新年度スタート
新しい学年(クラス)に変わる子どもたちや、担任クラスが変わる吾妻(教員)が何となくソワソワしているのを羨ましくチラ見しつつ出勤。
PCファイルの整理をしていると、2年前の11月に、急遽参加できなくなった陸連ハードル部長氏の代役として、日本陸上競技学会第8回大会シンポジウムのコーディネーターを務めさせて頂いたときの拙稿を発見(最近多いな代役…)。
折角なので(何が?)ここに再録する。
シンポジウムIII「国際競技会での成功と失敗を踏まえて」では、朝原宣治氏(大阪ガス)、森長正樹氏(日本大学)、内藤真人氏(ミズノ)、畑瀬聡(群馬綜合ガードシステム)という走(ハードル)・跳・投の現役および元トップアスリートから、国際競技会に向けた準備、大会本番への臨み方、結果を踏まえた対処としての具体的な取り組みやその背後にある考え方などについて伺うことができた。
朝原氏は、小さい頃から海外へのあこがれを持っていたが、大学3年時に100mで日本記録を樹立、走幅跳で8mを超えたことを契機に、国際競技会への出場に本格的に動機づけられていく。大学卒業後、海外転戦や海外に拠点を置いたトレーニングを実践する過程で、高いパフォーマンスを発揮する選手に間近で触れられたことが、より高いレベルの目的意識や動機づけに繋がっていったという。
森長氏は、国際競技会で持っている力を発揮するための条件として、「目標設定」「行動計画」「技術の再現」「チェックポイントをもつ(多いのはダメ)」「当日の最適化(多くを望まない)」「体調管理」「悪条件の試合を望む」などを挙げた。森長氏は、トラックでの好記録に沸くスタンドの地響きのような歓声に我を忘れた経験を吐露していたが、このような「失敗」を踏まえて、自分なりのチェックリストが構築されていったことは想像に難くない。
また、現役選手である内藤氏は、もともと日本と海外の違いあまり意識しない性格であるが、それでも国際競技会でベストの力を発揮するのは困難であることを強調していた。同じく現役選手の畑瀬氏は、「国際競技会での成功経験を持たない」としたうえで、その原因のひとつに、海外にいくと調整練習やウォーミングアップで「何故かいつもと違うことをしてしまう」ことを挙げていた。
江戸時代を代表する剣術家、柳生宗矩が記した伝書(兵法家伝書)のなかに『かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習いのたけを出さんと一筋におもふも病也。かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとどまりたるを病とする也。』という一説がある。
これはすなわち、「勝とうと思うことも、相手の裏をかくことも、習った技術を出し切ろうと思うことも、機先を制そうと思うことも、後手で勝とうと思うことも、そもそもこんな風にあれこれ考えるのは止めようと思うことも、全てが「病」である」という意味である。したがって、その「病」の回避を所謂「メンタル(心理)」の次元のみで考えている限り、我々はエンドレスのアポリアに陥ってしまう。
国際競技会で成果を挙げてきたアスリート達は、基本的に「国内」と「海外(国際)」を分けて考えてはいない。そして、どのような環境に身をおき、どのようなことに留意してトレーニングやコンディショニングを行い、どのような心構えで試合に臨めば、「心技体」の総体としての「パフォーマンス」が高まるのかを経験的に知っている。
その背後には、高い目標を設定し、それに向けて貪欲にチャレンジしていく「ホット」な部分と、「多くを望まない(森長氏)」という言葉に象徴されるパフォーマンスの「最適化」を目指した「クール」な部分という、一見すると相矛盾するものを同居させようとする「構え」が見て取れる。
「矛盾」という言葉の意味は、「つじつまが合わないこと」だけではない。「あらゆる盾を貫く矛」と「あらゆる矛を跳ね返す盾」は両立し得ないが、この「矛盾」に耐えなければ武具の進歩はない。優れた矛の存在無くして、優れた盾の存在はあり得ないのである。
『対立するものを、対立したまま存立させることを「術」と呼ぶ』とは、ある武術家の言であるが、この「ホット」と「クール」を両立させていく「術」を身につけること、言い換えれば、日々の実践のなかでその意味について模索し続けているか否かが、武の世界においてはまさに「生死を分かつ」こととなり、トレーニングにおいてはその効果を大きく左右するものとなる。
『平常心をもって一切のことをなす人、是を名人と云ふ也(兵法家伝書)』
この「平常心」は、文字通り「常日頃の心」、すなわち日々の実践の積み重ねによって構築するよりほかないだろう。
日本の優れたコーチや選手がよく口にする「行住坐臥」「武士道」といった言葉が、単なる自律的態度の推奨ではなく、パフォーマンスを高めるための「トレーニング」というテクニカルな意味を包含しているということを再確認したシンポジウムであった。
(拙稿『平常心は日々の実践からしか生まれない』陸上競技学会誌(2010)第8巻1号より)
新年度のスタートがエイプリルフールというのは、なにやら人生の儚さを暗喩しているようにも思われるが、いつもの光景のなかでいつも通りの生活が送れる幸せを噛みしめながら「平常心」を生み出せるような実践を心がけていきたい。