講習会開催に関するご批判
3月11日に告知した学会と講習会。
昼休みにアップしたが、その約2時間後に地震に見舞われた。
残念ながら学会は中止となったが、我々が主催する翌日の講習会については、諸般の事情を考慮しつつ4時間の予定を2時間半に短縮して実施し、申込者300名中90名のご参加を得た(ありがとうございました!)。
実はこの東京会場(※ベルサール九段)の講習会、300名募集のところに600名以上の応募があって抽選を余儀なくされていた。
欠席された方々には、当日配布予定の資料一式(ガイドブック&DVDほか)を郵送するとともに、次年度開催の講習会参加については優先的に配慮する旨、メールやFAX等を用いてアナウンスした。
それを受けて、当日欠席された方(以下、Tさん)から、担当者宛に下記のメールを頂戴する。
3/12講習会を開催された旨のメール受信頂きました。
しかしながら、こちらから何度も連絡を試みていたにもかかわらず、返答無く、とは言え、このような状況に於いて講習会を実施する訳がないと考えておりました。むしろ、あのような大震災が起きた後に講習会の有無の問い合わせをすること自体【非常識】と、考え直しました。
にもかかわらず、開催したというご報告を頂くのは、少し違和感を感じます。というより、怒りさえ感じます。
私たちへの連絡の徹底が難しく、、とありますが、一斉メールをすれば、ほとんど問題なく多くの人たちへ知らしめることが出来たのではないでしょうか?その努力をなさったのでしょうか?開催できる環境ならそのくらいの行動はできたのではないでしょうか?
また、大震災の翌日で余震も続く中での開催を決めたことは、「子ども」に関わる団体として、最優先に考えるべき「危機管理」を全く無視した行為です。
いろいろな意味において残念です。
出来れば、当日何人参加できたのか、お知らせ下さい。
(2011年3月17日 Tさんからのメールより)
↓「子ども」に関わる団体として最優先に考えるべき「危機管理」を全く無視したセクションを代表して返信する。
この度は、ご連絡不行き届きで誠に申し訳ありませんでした。
地震発生直後より、電話やメール等での連絡機能が麻痺し、鉄道等の復旧も見込みが立たないという状況下、職員は徒歩による帰宅または事務局宿泊を余儀なくされました(当方は管理職1名が事務局に居残り、他の職員は20〜30キロの道のりを徒歩で帰宅しました)。
ご案内の通り、当日は会場地を連絡先とさせて頂いておりましたが、職員同士および講師の先生方との連絡もつきにくい状況にありました(管理職は10時30分頃まで事務局にて電話対応しておりました)。
また、講習会の参加者全員がメールをやりとりできる環境をお持ちではなく、当方で把握できていたアドレスも300名中100名程度に過ぎませんでした。
したがって、中止・開催いずれにせよ周知する物理的・時間的余裕がなかったこと、当日は午後からの開催であり鉄道も動き始めたことから会場に向かわれる方が少なからずいらっしゃるであろうこと、さらには講師の先生方から定刻までに会場に到着可能である旨のご連絡を頂いたことなどを勘案し「開催」の決断をいたしました(当日は約90名のご参加を頂きました)。
おっしゃるように「中止」という選択肢もありましたし、開催に踏み切ったことへのご批判もあろうかと思いますが、会場までお運び頂いた方に、受付で「本日は中止です」と伝えることは避けたいというのが講師の先生方と事務局職員の共通了解でした。
以上のような状況について、ご理解とご高配を賜れれば幸いに存じます。
繰り返しになりますが、ご連絡不行き届きで誠に申し訳ありませんでした。
時節柄、くれぐれもご自愛下さい。
(2011年3月17日の返信)
↓これに対するTさんからのお返事。
早速のご返信ありがとうございました。(…)おっしゃる事はよく理解できます。簡単に言えば、誰も行かなかったら開催されなかった、と言うことだと思います。
私は、大変表現が悪くて申し訳ありませんが、「行く方も行く方なら、やる方もやる方」という言葉が浮かびました。
主催側のご苦労は予想できます。ですが、何も事故が起きなかったから良かった、と言えます。
でも、余震でビルが倒壊していたら誰が責任を取るのでしょうか?
苦労して講習会会場にたどり着いたにせよ、参加者はじめ全員の安全を考えれば、断る勇気も必要だったのではないでしょうか?
そして、これこそが子ども達の命を預かりながらスポーツに関わる私たちに必要なことなのではないでしょうか?
毎月、送られてくる情報誌「スポーツジャスト(※スポーツ少年団機関誌)」でも、散々取り上げている内容ではないですか?
こんなバランス感覚では、スポーツの事故は減らないでしょう。(…)
出来るならば少しでも速く、また、少しでも長い距離を走れれば、という目標を持つのは、競技という一面を持つ以上当然の事と言えます。
でも、一番に守らなければならないのは【安全】です。
(2011年3月17日 Tさんからのメールより抜粋)
↓「やる方もやる方」を代表してのリプライ。
今回の件に関する当方の考え方は、すでに前回のメールでご説明しておりますので繰り返しませんが、頂戴したメールの内容について若干の私見を述べさせて頂きたいと思います。
開催の是非については様々な評価があると思いますが、Tさんのご意見を伺ってもなお、私にはそれが「正しい」判断とは思われません。もちろんそれは、Tさんが我々の判断を「誤り」と考えることの裏返しでもありますが、この問題には「正解」がないという点については共有する必要があると感じます。
例えば「安全」という点についてですが、会場ビルが倒壊するほどの余震が起こったときに「絶対に安全な場所」など存在するのでしょうか。少なくとも、脆弱な我が家に比べれば会場ビルのほうが「安全」であると言えなくもありません。
また、会場にいらした方に「中止」を告げてお帰り頂くほうが、講習会が終わってから帰宅されるよりも安全だと言いきれるでしょうか。もし講習会に参加していた方の家が倒壊していたら、参加したことで命拾いしたとなるかもしれません。
これらは全て不毛な押し問答ですが、全ての選択肢が裏表(正誤)の関係にあるという意味で申し上げているものとご理解ください。
今回の件は、雷が近づいているのに子ども達を安全な場所へ避難させなかったとか、暑熱環境でふらふらの子どもに過酷なランニングを強いるなどの管理義務違反とは本質的に異なるものと考えています。
なぜなら、講習会への参加・不参加の決断を妨げるものは一切なかったからです。実際、Tさんをはじめとして200名以上の方がご自身の判断で欠席されました。
「行く方も行く方なら、やる方もやる方」というのは、確かにおっしゃるとおりです。そして私たちは、出席・欠席のいずれも皆さんが「大人の判断」をされた結果と受け止め、いずれの方々にも可能な範囲で最大限に配慮したいと考えました。
当日、群馬から6時間かけて会場まで駆けつけた方もいらっしゃいました。講習会は、諸事情を勘案して4時間の予定を2時間半に短縮して行いましたが「途中からでも参加できてよかった」というお言葉を頂きました。
そういう方がいたことをもって「開催」という選択が「正しかった」と主張するつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとり一人の人間には、何を信じ、どんな選択をし、どのような行動をとるかについての「自由」がありますが、それは自分以外の人間がもっている「自由」でもあることは忘れずにいたいと考えております。
もちろん、今回の決断よりもベターな選択肢や方法論について検討する必要性は十二分に感じております。頂いたご意見をひとつの教訓として、次に活かしていきたいと思います。
ありがとうございました。
(2011年3月18日の返信)
何を信じ、どんな選択をし、どのような行動をとるかは個人の自由だが、他人にもその自由があることを忘れてはならない、と思う。
以降、Tさんからのメールは届いていないが、我々が今やれること、そしてやるべきことは何かについて考える契機を与えてくれたことに感謝したい。
今回の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。