Evidence-based Coaching(EBC)とは

moriyasu11232011-04-13

昨年の9月に開かれた日本体育学会体育方法専門分科会シンポジウム「実践系個別学会と体育方法専門分科会の活動の関係性はどうあるべきか ─体育方法専門分科会のオリジナリティーを考える─」にて、日本陸上競技学会の代表(の代理)として私見を述べた。
そのときのプレゼン内容や拙稿(根拠に基づくトレーニング)ほかを土台にしてまとめたものが、コーチング学研究(日本体育学会体育方法専門分科会会報第37号)に掲載された(写真は表紙)。
折角なので(何が?)ここに再録する。

はじめに
今回のシンポジウムは,実践系個別学会(以下,実践系学会)の代表者が,それぞれの学会の目的,会員の特性,主な活動内容と研究方法,獲得される知などについて紹介しながら,体育方法専門分科会(以下,分科会)に期待する内容やあるべき姿などについての議論を通して,分科会が進むべき方向性についての共通理解を得ることが目的であった(中川と図子,2010).
2010年3月、分科会の関連学会である「日本スポーツ方法学会(The Japan Society of Sport Methodology)」は、「日本コーチング学会(The Japan Society of Coaching Studies、以下コーチング学会)」」に名称変更された。分科会と実践系学会との望ましい関係を見いだすにあたっては、当然コーチング学会を含めた三者の関係性についても問われる必要がある。
久保(2010)は,「教えること(teaching)」「指導」および「コーチング」という概念の意味と分化について整理し,「コーチング」という言葉が「事実」や「規範」を「教える」という意味を持たないことから,「コーチング」とは「スポーツの技術を教え,その卓越を目指して訓練(トレーニング)し,目標の達成を目指して統率(リード)することである」と述べている.一方で,スポーツ指導には「教える」はもちろん,「指示する」「強いる」といったスタイルも不可欠であり,さらに「教育」を広く「文化の発展継承」と捉えれば,広義のスポーツ指導(教育)を言い表す概念として「体育方法」という名称が適しているのではないかという指摘もある(佐藤,2010).
分科会の名称については未だ議論の途上にあると聞き及ぶが、「コーチング」に「指導に関する」より大きなかつ深い意味が含まれている(村木,2010)とするならば,佐藤が指摘するような意味内容が予め包含されているとする方向性もあるだろうし,従来どおり「体育方法」を冠して取り扱う問題群の棲み分けを図るという方向性もあるかもしれない.
この問題については,分科会(コーチング学会)のイニシアチブに期待すると同時に,我々自身も常に当事者意識をもって議論に加わるべきことは言を俟たないが,本稿ではひとまず「分科会(コーチング学会)」という表現を採用しながら,筆者が関わっている実践系学会(日本陸上競技学会)との関係性や進むべき方向性についての私見を述べてみたい.
日本陸上競技学会の特徴
2002年に設立された日本陸上競技学会(以下,陸上学会)は,研究者のみならず,コーチ(指導者),教員,一般愛好家などからなる約350名の会員を擁する日本学術会議協力学術研究団体である.学会の会則には「陸上競技に関する理論的・実践的研究の発展をはかり,会員相互の交流を促し,これによって実践に資すること」という会の目的が示されている.
第3期目(2008年度〜2010年度)となる学会役員には,会長に日本陸上競技連盟専務理事,副会長に同連盟科学委員長およびランニング学会会長が就任しているのをはじめとして,陸上競技コーチングや研究に携わる関係者がその名を連ねている.
年1回開催される学会大会においては,種目毎の専門的なテーマによる研究発表はもとより,「暑熱対策と給水」「運動感覚」「トレーニング期分け」「体力トレーニング再考」「ジュニア競技者育成」「国際競技会での成功と失敗」といった横断的なテーマによるシンポジウムやトップレベルの選手・コーチによるオンコートレクチャー,陸上競技以外の専門家を招いた講演(JRA競走馬総合研究所の研究員によるサラブレッドのトレーニングに関する講演)なども開催されている.
学会の機関誌である「陸上競技学会誌(年刊)」においては,「研究(学術上および指導・実践上の価値のある新しい研究成果を記述した原著論文)」,「ショートペーパー(新規性があり,早く発表する価値のある論文)」,「報告(理論的,実践的,事例的な問題についての調査・実験など有用な結果の報告)」,「解説(新知見,他の競技種目のトレーニング方法など,多数の学会員にとって未知であり,知らせる意義のある記事)」,「Round-up(国内外の情報,学会員相互の問題提起や話題の提供,対談など)」,「その他(研究発表抄録,学会運営や内容に関する自由意見など)」などによる情報提供がなされている.
これらの活動を踏まえれば,陸上学会は,理論と実践の関係性を踏まえた科学性の観点からは,陸上競技の種目それ自体を取り扱わないような基礎的研究から実践に直接貢献できるような応用研究まで幅の広い射程をもっており,また研究方法の観点からは,力学,生理学および心理学といった個別研究領域の方法論を用いて多面的に研究を進めているとみることができる(青山,2010).
このような立場をとる実践系学会と分科会(コーチング学会)との間に「互恵関係」を結ぶためには,どのような役割分担を図る必要があるのだろうか.
根拠に基づくコーチング(Evidence-based Coaching:EBC)という方向性
カナダの臨床疫学者であるGuyatt(1991)が提唱した「根拠に基づく医療(Evidence-based Medicine: EBM)」は,国内では「臨床家の勘や経験ではなく科学的な根拠(エビデンス)を重視して行う医療」と説明される場合があるが,本来は疫学的手法を主体とする研究によって得られた最良の根拠(best research evidence)と臨床家の経験(clinical expertise),そして患者の価値観(patient values)を統合し,よりよい患者ケアに向けた意志決定を行うものである.
また,適切なエビデンスをつくるための臨床研究の視点として,「患者にとって意味があるものであること─患者がより長く,健康に,生産的に,そして症状に苦しまずに生きることを助けること」の大切さを前提とした問題意識こそ人間を対象とする研究の基本であるという「Patient-Oriented Evidence that Matter(POEMs)」も提唱されている(Shaughnessy and Slawson,2003).
しかしながら,実際に研究成果としてのエビデンスを患者や一般市民に「伝える」という局面では,専門的な知見をいかに伝え,またその理解および反応をどのように研究者にフィードバックさせていくかが大きな課題となっており,さらにそれを「使う」という局面では,エビデンスが医療現場で「使われなさ過ぎる」問題と,「エビデンスEBM」という混同による「使われすぎる」問題が併存するという「エビデンス・診療ギャップ」の存在も指摘されている(中山,2010).
上記のEBMに関する指摘にある「臨床家」を「コーチ(指導者)」,「医療・診療」を「コーチング(指導)」,「患者」を「アスリート(選手)」に変換すれば,そのまま斯界が抱える問題として読み替えることができてしまう.
独立行政法人産業技術総合研究所産総研)では,未知現象を扱うことによる普遍的な理論形成のための「第1種基礎研究(発見・解明)」,特定の社会的ニーズのために,複数の理論を組み合わせ,手法と結果に規則性・普遍性のある知見および目的を実現する道筋を導き出す「第2種基礎研究(融合・適用)」,上記の研究および実践経験から得られた成果をもとに事業化可能性を検討する「製品化研究(実用化)」という3つの研究類型を設けている(産総研,2006).
従来の基礎研究は,データを取り,明らかになった知見を論文にして終了するが,産総研では,データを具体的に活かすための「解釈」「簡素化」「ルール化」「デザイン手法の開発」を目的とした「第2種基礎研究」を重視するとともに,「第1種…」から「第2種…」,そして「製品化…」という一連の研究プロセスを“本格研究”と呼び,これを推進することを組織運営理念の中核に据えている.「モノづくり」に関する最先端の研究機関が「マクロの人間科学」を中軸とする研究プロセスを重視していることは,「人間が行う文化的な営み」としてのコーチングに関する研究のあり方を考える上で極めて示唆的である.
朝岡(2010)は,今日のコーチング学を広い意味でのスポーツ指導方法論(Methodik des Sports)として捉えるならば,その内容は,学習の内容と手順を提供する「マネジメント方法論」,身体的・心的前提の形成方法を提供する「トレーニング方法論」,そして動きつくりの方法を提供する「運動形成方法論」の3つに大別されるとしている.
また,中川(2010)は,コーチが現実に行っている仕事の3つの主要な要素,すなわち「クラブ・チームの組織化」,「トレーニング・練習・稽古」,「試合・競技・演技」に対応した下位領域として「マネジメント論」「トレーニング論」「試合論」を設定し,それらの対象となるスポーツ運動の理解に必要不可欠な「運動論」を加えた4つの構成要素を細分化しつつコーチング学を体系化していくことを提案している.
同様に,村木(2010)も,「コーチング学」の研究がターゲットにすべき課題について,運動を予め心・技・体などの側面に断片化することを戒めつつ,現前する運動(指導)の場(フィールド)を中心に設定された問題圏としての「パフォーマンス論」「トレーニング論」「試合(ゲーム)論」「ティーム組織論」という相互に関連し合う4つの領域に大別している.
これらの領域や構成要素の関連性を示すシェーマの描き方は恐らく無限にあるが,いずれにせよこの種の問題意識が既存の学問領域の一分野に過不足なく収まることはまずあり得ない.
また,「科学性」という言葉ひとつとっても,自然科学に代表される統計的・数量的研究における科学性と,人文(人間)科学に代表される質的研究の科学性は異質なものである.
一般的に,いわゆる「量的」研究は,全体傾向や分布を知る場合などに用いられ仮説検証や一般性のある知見を生み出すこと向いているとされているが,特定の前提がなければ成立しないため「前提そのもの」を問うことはできない.
一方,「質的」研究は,仮説生成や前提自体の問い直しが可能だが,仮説検証や一般性のある知見を生み出すには不向きである.競技スポーツを例に取れば,多くの選手に当てはまる知見(原理・原則)を得て,それをもとに適切なコーチング(トレーニング)をしたいという関心のもとでは,運動生理学や生化学,バイオメカニクスなどの量的研究が有効なエビデンスになることもあるだろうし,選手や指導者の内的(意味)世界を理解することで,現場でのコミュニケーションを円滑にし,トレーニング効果を上げていきたいという関心のもとでは質的研究が有効な枠組みになることもあるだろう.
研究の「方法」が「何かを行うための手段」である以上,その正しさは「目的」に応じて決まるものであり,だとすればすべての条件を取り払ったうえで「絶対的に正しい方法」はあり得ないはずである.「測る」ことによって数値化できる量的な情報に比べて,コーチや選手の意図や意識,得られた感覚や感触といった質的な情報(情報化プロセス)は「情報化」されにくいという側面があるが,実践知の本質は両者の「階層差」にこそ存在するものである(森丘,2008).
松井(1978)は,今を遡ること40年以上前に「スポーツマン養成計画の中に位置づけられたトレーニング計画全体を把握した上で,成績や個々の体力要素が語られるというものではなく(…)感覚的なものでしかなかった.(…)これからは,量的にも質的にも分析可能な資料をトレーニング経過の記録として残していくことが大切」と説いているが,残念ながらこの点について十分な議論と実践を尽くしてきたとは言い難い.
この背景には,関連諸領域での親学問への憧憬もしくは自負,体育固有のコーチング学分野としての学体系の未熟さ,実践分野としての「研究と教育」および「理論と実践」の両面での多重職務の葛藤(村木,2010)といった難題も横たわっている.しかし,コーチング学の研究目的が,コーチング周辺の現象の適切な説明と問題回避のために必要な「同一性(構造)」の明確化にあると考えることは,「量的研究vs質的研究」「自然科学vs人文(人間)科学」といった不毛な二元論的対立を乗り越える端緒となるはずである.
研究方法の長所や限界を理解し,目的に応じて適切なツールを選択する能力は,1つの研究法に習熟してそれを突き詰めていく専門研究の能力とは異なるものである.実践を伴う理論的考察では,個々の特殊な事例から一般原理や法則を導き出したり(帰納),逆に一般的な原理から個々の事実や命題の推論(演繹)が行われるが,枠にはまらずありとあらゆる知識と経験を活用し,実践にとって有用な仮説を生成しようとする仮説的推論が重視される必要がある(村木,2010).
したがって,EBMの「エビデンス・診療ギャップ」を「エビデンスコーチングギャップ」と読み替えたとき,そのギャップを埋めるためにまず必要なことは,それぞれの研究方法の特徴(特長),すなわちそれぞれの研究法の向き不向きを認識することにある.その上で、「根拠に基づくコーチング(EBC)の体系化」という問題意識を持ち続けながら,「正解は何か?」という問い自体を相対化し,互いの立場が提示する「方法」の論拠となる「関心」の妥当性を問い合い,「共通了解」を拡げようとする方向に議論を向かわせることが不可欠となるだろう.
分科会(コーチング学会)の果たすべき役割
既に多くの識者が指摘しているように,「コーチング」というメタな問題意識に忠実になればなるほど,我々は学際的にならざるを得ない.分科会(コーチング学会)は,多士済々の専門家(研究者およびコーチ)が集う「場」であり,体育・スポーツに関する学際的な研究に拓かれているという意味において,他の専門分科会や実践系学会にはない大きな“強み”を持っているといえる.
しかし,一方で,既存の諸科学の研究成果を寄せ集めることによって現場の問題を解決するという考え方から出発している学際応用理論は,研究領域が細分化すればするほど統合することが難しくなるというアポリアを孕んでいるだけでなく,自然科学的研究パラダイム(還元主義的研究方法論)に制約されていることから,個別種目の指導理論から帰納的に一般理論を構築することを目指した実践知の集積には繋がっていない(朝岡,2010)という現状もある.
では,単なる競技種目や専門分野の寄せ集めではない,真の意味で学際的・領域横断的な知を扱う「総合研究」とはいかなるものであり,その実現に向けた分野(種目)間の「融合」や「総合」は果たしてどのように生じるのであろうか.
森岡(1998)は,総合研究の核心は「ひとり学際研究」,すなわちある問題(テーマ)設定をして,その本質を多方面から「学際的」に理解したいと願う人間が,関連する学問分野のなかに踏み込み,その分野の知識や方法を学び,そのテーマの解明に関する限りにおいて,自身の内部で「学際」を達成することにあると主張する.恐らく,この「ひとり学際」に基づいた「総合」の経験を積み重ねることによってのみ,コーチング学に関わる関係者に求められる能力,すなわち問題状況の全体像とその構造を的確に把握する力や,解決のための企画力または問題設定力が開発されるといっても過言ではないだろう.
このような個人内での理論化と指導実践の相互補完を念頭に置いたとき,分科会(コーチング学会)に求められる役割,すなわち様々な立場や関心のズレを自覚した上で相互に了解可能な共通目的(コーチング)を共有し,その共通目的に照らして関心の妥当性を問い合うような「場」としての機能が浮かび上がってくる.
学体系の確立にとって特に重要な課題は,種目横断的な共通問題を扱う一般理論の体系化と,膨大な個別スポーツ種目の大部分を網羅的に包含しうる類型的グループ化(村木,2010)にあるが,その前提としてコーチや体育教師が現場の中で意欲的に取り組むことのできる研究方法論の確立や,専門的な実践型論文を蓄積(査読)するための独自のシステム構築が必要不可欠(図子,2010)であることは言うまでもない.
したがって,今後の分科会(コーチング学会)の課題をまとめるとすれば,コーチングに関する「総合研究(ひとり学際研究)」の推進を図るために,会員個人および実践系学会から得られた知を集積・循環させる「ループ」と,それを有効に機能させるための仕組み(ガバナンス)を構築することといえるだろうか.いずれにせよ,このような問題意識を,分科会(コーチング学会)はもちろん,多くの専門分科会を束ねるという意味で同様の課題を抱えている日本体育学会本体とも共有していくことが,その端緒になることは間違いなさそうである.
(拙稿「日本陸上競技学会と体育方法専門分科会の望ましい関係とは?」コーチング学研究第24巻2号より)

というわけで、今年度も粛々と「ひとり学際日記」を(可能な限り)更新していきたい(と願うものである…)。