ひとり学際ふたたび…

moriyasu11232010-05-16

職場の研究プロジェクトで「学際研究」について考える機会を頂戴した。
報告書に認めた拙稿(抜粋)を再録する。

日体協では、約50年もの長きにわたって研究事業を進めてきており、これまでに扱った研究テーマは、人文、社会、自然科学および複合領域的なものも含めてその数は延べ250を超える。
先述したように、以前は、同じ専門領域の研究者を集めて作業分担しながら成果物を作成するという、いわゆる「専門的共同研究」が主であったが、近年は、特定のテーマに関して異なる専門領域の研究者が多方面から調査・研究する「学際的共同研究」も増えつつある。
しかしながら、この学際的共同研究にもいくつかの難点がある。
それは、この手の研究が、様々な領域の研究者が集まってきてお互いの意見を淡々と述べるだけのシンポジウムやパネルディスカッション、またそれぞれの論文がなんの相互連関もなく並んでいるだけ報告書の発刊に終わり、その企画から何が新たに発見されたのか、それはどのような意味で「学際的」かつ「領域横断的」な新知見なのかが判然としないという指摘(森岡、1998)に集約されるが、残念ながらこれまでの日体協の研究事業のなかにも散見される問題であるといえる。
恐らくその背景には、自然を扱う自然科学と,人為を扱う人文・社会科学とに分離している現況や,より現実的には狭い専門の守備範囲を決めて,そこに細く深い穴を穿つことのみを「科学」と考え,それを実行している人々だけを「科学者」とみなす(村上、2004)今日的なアカデミズム風土の存在がある。
では、単なる専門分野の寄せ集めではない「学際的共同研究」とはいかなるものであり、その実現に向けた専門分野間の「融合」や「総合」は一体どのように生じるのであろうか。
森岡(1998)は、総合研究の核心は「ひとり学際研究」、すなわちある問題(テーマ)設定をして、その本質を多方面から「学際的」に理解したいと願う研究者が、関連する学問分野のなかに踏み込み、その分野の知識や方法を学び、そのテーマの解明に関する限りにおいて、研究者自身の内部で「学際」を達成することにあると主張する。そして、この「ひとり学際」に基づいた「総合」の経験を積み重ねることによって、研究者のみならず官公庁や民間団体の職員にも少なからず求められる能力、すなわち問題状況の全体像とその構造を的確に把握する力や、解決のための企画力または問題設定力が開発される、と続ける。
本来、例えば「子どもの体力低下」すなわち「子どもの身体活動量はなぜ減るのか?」というようなメタな問題意識に忠実になればなるほど、我々は学際的にならざるを得ない。なぜなら、「身体活動量の減少」という事象は、それがもたらす生理的・生化学的な適応や健康との関わりのみならず、運動から遠ざかる人間の心理や、運動を遠ざけている社会環境およびシステムを抜きにして考えることはできないからである。さらにいえば、「運動量の減少」が人間存在になにをもたらすのかについての人類学的または思想的考察も不可避であろう。いずれにせよ、この種の問題意識が、既存の学問領域の一分野に過不足なく収まるケースはほとんどない。
また、「科学性」という言葉ひとつとっても、自然科学に代表される統計的・数量的研究における科学性と、人文・社会科学に代表される質的研究などの科学性は異質なものである。
1991年にカナダの臨床疫学者であるガヤットが提唱した「Evidence-based Medicine(EBM)」すなわち「根拠に基づく医療」は、「一般論としてのエビデンス(≒科学的根拠)」と「実践による経験」を併せて判断するという意味において、臨床医学にとどまらず「Evidence-based Practice(Healthcare)」としてより広い関心を集めつつある。しかしながら、実際に研究成果としてのエビデンスを「伝える」という局面では、専門的な知見をいかに患者や一般市民に伝え、またその理解および反応を研究者にフィードバックさせていくかが大きな課題となっており、さらに「使う」という局面では、エビデンスが現場で「使われなさ過ぎる」問題と、「エビデンスEBM」という混同による「使われすぎる」問題が併存するという「エビデンス・診療ギャップ」の存在なども指摘されている(中山、2009)。
一般的に、所謂「量的研究」は、仮説検証や一般性のある知見を生み出し、全体傾向や分布を知る場合などに向いているとされているが、特定の前提がなければ成立しないため「前提そのもの」を問うことはできない。一方、「質的研究」は、仮説生成や前提自体の問い直しが可能だが、仮説検証や一般性のある知見を生み出すには不向きである。
また、「研究方法」が「何かを行うための手段」である以上、その「正しさ」は目的に応じて決まるはずであり、だとすれば人文、社会、自然に関わる研究法の相違を持ち出すまでもなく、すべての条件を取り払ったうえで「絶対的に正しい方法」はあり得ないはずである。
競技スポーツを例に取れば、多くの選手に当てはまる知見(原理・原則)を得て、それをもとに適切なトレーニング(コーチング)をしたいという関心のもとでは、運動生理学や生化学、バイオメカニクスなどの量的研究が有効なエビデンスになることもあるだろうし、選手や指導者の内的(意味)世界を理解することで、現場でのコミュニケーションを円滑にし、トレーニング効果も上げていきたいという関心のもとでは質的研究が有効な枠組みになることもある。
つまり、科学研究は、あくまでも真理の追求ではなく「同一性(構造)」を記述するものであり、質的、量的いずれの研究にしても現象をうまく説明し、問題を回避するために必要と考えられる方略の構造(プロセス)を明らかすることが目的であると考えればよいのである。
したがって、先の「エビデンス・診療ギャップ」を回避するための方法論は、それぞれの研究方法の特徴(特長)、すなわちそれぞれの研究法の向き不向きを認識することのうちにある。そのことによって、「正解は何か?」という問い自体を相対化し、互いの立場が提示する「方法」の論拠となる「関心」の妥当性を問い合い、「共通了解」を拡げようとする方向に議論を向かわせることができると考えられる。パラダイムシフトの観点でいえば,無条件に普遍的と思って信じているものが実はそうではなくて,ある特定のフレームワークの中で初めて可能であって実現しているのだということに気づくこと,つまり自分がパラダイムの中で生きているということに気づくことが大切(村上、2004)であり,それを可能にする道は,いろいろな可能性を学ぶこと以外にはない。
また、各研究法の長所や限界を理解し、目的に応じた適切なツールを選択する能力は、1つの研究法に習熟してそれを突き詰めていく専門研究の能力とは異なるものである。この前提を踏まえた上で、様々な研究領域の「エビデンス」を有機的に組み合わせ、単なる「寄せ集めの学際」から「総合研究」への道筋をつけることが肝要となる。
独立行政法人産業技術総合研究所産総研)では、未知現象を扱うことによる普遍的な理論形成のための「第1種基礎研究(発見・解明)」、特定の社会的ニーズのために、複数の理論を組み合わせ、手法と結果に規則性・普遍性のある知見および目的を実現する道筋を導き出す「第2種基礎研究(融合・適用)」、上記の研究および実践経験から得られた成果をもとに事業化可能性を検討する「製品化研究(実用化)」という3つの研究類型を設けている(産総研、2006)。
従来の基礎研究は、データを取り、明らかになった知見を論文にして終了するが、産総研では、データを具体的に活かすための「解釈」「簡素化」「ルール化」「デザイン手法の開発」を目的とした「第2種基礎研究」を重視するとともに、「第1種…」から「第2種…」、そして「製品化…」という一連の研究プロセスを「本格研究」と呼び、これを推進することを組織運営理念の中核に据えている。「モノづくり」に関する最先端の研究機関が「マクロの人間科学」を中軸とする研究プロセスを重視していることは、「人間が行う文化的な営み」としてのスポーツに関する医・科学研究のこれからを考える上で極めて示唆的である。
日体協では、平成20年度(2008年度)から文部科学省委託研究事業「子どもの発育発達段階に応じた体力向上プログラムの開発事業」を手がけている。この研究事業では、幼少年期に身につけておくべき基礎的動き(基本運動)の質的評価観点の作成や、子どもにとって最低限必要となる身体活動量について様々な観点から検証しつつガイドラインを示すことを目的とした基礎的研究(と呼ぶのが適当かは措くが)をベースとして、学校やスポーツ少年団といったフィールドにおいて、その妥当性や導入可能性などについての実証的な研究を進めている。この研究の最終目標は、その成果を子どもの身体活動量の増強に向けた啓発資料やスポーツ指導者・教員等を対象にした講習会に落とし込むことにあるが、その過程において複数領域の研究者が「正解は何か?」という問い自体を相対化し、互いの立場が提示する「方法」の妥当性を問い合いながら「共通了解」を拡げる方向に議論を向かわせつつある。
このような取り組みは「総合研究」への萌芽とみることができるだろう。
先にも述べたように、日体協の医・科学委員会は、人文、社会、自然科学を専門とする研究者が集う「場」であるが、このことはスポーツに関する「総合研究」を志向するにあたり、他の研究機関(組織)にはない大きな「強み」であると考えられる。また、「国民体育大会」「スポーツ少年団」「スポーツ指導者育成」といった基幹事業が存在する上に、スポーツ活動の主体となる個人だけでなく、都道府県体育協会、加盟競技団体といった組織団体もステークホルダーとなっていることもユニークな特長といえるだろう。
一方で、研究の成果物(ツール)の形式については、もちろん今後のテクノロジーのさらなる発展に期待するところもあるが、先に示したいくつかの事例を凌駕する画期的な方法が創出されるとは考えにくい。したがって、研究成果の活用に関する今後の課題をまとめるとすれば、専門的な議論を羅列的に示すような従来型プロジェクト研究にとどまらない「総合研究」を目指した研究を進めるとともに、その成果を個人や組織団体に届けるための「活用ループ」とそれらを有効に機能させる「ガバナンス」を構築することになるだろうか。
いずれにせよ、このような問題意識を日体協とその関係者はもちろん、スポーツ界全体で共有することが、その端緒になることは間違いなさそうである。
(拙稿「研究成果の活用実態と課題」平成21年度日本体育協会スポーツ医・科学研究報告『日本体育協会スポーツ医・科学白書』より抜粋)

次はちゃんと書き下ろします(たぶん…)。