に頑張り屋さんなので、掛ける言葉なんてないです。本当はソチに行って近くで応援したかったんですけど、それはかなわなかったので、陰ながらプッシュします。彼女ならやってくれると思います」
小平も、岡崎に対して感謝の気持ちを述べた。「岡崎さんがいなかったら、自分もここまでにはなっていないです。一緒に滑ることができて幸せでした」。憧れの存在だった大先輩から受け取った“バトン”を胸に、小平はソチに向かう。
(2013年12月29日 スポーツナビ岡崎朋美が小平奈緒に渡した“バトン” 受け継がれていくエースの魂」より抜粋)

小平選手の二度目の五輪パフォーマンスに期待したい。
そしてもう一人の注目選手がコチラ↓

◇スピードスケート・山中大地(23)=電算
異色の経歴を持つ頭脳派スケーターだ。女子短距離界エースの小平奈緒(27)=相沢病院=の練習相手で知られてきたが、今季は自らの才能を開花。男子1000メートルの五輪切符が手に届く所にいる。
10月の全日本距離別選手権1000メートルで初優勝。日本代表として今月16日のワールドカップ(W杯)ソルトレークシティー大会の同種目では、格下のBクラスで1分9秒30で14位に入り、日本の五輪出場枠をほぼ確実にした。高速リンクだけにカーブを曲がりきれずに転倒する選手も相次ぐ中、「全力を出すと失敗するので、9割の力で確実に枠を取りに行った」。枠取りに必要なラップを計算し、冷静にまとめた。
レタスとスケートで知られる長野県川上村出身。「クラスの半分がしていた」スケートを小3で始めた。中学時代に長距離で全国トップクラスになったが、強豪校へは進まず、電子情報工学を学ぶため5年制の長野高専へ。当時から指導する信州大教授の結城匡啓コーチは「大会2日前でも徹夜でリポートを仕上げる生活だった」。それでも3年時に高校総体で1000メートル、1500メートルを制した。
2011年春に卒業後、スポンサーが見つかるまでの1年間は信州大職員として結城コーチの動作分析など研究を手伝った。小平の練習相手に抜てきされ、氷上練習では先導。体幹強化に取り組む小平に触発され、まねた。結城コーチが小平に付いて海外遠征中は、自分で練習メニューを組み立てた。フォームは映像で分析。「上半身と下半身の連動がバラバラだった」昨季から、きっちり修正してきた。
五輪出場には、12月下旬の代表選考会を勝ち抜かなくてはならない。その先のソチでは世界の厚い壁が待つ。「1000メートル以上の種目で日本男子は世界に置いていかれている。自分たち若手が引っ張っていきたい」。あがり性の口べただったが、実績を積み、随分、舌も滑らかになってきた。【藤野智成】
(2013年11月28日 毎日新聞東京夕刊「ソチへ2014:スピードスケート・山中大地 練習相手経て開花」より抜粋)

山中選手は最終選考会を制して堂々と代表の座を獲得。
がんばれニッポン!・・・じゃなくて選手達!
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