健幸華齢の実現に向けて

moriyasu11232013-08-13

平成21〜23年度に実施された日本体育協会スポーツ医・科学研究事業「高齢者の元気長寿支援プログラム開発に関する研究プロジェクト(班長田中喜代次氏)」の成果をまとめた書籍が発刊された(研究概要はコチラ→第1報第2報第3報)。
書籍のタイトルは『健幸華齢(Successful Aging)のためのエクササイズ』。
今日現在、全国官報販売協同組合および日体協ホームページ(特別価格)より購入可能である。
「サクセスフル・エイジング(Successful Aging)」は、「疾病や身心の機能低下と上手につきあいながら、豊かで張りのある老年期を送ること(を願う)」という意味をもつが、本書では、それをさらに発展させた言葉(訳語)として「健幸華齢」を提示している。
本書の要諦は直接手にとってご確認いただくとして、本の売り上げには影響しないであろう拙稿を再録する。

はじめに
2011年7月、日本体育協会(以下、本会)は、スポーツの21世紀的価値やスポーツ界が果たすべき使命を謳った『スポーツ宣言日本〜21世紀におけるスポーツの使命〜(以下、スポーツ宣言日本)』を発表しました。
この「スポーツ宣言日本」には、『自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である』というスポーツの定義が示されており、さらに『スポーツのこの文化的特性が十分に尊重されるとき、個人的にも社会的にもその豊かな意義と価値を望むことができる』と続いています。
一般に「文化」とは、「人間が単なる生物的存在以上のものとして生の営みをより良きものとするために、所与の社会において世代から世代へと創造的・発展的に受け継がれる行動様式の総体」と捉えられています。したがって、私たちの社会におけるスポーツが、「Quality of life(QoL:カラダの質、生活の質、人生の質)」の充実をもたらす「文化」として、世代から世代へ創造的・発展的に受け継がれ、その文化的機能を豊かに発揮しているかが問われているともいえるでしょう。
以下では、「スポーツ宣言日本」に則り、「自発的な運動(エクササイズ)」を含む広義のスポーツ定義を採用しながら、「健幸華齢(健康+幸福+元気長寿)の実現」に向けた本会の役割と課題について考えてみたいと思います。
「健康加齢」から「健幸華齢」へ
世界保健機関(WHO)は、1946年の憲章草案における「健康」定義の中で「個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態」にあることを意味する「well-being(ウェル・ビーイング)」という概念を打ち出しました。この背景には、一部の社会的弱者のみを援助するという従来の福祉の考え方を超えて、より多くの人々の人間的に豊かな生活を支援する多様なソーシャルサービス構築への意識があると考えられます。
また、1960年代には、より広い視点からみた健康観、すなわちどれだけ自分らしい生活を送り、人生に「生きがい」や「幸福」を見出しているかをとらえる概念(尺度)として「wellness(ウェルネス)」が提唱されました。この概念は、個々人の人生および社会的にみたQoLの向上または保持のためには、スポーツやレジャー、レクリエーションのみならず、労働、福祉、教育から、環境、医療、栄養、さらには宗教や心理に至るまでの、多面的・多次元的なアプローチが必要であることを示唆しているといえます。
明治以降に西欧から輸入されてきた「スポーツ」という文化には、行政や教育機関が「先導・主導」しながらスポーツ活動を盛んにするという「振興」を目指してきた経緯があります。同時に、そのスポーツ「振興」の成果は、社会的な動向(流行)に左右されたニーズを一時的に満足させるための、または仕事の合間(余暇)を補完するための、あるいは健康の維持・増進のための「手段」としてのスポーツの「必要性」に支えられてきた側面もあります。
一方、明治以前の我が国には、身体そのものを含む「自然」の流れを重視する「養生」という概念がありました。治療困難な疾病が多かった時代は、生活習慣や食事に気を配り、身体の声に耳を澄ませながら生きることは当たり前であり、現代よりも身近に存在していたと思われる「死」を達観した「死生観」なども数多く書き記されています。
その代表例ともいえる貝原益軒の「養生訓」には、「道を行い、善を積むことを楽しむ」、「病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ」、「長寿を楽しむ」という養生の視点からの「三楽」が示されています。「訓」というやや固いタイトルが付けられていますが、その冒頭に「楽しむこと(三楽)」が掲げられ、生活に密着した実践や経験から導き出された「身体の養生」のみならず「こころの養生」も説かれているところに「養生訓」の本質があると考えられます。
本書のタイトルに掲げられた「健幸華齢」のそれぞれの文字には、「【健・けん】すこやかなこと。体が丈夫なこと。盛んに行うこと。」、「【幸・こう】さいわい。しあわせ。かわいがること。繁栄。」、「【華・か】美しいこと。盛りであること。時めくこと。はなやかなこと。みごとなこと。」、「【齢・れい】生れてからこの世に生きている間。とし。年齢。」などの意味が付与されています。
これらの文字の意味内容を重ね合わせつつ、人は生涯を通して発達していく存在であるという「生涯発達」の考え方を踏まえれば、「自発的な運動の楽しみ」を基調とするスポーツを通した個人的・社会的ウェルネスの実現、すなわち「健幸華齢」の実現に向けた人々の自発的・自治的なスポーツ活動を後押しするという「推進」が求められているといえるでしょう。
「健幸華齢」を支えるコミュニティの構築に向けて
これまで以上に情報化と都市化の進行が予想される社会においては、生活の責任主体としての地域の参画が不可欠であることはもちろん、人々の自発的なスポーツ実践を促すという点でも、スポーツに内在する「公共性」の活用による新たな「共同体(コミュニティ)」の創造や再構築が求められているといえます。
ここでは、「他者」という言葉を「他人」や「他己」と対比させることにより、スポーツの持つ「公共性」について整埋してみます。
例えば、たまたま電車に乗り合わせた乗客同士は「知らないので関わらない人=他人」になりますが、この「他人」との関係では「共存のための秩序」を暗黙の前提にした「ルール」にもとづく「規範性」がカギになります。
一方、家族や友達などは「知っているので関わる人=他己」であり、この己の世界にいる「他己」との関係では「親密さ」にもとづく「共同性」がカギになります。
この「他人」と「他己」との間にいる「知らないけれども関わる人=他者」との関係こそが、「ルール(規範性)と親密さ(共同性)」の両義的な「あいまいさ」の中にある「社会性」という言葉の実質であり、スポーツにおいても極めて重要な関係性であるといえます。なぜなら、スポーツの語源である「プレイ(遊び)」の要素は、ルールに基づいた親密さの中で競争・協働する「他者」との関係なしには生まれないからです。このような関係性を内包しているからこそ、スポーツという文化は、ときにコミュニティの構築に貢献し、ときに人生の意味をもたらすものにもなり得るのでしょう。
「公共性」が「私」の対語としての「みんな」を意味するとすれば、スポーツに内在する公共性とは「みんな=他者の集まり」性と捉えられることから、人々の自発的・自治的なスポーツ活動を推進するためには、「他者の集まり」を可能にする諸条件を探る営みが不可欠になります。
この「みんな=他者の集まり」という形で人々がつながる道筋として、社会的な課題に対して「みんな=他者の集まり」で取り組む活動を通したコミュニティの創造や再構築を促す「ソーシャル・ソリューション」という考え方があります。
2012年3月に文部科学省が策定した「スポーツ基本計画」には、政策課題として「年齢や性別、障害等を問わず、広く人々が、関心、適性等に応じてスポーツに参画することができる環境を整備する」こと、政策目標として「住民が主体的に参画する地域のスポーツ環境を整備するため、総合型地域スポーツクラブ(以下、総合型クラブ)の育成や指導者および施設の充実等を図る」ことが謳われています。総合型クラブとは、種目の多様性、世代や年齢の多様性、そして技術レベルの多様性という3つの多様性をもち、日常的に活動の拠点となる施設を中心に、会員である地域住民の多様なニーズに応じた活動が質の高い指導者のもとに行えるスポーツクラブです。言い換えれば、内輪で楽しむ「私益」ではなく、地域住民に開かれた「公益」を目指した非営利的な組織といえますが、本会もこの総合型クラブをはじめとする地域スポーツクラブのもつ「ソーシャル・ソリューション」機能に着目し、その育成・支援を重要課題としています。
スポーツの持つ意味や価値が多様化し、「福祉」や「幸福」という社会目標としての重点化も進む中で、スポーツに内在する「みんな=他者の集まり」性を活用した新しい「コミュニティモデル」の構築が求められているといえるでしょう。
「健幸華齢」の実現に向けた本会の役割
今日、超高齢化と少子化が同時進行している我が国では、「老老介護」、「認認介護」、「閉じこもり」、「虐待」、「孤独死」などの社会問題を指し示すキーワードがメディアで踊っています。また、そう遠くない将来、虚弱者、要介護者、寝たきり者が現在の3倍程度に増えていくことが予想されており、要介護者をケアする人手不足も想定されることから、個人や家族、さらには地域社会のQoLにも多大な影響を及ぼすことが危惧されています。
このような多様かつ複雑な社会問題に対して、スポーツはどのような貢献が可能なのでしょうか。
本書の代表編者である田中喜代次氏は、一人でも多くの人の「健幸華齢」を実現するためには、元気長寿に不可欠な「運動を柱とした適切な生活行動の習慣化を自覚すること(個の覚醒)」を引き出し、それが家族、職場、そして地域の覚醒へと波及するよう支援していく必要があると述べています(本書「序」参照)。
また、太田仁史氏は本書の巻末で、「一人の100歩より百人の1歩」というフレーズを援用しながら、一人でも多くの人が「死」の間際まで自立(≒自分で立てる)した生活を送ることが「華齢」プロセスの有終の美を飾ることになると指摘しています。
かつて福沢諭吉は「一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし」と述べましたが、前述のお二人の指摘と重ね合わせれば、一人でも多くの人の覚醒と自立(≒自分で立てる)を促すことが、家族や社会(国)の覚醒と自立、さらにはグローバル(天下)な覚醒を促すことにつながると捉えられます。
したがって、本会をはじめとするスポーツ界には、「自発的な運動の楽しみ」を基調とするスポーツによって得られる自己満足を自己実現に成熟させ、さらにそれを社会的貢献へと波及させることを意識した取り組みが求められているといえるでしょう。
本会では、多様なスポーツライフスタイルの形成を促すための科学的エビデンスを提供することを目的として、約50年もの長きにわたって250を超えるテーマによる「プロジェクト研究」に取り組んできています。プロジェクト研究では、ある「問題(テーマ)」を共有した専門領域の異なる複数の研究者が、それぞれの立場や関心に基づいた研究の成果を共有するという「学際的(inter-disciplinary)研究」のスタイルが一般的ですが、近年は、人々の生活や社会の要請によって規定された「問題解決(最適解)」の共有を目指す「学融的(trans-disciplinary)研究」の重要性も指摘されています。
この「学融的」な研究プロジェクトにおいて最も重要なことは、研究の目的が「何が、どちらが正しいか(正解)」ではなく「どうすれば(関係者相互に)満足できる結果が得られるか(最適解)」の共有にあること、そして最適解を導くためには「問題を専門分野別に切り刻む」のではなく「問題に合わせて専門分野のほうを切り取る」という視座に立った研究の実践が必要であることについての共通理解にあるといえます。
とりわけ、生涯にわたってスポーツ「のある(=をする、みる、支える等)」暮らしや生き方を「通した」コミュニティ構築の可能性をリアルに追究するためには、「競技スポーツと大衆スポーツ」、「市民と行政」、「学校と地域(家庭)」、「予防と処方」、「生きがいと健康(体力)」、「都市と地方」など、人々の生活シーンにおける接合面、すなわち草の根(グラスルーツ)へのアプローチによる「知識生産」が必須です。
本会のスポーツ医・科学研究には、上記のようなグラスルーツにおける研究の積み重ねによって、より多くの人の「健幸華齢」の実現に寄与するという役割を担うことが求められており、本書はその端緒であるといえるでしょう。
2013年5月30日 拙稿「健幸華齢の実現に向けてスポーツが果たすべき使命とは?─日本体育協会の役割と課題─」より

本書が、豊かなライフスタイルの構築に貢献する運動(スポーツ)の魅力や有益性についての理解を促し、一人でも多くの方の「健幸華齢」実現の一助になれば幸いである。