九州体育・スポーツ学会

moriyasu11232011-08-25

今週末、沖縄(名桜大学)で標記学会大会が開催される。
第60回という節目の大会にシンポジストとしてお呼ばれしている。
大変光栄なことである。
シンポジウムのテーマは「体育学・スポーツ科学をめぐる学際性のゆくえ ―第一専門分科会諸学問領域に求められるべき新たなパラダイムとは―」。
第一専門分科会というのは、人文・社会科学系の研究者が集う分科会とのこと。
一体何を話せばよいのか…と途方に暮れing(現在進行形)である。
コーディネーターを務める畏友T君が認めたシンポジウムの趣旨は以下の通り。

今日の学問(discipline)をめぐるトピックは、「学際(性)」(interdisciplinary)へと向かっている。「学際(性)」とは、従来、あまり結びつかなかった複数の学問分野・領域に精通している研究者らが共同で研究に当たることであり、従来までとは異なった観点、発想、手法、技術などの導入に伴い、新たな成果を生み出す可能性を秘めている、とされる。
体育学ならびにスポーツ科学は、多種多様な学問分野・領域への「分化」の歴史を有している。第一専門分科会の属する各学問分野・領域においてもまた、いわゆる「親学問」との接近が活発に志向され、独自の「学問知」を構築してきた。しかしながら、上述した今日の学問をめぐるトピック(動向)に鑑みたとき、本分科会諸学問分野・領域は、「学際 (性)」を意識すべき時期にありはしないか。「分化」の歴史を有する体育・スポーツに関する諸学問分野・領域は、「学際性」を基軸とした、「統合」というパラダイムの(再)構築が求められているといえよう。
そこで、本シンポジウムでは、第一専門分科会に所属する会員を中心に登壇願い、今後の在り方と可能性について自由に発言する機会を与え、討論したいと考えている。

T君に提出した拙稿を再録する。

カナダの臨床疫学者Guyattが提唱した「Evidence-based Medicine(EBM)」の本来的な意味は、疫学的研究によって得られた最良の根拠(エビデンス)と臨床家の経験、そして患者の価値観を統合し、よりよいケアに向けた意志決定を行うというものである。しかしながら、実際にエビデンスを「伝える」場面では、患者一般にどのように伝えて、その反応をどのように研究者へとフィードバックさせるかという問題があり、またエビデンスを「使う」場面では、「エビデンスEBM」の混同による(使われすぎる)診療と、経験のみに頼る(使われなさ過ぎる)診療が併存するという「エビデンス・診療ギャップ」の問題も指摘されている。これらは、スポーツにおけるコーチングの意志決定プロセスに孕む問題として読み替え可能である。
ターゲットとすべき課題が多岐にわたる「コーチング(学)」のようなメタな問題意識が、既存の学問領域の一分野に過不足なく収まることはない。実践を伴う理論的考察では、個別事例から一般原理や法則を導き出したり、逆に一般原理から個々の事実や命題の推論が行われるが、枠にはまらずあらゆる知識と経験を活用し、実践にとって有用な仮説的推論を重視する必要がある。また、自然科学と人文(社会)科学、数量(統計)的研究と質的研究の「科学性」は異なり、「手段」としての研究方法の正しさは「目的」に応じて決まるため、すべての条件を取り払ったうえで「絶対的に正しい方法」もあり得ない。さらに、研究方法の長所や限界を理解し、目的に応じて適切なツールを選択する能力は、1つの研究法に習熟してそれを突き詰めていく専門研究の能力とは異なるものでもある。コーチング(学)研究の目的が、コーチング周辺の現象の適切な説明と課題解決のために必要な「同一性(構造)」の明確化にあると考えることは、「量的vs質的」「自然vs人文(社会)」といった不毛な二元論的対立を超えた学際性の追究、すなわち「Evidence-based Coaching」の端緒となるはずである。
単なる複数分野の寄せ集めではない「学際的研究」の核心は、ある問題(テーマ)の本質を多方面から総合的に理解したいと願う研究者が、関連する諸学問分野のなかに踏み込み、複数分野の知識や方法を学び、自身の内部で「学際」を達成することにある。「コーチング(学)」の個別および一般理論化の相互補完(体系化)を念頭においたとき、体育学・スポーツ科学に関連する学会に求められる役割として、様々な分野・領域のもつ信念や関心を相対化したうえで、相互に了解可能な共通目的を共有し、それぞれの仮説や方法の妥当性を問い合うような「場」としての機能が浮かび上がってくる。
(シンポジウム抄録「コーチング学の体系化に向けた学際性の意味」より)

大変楽しみなのだが、準備が遅々として進まないのが困りものである。
さてどうしたものか…ing。