加賀谷淳子先生ご逝去

moriyasu11232011-07-31

加賀谷淳子さん 71歳(かがや・あつこ=日本女子体育大元学長)
24日、胆管がんで死去。告別式は29日午前10時30分、東京都府中市浅間町1の3府中の森市民聖苑第3式場。喪主は長男、崇文(たかふみ)氏。
「運動と循環調節」の研究で評価され、2007年に「秩父宮記念スポーツ医・科学賞」の功労賞を受賞した。
(2011年7月26日 読売新聞より)

写真は2007年6月20日高円宮妃殿下ご臨席のもとで行われた「第10回秩父宮記念スポーツ医・科学賞」表彰式のひとコマである(右は奨励賞受賞者代表の竹中晃二氏)。
その受賞の折に配布されたリーフレットの内容に基づいて、加賀谷先生の業績を振り返ってみたい。
先生は、1962(昭和37)年にお茶の水大教育学部体育科をご卒業、1962(昭和37)年東京大学大学院教育学研究科修士課程、1964(昭和39)同博士課程に進学され、1972(昭和47)年に博士(教育学)の学位を取得された(学位論文のテーマは「血流量からみた筋持久力」)。
1966(昭和41)年、専任講師として東京家政学院大学に赴任。1977(昭和52)年には助教授として日本女子体育大学に移られ、1985(昭和60年)同教授に就任される。
その後、体育学部基礎体力研究所長、体育学部スポーツ健康学科長などを歴任され、2002〜2005(平成14〜17)年には学長の重責を担われた。
研究分野は運動生理学、とりわけ「運動と循環調節」をライフワークとされ、運動と末梢循環調節機構に関する基礎研究に情熱を注がれたが、これら研究成果は日本臨床生理学会や日本体力医学会等の学会賞受賞につながっている。
また、平成16年度には文部科学省の私立大学学術研究高度化推進事業である学術フロンティア推進事業「運動時における循環調節機構の統合的解明」が採択されその代表も務められた。
この事業は、優れた研究業績を上げつつ将来の発展が期待される研究組織が「学術フロンティア推進拠点」として選定され、内外の研究機関との共同研究に必要な研究施設、研究装置、設備の整備に対し、重点的かつ総合的支援が行なわれるものである。
著名な研究者を集めて本プロジェクトを編成し、そのリーダーとなって研究事業を推進するだけでなく、ご本人自らも「骨格筋への血流配分と筋からの血流還流」をテーマにユニークな研究成果をあげられた。
さらに上記のような研究業績だけでなく、多くのプロジェクト研究にも参画されている。
1991(平成3)年から日本体育協会スポーツ医・科学専門委員会の委員として活躍され、1993(平成5)〜1995(平成7)年の3か年にわたり「中高年者の筋機能向上に関する研究」のプロジェクト研究班長をつとめられた。中高年者の健康運動としてもっぱら有酸素運動が奨励されている時代にあって、加齢による筋機能の低下をいち早く問題提起された。これらの研究成果は、中高年者を対象としたレジスタンストレーニングが筋機能に及ぼす効果について多角的にとらえたもので、その後のこの分野の発展に多大な貢献をなすものとなった。
このほか、文部科学省厚生労働省、東京都教育庁、体育科学センターなどにおける数々の要職とともに、学会活動においても日本体育学会理事・代議員、日本体力医学会理事、日本運動生理学会理事などを歴任され、第20期日本学術会議会員(健康・生活科学)も務められた。
以上の学術的および社会的業績もさることながら、さらに特筆すべきは、その温かいお人柄と厳しい指導を慕って多くの学生や研究者が先生のもとに集い、優れた人材が数多く輩出されたことである。
畏友K君もその薫陶を受けた研究者の一人である。
・ ・ ・
冒頭記事にある功労賞を受賞された年の12月、先生が分科会委員長を務められていた日本学術会議健康・スポーツ科学分科会が主催するシンポジウムに参加。
終了後、下記のようなメールを送らせていただく。

分科会のとりまとめ役としてご苦労されている先生に、突然このようなメールをお送りするのは無礼千万であることは重々承知しつつも、シンポジウムの展開に若干の違和感を覚えたことについて、大変僭越ではありますが少々コメントさせていただきたいと思います。
当日の小生としては、特に若手のプレゼンについては、概ね研究内容を理解している自然系4名の先生もさることながら、むしろ人文系のS先生により関心をもって臨みました。さらに言えば、30分程度ではありましたが、総合討論の場が設定されていたことに大いなる期待を抱いておりました。
しかしながら、実際には個別の発表に対する質疑が主で、横断的な議論はほとんどありませんでした。I先生から投げかけられた「理論的知識の体験的知識化と体験的知識の理論的知識化について」という重要な問題提起を受けての司会進行は拙いものであり、S先生の応答も飛ばすなど重要な議論の契機を逸したといっても過言ではないと感じました。
全体として、人文学的研究は「よくわからないもの」であるという空気に満ちており、先生がおっしゃった「ここに人文系の研究者がいることが重要である」というコメントも、残念ながらその空気を変化させるには至らなかったという印象です。
釈迦に説法ですが、文科・理科という区分は後発近代化国だった日本に独特で、欧米ではサイエンスとリベラルアーツを区別し、サイエンスにはナチュラルサイエンスとソーシャルサイエンスが入るといわれます。
また、全体性からかけ離れた専門人だらけになるのを危惧するところから、インターディシプリナリ(学際的)の概念が生まれたそうですが、学問にはインターディシプリナリはあり得ず、あり得るのはトランスディシプリナリ(横断的)だけという意見も散見されます。すなわち、複数の専門性を融合するのは困難であり、できるのは複数の専門性を「連関させる」ことだけだという指摘です。(…)
S先生も触れていましたが、日本体育学会で「体育学の分化と統合」がテーマになって久しいものの、統合に関する試みがほとんど出ていないことが(私が知らないだけかもしれません)、その困難性を象徴していると感じます。これは日本学術会議を中心とした学会(学界?)のあり方とも無関係ではないと考えます。
今回のセミナーで言えば、先生がコメントされた「オリンピックで勝つことにどんな意味・意義があるのか?」といった問いに対して、それぞれの研究者がそれぞれの立場で意見を述べつつ、他の研究者の視点により「目から鱗がおちる」ことで、自分の既知がより広く深いものとなり、それが自身の研究の視座を変化させることにつながるという循環こそが、体育学の横断的研究には欠かせない営みと言えるのではないでしょうか。
少なくとも「研究者の内発的動機づけで行われる『学究の研究』が重要である」ということだけが、このセミナーの意図する、そして先生の望んだまとめではなかったであろうと拝察します。(…)
(2007年12月26日 私信より抜粋)

この生意気なメールを送った日の夜に、大変ご丁寧なお返事を頂戴する。

12月22日の学術会議健康・スポーツ科学分科会セミナーに参加してくださいまして、誠にありがとうございました。お会いすることはできませんでしたが、後で、参加されていたことを聞きました。そして、セミナーに対する真剣な感想を頂戴し、大変感謝しています。前向きなご意見を伺うのは大変うれしいことで、私は大歓迎です。
今期の学術会議が目指す「文理融合」は健康・スポーツ科学分野においてこそ、重要であると考えていましたので、若手セミナーも本分野の多くの領域を含むかたちで実施したいと考えていました。S先生に対して、私が申し上げたいことはその前から他の方からも出ていましたし、時間がなかったのですが、自然系の学問が進んできた今だからこそ、哲学や倫理学等人文系の科学の発展がより一層必要だとの考えを是非伝えたくて、重複しましたがあえて発言させて頂きました。ちょっと気力が十分でなかったので、余りインパクトはなかったようですね。
総合討論については、打ち合わせ時に演者の方からも「総合討論で何を議論するか明確に」というリクエストが出ておりましたが、それが見えるかたちにはならなかったかもしれないと申し訳なく思います。準備の段階でもう少し時間をかけて、趣旨を徹底させる必要があったかと思います。(…)
K先生は(…)あの時点で議論を「基礎科学の重要性」に持っていかれましたので、ちょっと流れが変わってしまったかもしれません。K先生にはそのことにこだわりがありましたようです。
分科会では「シニア研究者と若手研究者が連携」をすることにより、研究の活性化を図りたいと考えていましたので、若手の発表に対しては分科会委員がきちんとコメントすることにしていました。(…)その意味で重要な問題提起をして下さったI先生には感謝致します。
サイエンスに関するご説明は大変勉強になります。現在学術会議の健康・スポーツ科学分野の会員は私一人です。どのようにして、この広い分野を統合していくか考えているところです(全分野にわたる学会の連合体をつくることに一歩踏み出しました)。具体的にはなかなか、大変な問題ですが、できるところまでやりたいと思っています。現段階では34学会が学術会議の元に連携することに賛同しています。連合体はもう少し先です。
同時に、210人の学術会議会員の中、たった一人しかいないこの分野を、他の分野の会員に知ってもらうこと、サイエンスとして認知してもらうことも私の仕事です。最初「加賀谷先生、スポーツに科学があったんですね」などと言う発言も聞かれましたが、最近は、「とても面白い分野だ」との声を耳にします。(…)
セミナーがあのようなかたちで実施できたことは、大変意義があったと思いますが、問題点も多々ありました。ご指摘頂いた問題を今後に生かしたいと思います。
お忙しい中、しっかり書いて下さいまして本当にありがとうございました。
(2007年12月26日 加賀谷先生からのお返事より抜粋)

この後、平成20年度からスタートした本会事業である「子どもの発達段階に応じた体力向上プログラムの開発事業文部科学省委託事業)」では全体の座長をお願いしていたが、残念ながら事業の半ばで体調を崩され、全ての要職を辞して自宅療養を中心とする闘病生活を送られていた。

畢竟「さようなら」は、これまでの過去を踏まえた現在を「さようである」と諒解しつつ、「ならば」と未来に向けて一歩踏み出すことの確認が含意されているということになる。
「花びらは散っても花は散らない。形は滅びても人は死なぬ。(by金子大栄氏)」。
物質としての「花びら」は否応なく散らざるを得ないが、確かに咲いたという事実としての「花」は散らないということである。
「花びらは散る/花は散らない」という金子氏の言を借りれば、「さようなら」は、「花」が咲いたことを確かめる「まじない」とも「挨拶」ともいうことができる。
さらにもうひとつ大事なことがある。
そもそも「さようなら」は、繋ぎの言葉(接続詞)であるが故に「であるならば…」という確認に留めているということであり、その先どうするということを語らないままに別れていることになる。
そこには、何はともあれ過去を踏まえつつ現在を確認・総括することによって、未来も何らかの形でやっていける、生きていけるという思いが込められている(…)
(2010年10月15日 拙稿「「さようなら」の意味」より抜粋)

ものごとの「終わり」や誰かとの「別れ」に内包されている「はじまり」というものがある。
そしてその先も続いていく「時間」、あらゆる感情が濾過され、ゆるやかに沈殿されていく「時間」がある。
「終わり」は「はじまり」のために、「はじまり」は「終わり」のために…
先生が寛容に受け止めて下さった数々の生意気を、自らの実践の「はじまり」とせねばなるまい。
加賀谷先生、ありがとうございました。そして、さようなら。
合掌。