発掘・育成のヒント!?

moriyasu11232010-08-16

『ソチでは自分の力で!高木「メダルもらえなくてよかった思う」』
初めての経験に心が揺さぶられた。決勝に臨む先輩たちの姿を間近に見て、高木は「泣きそうになった」という。スケートでは初めてのことだった。レースに出たいという思いはもちろんあった。だが、「五輪への思いは先輩たちの方がある。身近でたずさわれたことでも感謝したい」。こう心から思った。
リードして迎えた終盤。心を込めて声援を送った。ゴール際までもつれた勝負。わずか0秒02差での銀メダルだった。「コンマ差では悔しいと思う。でもすごいなと感動した。ソチに向けてやってやろうという思いが強くなった」。1カ月以上もの海外遠征、そして初めての五輪。1000メートルでは最下位にもなった。だが、次への意欲が沸々と沸いてきた。
メダルは3人分しかない。だが、先輩たちとともに日の丸を掲げてリンクを回わり、思った。「メダルをもらえなくて良かったと思う。自分の力じゃないから。ソチでは団体戦も任せてもらえるようになりたい」
小平が「美帆ちゃんの存在があったから私たちも奮い立てた」と話せば、田畑も「ムードメーカーだった」。3人はそれぞれの銀メダルを15歳にかけて感謝を伝えた。「ここで経験したことを生かしたい」と視線を上げた高木は、メダルの重みをしっかりと心に刻んだ。初めての大舞台で得た大きな収穫だった。(金子昌世記者)
(2010年2月28日 産経新聞より)

昨年末のスピードスケート五輪代表最終選考会で、高木美帆選手の滑りを生で観た。
五輪内定選手達が本番に向けた調整過程であったとはいえ、居並ぶ先輩スケーターを向こうに回して堂々と滑走する姿は圧巻だった。
「ワールドカップでの実績」という選考基準を満たしていなかったが、この成績(1000mと3000mで3位、1500mは田畑真紀選手、吉井小百合選手(五輪後に引退)、小平奈緒選手を抑えて見事優勝)であれば、代表に選出せざるを得ないだろうと予想していた。
果たして、橋本聖子スケート連盟会長の英断によって見事に代表の座を射止めるに至る。
その後のマスコミフィーバーは、改めて述べるまでもないだろう。
彼女の経歴を、今一度おさらいしておきたい。

北海道幕別町立札内中の3年生。その若さもさることながら、注目すべきは彼女が育った環境にある。それは、日本スポーツ界が目指す方向と正反対にあるからだ。
日本のスポーツ界が目指している方向といえば、「英才教育」の一語に尽きるだろう。サッカー、バレーボールなどは自前でナショナルトレーニングセンターを作り、優秀な中学生に寄宿生活を送らせている。日本オリンピック委員会JOC)も東京・西が丘のナショナルトレーニングセンターに「エリートアカデミー」を開講し、卓球やレスリング、フェンシングの将来の日本代表候補が住み込みで競技生活を送っている。いずれも早い段階から選手を発掘して専門的な能力を身につけさせ、国際舞台で活躍できる選手を育成しようというやり方である。
高木は違う。全十勝中体連スピードスケートクラブという、十勝管内の中学生を集めた地元のクラブに入っている。その一方で、札内中ではサッカー部に所属。中学校では女子サッカー部のある学校は少ないため、男子と一緒にプレーすることが認められており、高木はレギュラーのFWとして男子顔負けのプレーをしていたそうだ。それが目にとまり、一昨年12月には福島・Jヴィレッジでの15歳以下日本代表候補合宿にも呼ばれた。この他にもヒップホップダンス教室に通っているという。こうした環境を見ると、高木は多彩なスポーツに取り組みながら、自らの競技力を向上させてきたといえる。強靱な足腰や瞬発力はスケートやサッカーで、柔軟性はダンスで培われたのかも知れない。(…)
高木は今後、スケート選手の道に進むのだろうが、それさえも限定する必要はなく、いろんなことに挑戦して、自分の幅を広げておくべきだ。彼女は、これまでの日本にはいなかったタイプのアスリートに育つ可能性を秘めている。そのために周囲も配慮してあげる必要がある。
少子化の時代、競技団体は有能な選手を囲い込もうと躍起だ。「昔のように自然発生的に選手は育ってこない。早い段階から選手を育てて五輪でメダルを獲れなければ、競技の存続にかかわる」と危機感に満ちた声を聞いたこともある。
だが、そんな方法とは違う環境から育ってきた選手が、五輪の舞台に立つ。過剰な期待をかける必要はない。まだ15歳。可能性に満ちたアスリートの「序章」を大騒ぎせずに見守りたいものだ。
(2010年1月8日 スポーツアドバンテージ「スケートの新星に育成のヒントがある(滝口隆司氏)」より抜粋)

「昔のように自然発生的に選手は育ってこない。早い段階から選手を育てて五輪でメダルを獲れなければ、競技の存続にかかわる(by某競技団体関係者?)」というコメントを整理すると、いくつかの問題に仕分けできる。
1)昔のように自然発生的に選手は育ってこない(のか?)
2)早い段階から選手を育てないと五輪でメダルを獲れない(のか?)
3)五輪でメダルを獲れなければ競技の存続にかかわる(のか?)
このような問題を丹念に解きほぐす視座を持たなければ、選手育成やメダル獲得はおろか、競技種目の存亡でさえも危ういものとなるのは言を俟たない。
1)と2)に関していえば、斯界の「早期専門化」に対する信憑は想像以上に根強いものであるが、多くの競技種目においてピークパフォーマンス&引退の年齢が上がっているのも事実である。
「早期専門化」が必須とされる競技種目の典型といわれるフィギュアスケートでさえ、「本格的」に始めたのは小学校高学年からというトップ選手も存在する。
もちろんこの「本格的」の内実を詳細に検討する必要はあるが、巷間「早期専門化」が必須とされる競技種目においては、当然「早く始めた選手」が多数(またはほとんど)を占め、また「遅く始めた選手」が少ない(またはほとんどいない)状態になるのも必定である。
したがって、その是非を問う以前に、単なる確率論的な問題である可能性も視野に入れておく必要がある。

アスリートが本当に必要としているものはなんなのか。欲しいけどまあ無くてもいいよね、というものはなんなのか。境目はアスリートしか知りません。(…)
現場では選手もスタッフも施設の方も必死で目標に向かっているのですが、いかんせん滞っているところもあります。
雨が降れば傘をさす。必要なことを必要なだけやるのが年齢が上がってからの、アスリートの戦い方です。
(2009年11月26日 為末大オフィシャルサイト「スポーツの仕分け」より抜粋)

バンクーバー五輪後のエントリーで、安易な「韓国を見習え論」に対する私見を述べた(「ほんとうに必要なこと」と「スポーツ後進国ニッポン?」)。
その韓国は、現在日本のNTCの15倍規模の「第2ナショナルトレーニングセンター」を建築中である。
3月に視察に赴いた文科省幹部からは『「これはすごい」「うらやましい」という本音と溜息が漏れた(by読売新聞)』らしいが、その韓国のスポーツも必ずしも順風満帆とも言えないようである。

「生涯年金」や「兵役免除」といった「アメ」が、一定のモチベーションに繋がっていることは否定できないが、五輪でのメダル獲得という難問が「アメ(強化費ほか)」さえあれば解決すると考えるのは短絡というものだろう。
この短絡は、ちょうど「朝飯を食べない子ども → キレやすい」という因果関係論が「親のしつけ」という交絡因子を勘定に入れていないのと同様に、パフォーマンス向上にとって最も重要であるはずの「トレーニング」や「強靭な指導者と選手の闘志(byパク・ソヨン記者)」といった交絡因子を考慮していない「論理的錯誤」であると指摘できなくもない。
また、先の記事では「野球」を例に挙げ、「(韓国においては)野球部のある高校が53校(…)。全国4132校、16万9000人余りの高校球児がいる日本とは層の厚さが違いながら、強い」と指摘するが、果たしてこの記者は「どちらがよりハッピー」なスポーツ環境であると考えているのだろうか。
「メダル獲得の費用対効果」といったビジネスライクな経済合理性を持ち出さない限り、多くの子ども達が「野球」というスポーツを楽しめる環境にあり、かつ競技力も高いという「日本」にアドバンテージがあると考えるのは、恐らく私だけではあるまい。
(2010年2月23日 拙稿「ほんとうに必要なこと」より抜粋)

ある高校野球関係者から聞いた話によると、このところ韓国や台湾のメディアによる甲子園大会ほかの取材が急増しており、今年6月には韓国の国家人権委員会の調査団までもが視察に訪れたとのこと。
彼の国の「児童生徒の勉強をする権利を強化する法律」改正を見据えた視察であるらしいが、オリンピックで多くのメダルを獲得する国においても、スポーツを取り巻く問題の根は浅からぬところにあるのである。

高校総体 柔道準Vの「異端児」田上 部員1人の進学校
沖縄で開かれている全国高校総体(全国高体連毎日新聞社など主催)で、異端児が注目を浴びた。柔道男子100キロ超級で準優勝した田上創(東京・戸山3年)。上位は常連校という柔道の世界で、田上は都内の進学校に通って部員は1人しかおらず、大学への出げいこで力をつけた。田上は「悔しい。でも、よくやったという気持ちがある」とひょうひょうと話すが、重量級のスター不在に悩む柔道界からは熱い視線が注がれる。
身長187センチ、体重120キロと恵まれた体から、内またや大内刈りを繰り出した。左肩に負傷を抱えながら、準決勝まで5試合のうち4試合で一本勝ち。箕島(和歌山)や田村(福島)など名の知れた学校の選手に対しても豪快な柔道を見せた。決勝では思うように組めず、王子谷剛志(神奈川・東海大相模)に屈したが、上村春樹全日本柔道連盟会長は「バランスが良くいい素材。本人がその気になって、鍛えれば面白い」と興味を示す。
柔道は小学5年から始めた。中学は一度は、神奈川の中高一貫の強豪校に入り、柔道漬けの日々になったが、「ほかにもやりたいことがあったので」と1年で公立に転校。公立中では野球部に所属しながら柔道の大会にも出て、3年の時の全国大会では準優勝を果たした。
高校でも、ほかに柔道部員はおらず、早大や中大がけいこ場になった。進学校のため、予備校にも通い、柔道の練習は週に2、3回。1、2年の時は都の総体予選で敗れたが、今年は国士舘などの選手を破って優勝した。また、陸上部にも入り、砲丸投げでは関東大会11位になった。
田上は「今は、中学1年の時の貯金でやっているようなもの。大学に入ったら、ちゃんと柔道に取り組みたい」と話す。強豪大学への推薦という選択肢もあるが、環境に興味があるため、理学部や農学部を目指すという。柔道のエリートとは異なる道を歩みながら、さらなるレベルアップを目指している。【百留康隆】
(2010年8月12日 毎日新聞

小5から柔道を始めて中高一貫の強豪校に入学したが、「ほかにもやりたいことがある」という理由で都立の進学校に転校した田上選手。
現在の自分の柔道を「中学1年の時の貯金でやっているようなもの」と喝破するコメントには、中1での貯金を元手に、それ以降の様々な活動によって運用益を付加した結果、インターハイの準優勝に至ったという一連のプロセスの重要性が含蓄されている。
記事にもあるように、陸上競技砲丸投げ)インターハイ都予選を13.20mの6位で通過し、南関東大会では13.74mの11位に入っている。
予備校に通い、野球部にも所属しながら、柔道の練習も「週に2、3回」しているというから、砲丸投げの練習はほとんどしていないと思われる(してたらすみません)。
もし柔道と砲丸投げ両方でインターハイ出場を決めていたら、7月29日(陸上競技初日)から8月12日(柔道最終日)までの沖縄長逗留になっていたのか…それともいったん帰京していたのか…(大きなお世話ですみません)。
いずれにせよ、「セカンドキャリアを保証し、安心してスポーツに専念できる環境をつくる」というトップアスリート育成・強化の方向性が、このような選手を「異端」と名づけて埒外に置いてしまう危険性を孕んでいることも十分に意識しておく必要がある。
閑話休題
世の中の雇用制度が、再び終身雇用&年功序列(以下「終雇年序」)に回帰しつつあると聞く。
終雇年序というのは、要するに上司が部下を「考課」せずに、同じような仕事を与えて同時に昇格昇給させることである。
上司が考課のストレスを負わなくても、時間の経過に伴って誰が仕事のできる人(できない人)かが暗黙のうちに合意されていくので、そういう評価が定着したころで、本給はいじらず業務内容(責任範囲や部下の数、使える経費の多寡などなど…)に差をつけていく。
そうやって十数年働けば、取締役レーン、管理職レーン、そしてそれ以外のレーンのいずれにエントリーされているかは、自分にもよくわかってくる。
この制度の利点は、評価コストがゼロで済むことや、本人が評価に文句を言わない(言いようがない)ことなどが挙げられるが、何よりも重要なメリットは「開花に時間がかかる能力(タレント)」を取りこぼさないことにある。
人間の能力には、短期的に開花するものと起動に時間を要するものとがあるが、スケールの大きな能力は膨大な「無駄飯」や「道草」を食わないと起動しないことのほうが多い。
私たちの社会は、様々な分野においてこの「無駄」を惜しみ、投下した資本が短期間に回収できるようなタイプのタレント発掘や能力開発に必死である(自戒)。
それは、書店に平積みされているベストセラー本の大半が「2週間でめきめき…」「これさえやれば…」「らくらく…」といったタイトルで占められているのを見ればよくわかる。
終雇年序への回帰は、「時間をかけて熟成を待つ」ことの重要性を感じとった人間が少しずつ増えていることを実感させる。
「長い年月をかけて発現する能力(タレント)の発芽」と「長い年月をかけて果たされる人間的成熟(パフォーマンス向上)」を待てるマインドは、「子どもの成長をのんびりと待つ」ことのできるマインドと構造的に同一のものである。

(技を克服する楽しみとして)工夫するというか、新しいものをつくるというのと、人のやっているものを自分ができるようになるように工夫するということがあると思う。やっぱりできると楽しいじゃないですか。そこをもくろんで、うまくいったときは最高だよね。それが人にやらされてやったんじゃやっぱりまずい。(…)
うまい指導をされて、できるように周りをつくっていく。それで、できるのを待っている。できたときには、おれができたんだと思わせる。(…)
やったことが自分でできたんだという感覚を持てたときのものと、やらされてやったものといったら、最後になって頼り方が違う。
(平成13年度日本体育協会スポーツ医・科学研究報告『ジュニア期の効果的指導法の確立に関する基礎的研究─第2報─(体操競技・加藤澤男氏)』より抜粋

彼らのような選手(高校生)を「異色」「異端」などと呼ばなくなったとき、この国に本当の意味での「スポーツ文化」が根づいたといえるのかもしれない。