東京オリンピック記念体力測定

moriyasu11232012-11-08

標記タイトルは、1964年オリンピック東京大会の日本代表選手について、4年に一度のオリンピックイヤー毎にライフスタイルなどに関するアンケート、体力測定およびメディカルチェックを実施する調査研究の名前である。
今年度で12回目を迎えるこの測定は、来る11月12日から22日までの日程で実施される予定である。
職場の上司(室長)による「Sports Japan」への寄稿を再録する。

「聖火は太陽へ帰った。人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」。名作の誉れ高い市川崑監督の映画「東京オリンピック」において、エンディングの字幕に流れた印象深い言葉である。そしてこの夏、舞台はロンドンに移り、私たちは再び夢の続きに浸る。
1964年の東京オリンピックからおよそ半世紀、懐かしいオリンピアンたちはお元気であろうか? 平均年齢は、はや七十歳をこえた。果たして、若い頃に鍛え培ってきた健康、体力は今も健在だろうか。是非、そう願いたい。メダル争いに一喜一憂した私たちも、一方でそうしたスポーツの持つ別の可能性に夢を抱いているのかも知れない。今回は、そうした趣旨で始まった研究を紹介したい。
東京オリンピック当時IOC会長であったブランデージはこんなことを言っている。「クーベルタン男爵がオリンピック競技復興の運動を始めた時、主たる目標の一つが、新記録や勝利を求めるばかりでなく、すべての国の体育振興にあったことを忘れてはならない。すなわち、オリンピック競技は、競技それ自体に終局の目的があるのではなく、すべての青少年のために体育・スポーツを推進する手段として考えられたものである。したがって、その目的は大衆が参加することであって、単に少数のチャンピオンを作り出すことではない」。ひるがえって東京オリンピック当時、ブランデージ会長の言葉とは裏腹にオリンピックも政治的利害、商業主義、勝利至上主義、薬物問題などさまざまな課題を抱える状況に至っていた。そうした時代の流れにあって、オリンピック行事の一環として開かれた国際スポーツ科学会議が取り上げたシンポジウムのテーマが「オリンピック・ムーブメントとその体育に及ぼす影響について」であった。オリンピックを見直し、再生をはかろうとする時代の意図が読み取れよう。
こうしたオリンピックムーブメントの理念、そしてその葛藤を背景として、スポーツ医・科学の分野においても東京オリンピックを契機にある取組が始まろうとしていた。国際スポーツ医学連盟(FIMS)がIOCNOC(各国オリンピック委員会)に呼びかけ、各国の東京オリンピック参加選手の健康、体力を4年に一度、生涯にわたり追跡調査する研究を提案したのである。青少年期に高めた健康・体力が生涯の財産として引き継がれるか否か、いわばその持ち越し効果を検証しようとする研究である。チャンピオンスポーツと生涯スポーツの融合を探る研究と言い換えてもよい。さっそく、各国の賛同が得られ、賛辞のメッセージが寄せられた。オリンピック医学アーカイブス(OMA)と名付けられ、開催国の日本を始め二十三カ国が参加する国際的な一大プロジェクト研究となる。各選手は自国であらかじめ所定の測定を受け測定データを持ち寄った。測定データはスイス・ローザンヌアーカイブ(保管)され解析されることになる。写真(※ブログ冒頭写真)は、東京オリンピック開催国の日本が所管した第1回の報告書である。
しかし残念なことに、次のメキシコオリンピックの時に参加国は激減し、次いでミュンヘンオリンピックであっさり立ち消えになった。国の枠を超えて夢を実現することは、たやすいことではないようだ。こうしたなかで、オリンピック開催国の我が国だけはこの研究の意義を尊重し、何とか続ける努力をしたのである。当時のスポーツ科学委員会の東俊郎委員長、そしてその意志を受け継いだ黒田善雄委員長の決意であった。以来、四年に一度の追跡研究を今日まで続けている。それにしても長期にわたる追跡研究であり継続すること自体に苦労はつきものであった。そうしたなかで、十回目を迎えた年から開設間もない国立スポーツ科学センター(JISS)の協力が得られ、大きな支えとなった。以後、JISSとの共同研究として継続し、ロンドンオリンピックの今回は数えて十二回目の測定を今秋に予定している。また懐かしい方々にお会いできるのが楽しみである。
伊藤静夫『東京オリンピック記念体力測定(連載・スポ研Now)』Sport Japan(Vol.4)より抜粋)

先日、TOKYO MXで放映された「西部邁ゼミナール」に、自民党伊吹文明氏が出演していた。
安倍内閣における文部科学大臣時代、全国の児童生徒とその保護者に「文部科学大臣からのお願い」という緊急アピールを配布したことが、結果的にいじめ(自殺)に棹さしたとも言われており、個人的にあまりよい印象をもっていない政治家であったが、西部邁氏をして「日本の良心」と言わしめる政治観には相応の重厚感が漂っていた。
伊吹氏は、政治家に必要なこととして「信念」「哲学」および「説得力」を挙げ、西部氏がそれぞれについて補足する。
まっとうな「信念」は、究極的には国家の伝統に支えられるものであり、それは古典的(Classic)な歴史から学びつつ、人々が持つべき良知・良識へと昇華させることによって生じるものであること。
まっとうな「哲学」は、批評精神に支えられるものであり、とりわけ現代社会においては、科学・技術がどのような「前提」から出発しているかを理解し、クールかつリアルにそれらを批評する目をもつことによって生じるものであること。
まっとうな「説得力」は、知識から実践に至る総合的な態度に支えられており、状況の全体を総合的に捉える力を養うことによって生じるものであること。
「クラッシック(Classic)」という言葉は、「階級(Class)」の意味を包含しており、そこには古い物は上等であるという意味が付与されているという。
現代社会は、古典的世界からずれることが「進歩」であるという壮大な勘違いをしているが、数々の風雪に耐えて長期間生き残っている歴史や古典の本質を踏まえつつ、状況的危機を批評精神豊かに切り開いていくことが肝要であるということで意見の一致を見ていた。

東京オリンピックは決して“兵どもの夢”ではなかった。日本人とアジアの人々に夢を与えたビッグイベントだった。問題はこれを受け継いでいる人たちにあるのだ。このような状況を放置していながら、再び東京にオリンピックを誘致しようとしている輩なのである。(…)
2016年のオリンピックを東京に誘致しようという人たちには、要するに“温故知新の精神”が欠如しているのだと思う。そして謙虚さも欠けているのだ。東京オリンピックを誘致し、成功させた先人に想いを寄せることなくオリンピックを再び東京に誘致しても、長い目でみると“兵どもが夢の跡”を残すだけになると私は思う。私は東京オリンピックの誘致に反対しないが、こういうところを改めない限り賛成できない。温故知新も謙虚さも、日本人の美徳であった筈だ。
(2008年8月25日 白川勝彦氏「永田町徒然草(兵どもが夢の跡!?)」より抜粋)

「温故知新の精神」と「謙虚さ」の欠如。
大変手厳しいが正鵠を得た指摘であると思われる。
3年前の拙稿の繰り返しになるが、ある営みが「遺産(レガシー)」になり得るかどうかは、その時点で判断することができない。
その営みの「遺産的価値」をリアルタイムに査定できるとすれば、「遺産」という言葉の意味からして語義矛盾を生じる。
価値ある「遺産」となり得るか否かは、後世の「歴史的文脈」によって「事後的に」判断されるものなのである。

スポーツと芸術の社会学

スポーツと芸術の社会学

まず人生があって、人生の物語があるのではない。私たちは、自分の人生をも、他人の人生をも、物語として理解し、構成し、意味づけ、自分自身と他者たちとにその物語を語る。あるいは語りながら理解し、構成し、意味づけていく(…)そのようにして構築され語られる物語こそが私たちの人生にほかならない。この意味で、私たちの人生は一種のディスコースであり、ディスコースとしての内的および社会的なコミュニケーションの過程を往来し、そのなかで確認され、あるいは変容され、あるいは再構成されていくのである。
(by井上俊氏)

我が国で初めて開催されたオリンピックに国を代表して臨んだ先達が刻んできた「時間(プロセス)」を、後世が参照できるような有形、無形のディスコースとして遺していく責任が我々にはある。