皇帝引退!?
『ゲブレシラシエ引退 世界に足跡、限界悟る』
男子の世界記録(2時間3分59秒)保持者、ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)が右ひざ痛で途中棄権し、引退を表明した。レースを制したのはゲブレグジャベル・ゲブレマリアム(エチオピア)だった。女子はエドナ・キプラガト(ケニア)が初優勝。2年にわたり、5大都市マラソンなどの成績で争う2009〜10年の「ワールド・マラソン・メジャーズ」は、男子は09、10年シカゴ・マラソン優勝のサムエル・ワンジル(ケニア)、女子は10年のシカゴとロンドンなどで優勝したリリア・ショブホワ(ロシア)が栄冠を手にした。
37歳のゲブレシラシエは、好記録が期待できないニューヨークシティー・マラソンを初めて走ると決めた時点で、限界を悟っていた。「ニューヨークを走らずしてマラソン人生を終えられない」。レース前の会見で語っていた。
過去4年はコースが平坦(へいたん)で気候も良く、好記録の条件がそろうベルリンが秋のレースの定番だった。来年の年明けも3連覇中のドバイではなく、2月の東京マラソンへの出場を表明していた。競技生活の晩年を意識し、記録を狙うよりもオファーに応え、世界の名だたる大会に足跡を残そうとしたのだろう。
1万メートルでは93年シュツットガルト大会から99年セビリア大会まで世界選手権で4連覇し、アトランタ、シドニー両五輪も驚異のスピードで金メダルに輝いた。その後に転向したロードを含め、164センチの体で世界記録を塗り替えた回数は27回に上る。
磨き抜かれたスピードはマラソンでも開花した。08年のベルリンで、前人未到の2時間3分台に突入。しかし、ペースメーカーが終盤まで先導する単独のタイムトライアル仕様のレースは得意でも、勢いのある若手の挑戦を避けてきたのは、残念だった。
「大気汚染」を理由に回避した08年北京五輪マラソンのレース後、金メダルのワンジル(ケニア)や銅メダルで同じエチオピア出身のケベデらの名を挙げ、「これからは彼らの時代」と語っていた。
18歳で出場した初の海外レース「国際千葉駅伝」で、900ドルを手にして驚いた当時とはとりまく環境も一変した。賞金を元手に財をなした今は、故郷アディスアベバで農場、映画館、ホテルなどを経営し、600人を雇う社長の顔を持つ。一部海外メディアには、政界進出にも色気を見せている。
「これが潮時。そろそろ他のことをさせてくれ」。世界の陸上ファンを熱狂させた「皇帝」は、次なるゴールをめざす。(原田亜紀夫)
(2010年11月9日 アサヒコム)
ゲブレセラシェ選手は、1973年4月18日生まれの37歳。
1992年に世界ジュニア選手権ソウル大会で5000m(13:36.06)と10000m(28:03.99)の二冠に輝いて以来、10000mでは1993年世界選手権シュツットガルト大会以降4連覇し、アトランタ、シドニー両五輪でも優勝に輝く。
5000mと10000mを含め世界記録を樹立すること27回。
2005年から本格的にマラソンへ参入し、出場12レース中9回の優勝を誇る。
日本マラソン史上最強と謳われる瀬古利彦氏の「15戦10勝」を上回る勝率である。
身長1.65m、体重56kgの小柄な体をリズミカルに躍動させるランニングフォームで「皇帝」の名を恣にしてきたゲブレセラシェ選手であったが、ニューヨークのレース前、その膝には水がたまり、靱帯にも炎症を引き起こしていたという。
レース後に「今まで引退を考えたことはなかったが、きょうがその日。もうやめさせてほしい。なにも不満はない」と語ったアスリートは、偉大な記録と記憶を残してこのまま陸上界を去ってしまうのだろうか。
ゲブレセラシェ選手は、来年2月の東京マラソンに招待選手として出場することを公表していたが、東京マラソン財団には8日午前から電話やメールが殺到し、事実確認などの対応に追われたようである。
引退については誰にも事前の相談はなかったらしく、同選手のマネジャーは「本人も終わった直後の放心状態で話した部分もあるようだ。2、3日置いて気持ちが落ち着いてから、再確認して対応を考えたい(by共同通信)」と述べているとのこと。
ちなみに、ゲブレセラシェ選手の10000mのベスト記録は「26:22.75」、マラソンのベスト記録は「2:03:59」であることから「持久係数(10000mとマラソンの記録比)」を計算すると、ワンジル選手(ケニア)のそれよりもさらに大きくなるが、日本歴代10傑平均係数を乗じると「1:59:31」という記録が弾き出される(わお2時間切り!)。
ゲブレセラシェ選手は「皇帝」だが、ぜひ引退は「否定」してもらいたい(なんのこっちゃ…)。