最新スポーツ科学情報
ブログの標題は、今年度から弊社の情報誌でスタートする連載タイトルである。
この連載では、小生の上司&同僚(日体協スポ研)および国立スポーツ科学センター(JISS)の研究員の方々から、いわゆる「スポーツ科学」の取り組みの最前線について分かりやすく紹介・解説していただくという企画である。
その連載初回の拙稿を再掲する。
そもそも「科学」とは?
「科学」の意味を辞書で調べると、概ね二つの意味内容に行き当たります。
ひとつはドイツ語の「Wissenschaft(ヴィッセンシャフト)」が意味する「一定の対象を理論や実証によって体系的に研究し、普遍的な真理を明らかにする学問(専門的知識の体系全体を指す)」というものであり、もうひとつは英語の「Science(サイエンス)」が意味する「自然における観測可能な対象やプロセスの法則性を明らかにする学問(主に自然科学を指す)」というものです。
日本語の「科学」は、哲学者の西周(にしあまね)が明治初期に学問全体を意味する「ヴィッセンシャフト」を「科學」と訳したことに端を発するといわれていますが、今日では「サイエンス」の訳語として狭義に用いられるのが一般的です。
このような「科学」の意味内容の変遷をみるにつけ、スポーツを「科学」することの本質について改めて考える必要があると感じます。
「科学的」エビデンスとは?
近年、医療現場で重視されている「根拠に基づく医療(Evidence-based Medicine)」の本来的な意味は、研究によって得られた「最良のエビデンス(≒科学的データ)」と「臨床家の経験」および「患者の価値観」などを統合し、よりよい「治療・ケア」に向けた“意志決定”を行うことにあります。しかし、実際には、エビデンスに対する無批判(使われ過ぎる)や無関心(使われなさ過ぎる)などの問題を抱えていることから、患者自身が語るナラティブ(物語)から病の背景などを理解することと合わせて治療やケアに活かそうという臨床手法の重要性も指摘されています。今日の医療にいわゆる「エビデンス」は不可欠ですが、臨床現場にはそれだけで対応しきれない場面があることも言うまでもありません。
前記の「臨床家」を「コーチ」、「患者」を「アスリート」、「治療・ケア」を「トレーニング」などに置き換えれば、スポーツ現場への指摘として読み替えることも可能です。
スポーツの現場には、医学的な臨床現場と同様、客観的(量的)に測定可能な事象と、選手やコーチの「コツ」や「イメージ」といった測定できない主観的(質的)な事象が同居しています。
また、トレーニングの負荷は、いわゆる体力論的には、運動の強度、時間、頻度といった「量的」負荷によって決まるとされていますが、その量的負荷に盛り込まれている心理的・技術的な「質的」負荷の相違によって得られるトレーニング効果が異なることも明らかです。
さらにいえば、私たちは、本来「不可分の全体(分けられないもの)」として成立しているスポーツパフォーマンスを便宜的に「心理」、「技術(戦術・戦略)」および「体力」的側面などに分けて観察や分析を行いますが、そもそも「観察・分析」とは部分的な焦点化のために他の部分を無視する行為でもあります。したがって、得られた結果(エビデンス)の解釈および有効活用のためには、パフォーマンスの全体像の理解や課題の優先順位付けへの配慮が必須となります。
いずれにせよ、前記のようなスポーツパフォーマンスに対する認識がなければ、たとえ最新の機器や高尚な方法を用いて得られた「エビデンス」であったとしても、スポーツ現場における「よりよい意志決定」にはつながらないでしょう。
「科学的」トレーニングの構築に向けて
アスリートやコーチは、日々の自己および他者観察をもとに「仮説(=こうすればこうなるはず)」を立ててトレーニングを実践していきますが、この「仮説」の妥当性が客観的(量的)および主観的(質的)に繰り返し検証されることを通して「理論(=こうすればこうなる)」が構築されていきます。
さらに、この「理論」の精度・確度は、それを“信じつつも疑う”こと,すなわち自ら「構築」した理論を自ら「解体」するという矛盾に引き裂かれながら「再構築」し続けることによってのみ高めることが可能となります。
今年の4月初旬、日本水連の平井伯昌ヘッドコーチが、例年実施している日本選手権前の高地トレーニングを今年はやらないことにしたという報道を目にしました。記事には、『(高地トレーニングについては)僕自身、誰よりも理解していると思っている。だからこそ、この方法でしかアプローチできなくなるのが嫌で今回、決断した』という平井コーチのコメントがありました。
スポーツパフォーマンスの向上を図るためには、平井コーチのような超一流のコーチであっても、いや、超一流のコーチであればなおさら、自らの「理論と実践」を絶え間なく更新していく営みが不可欠です。したがって、「スポーツ科学」には、アスリートやコーチの営みについて適切なツール(観察・分析方法)の選択または組み合わせによって精度よく記述しながら、「よりよい意志決定(最適解)」に導くための「科学的エビデンス」を提示することが求められているといえます。
本連載では、様々なスポーツ現場で「最適解」を模索している研究者の「(科学的な)試行錯誤」についてご紹介していく予定です。この連載が、読者の皆さまの「理論と実践」を「再構築」する契機となれば幸いです。
(2013年5月6日 拙稿『スポーツ「科学」とは何か?』Sports Japan 2013年5・6月号(vol.7)より抜粋)
次回以降の内容をお楽しみに!