スキップ

moriyasu11232010-05-21

スキップ (新潮文庫)

スキップ (新潮文庫)

  • 作者:北村 薫
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1999/06/30
  • メディア: 文庫
かなり前に、近所のブックオフでふと目にとまって購入していた本(定価で買わずにすみません)。
少々重苦しい読書が続いていたので、GW中の春季サーキット(静岡&大阪)への新幹線出張に同伴してもらった。
ストーリーの概要は、以下の通り。
・・・
時は昭和40年代の初め。
主人公の<わたし>は、17歳の一ノ瀬真理子。
千葉の海岸近くに住む、女子高の二年生である。
大雨のために運動会の後半が中止になった九月某日の夕方、真理子は自宅の家の八畳間で一人、レコードをかけたまま目を閉じた。
目覚めたときの<わたし>は、42歳の桜木真理子。
夫と17歳の娘をもつ高校の国語教師である。
時間のねじれの中で、17歳の<わたし>は言いようのない孤独感を抱えながらも、42歳の<わたし>として動き出す。
心が体を歩ませる。
「いったい<わたし>はどうなってしまったのか」という残酷な問いを抱えながらも、顔をあげて前だけを見ながら<わたし>を生き抜こうとする。
・・・
北村薫氏の本名は「宮本和男」。
我が母校の国語教師&私が属した学年の担任(3年2組)だった方であり(ちなみに私は5組)、かつ母校の先輩(高20回卒)でもある(ちなみに私は高40回卒)。
宮本先生は、我々が卒業した翌年の1989年、『空飛ぶ馬』で覆面作家として文壇デビュー。
2年後の1991年、『夜の蝉』で第44回日本推理作家協会賞を受賞したのを皮切りに、数多くの賞を受賞している。
しかし、直木賞については、第137回の候補(5回目)に挙がったときの「直木賞には時の運というものが確かにある。その点北村薫さんはお気の毒であった。キャリア・人気とも充分のものがおありになりながら、今回も候補作に恵まれなかった」という 林真理子氏の選評にもあるように縁遠く、2009年上半期、実に6度目の正直で第141回直木賞を受賞されている。
本書は、最初に直木賞候補に挙がった作品である。
高校時代、生徒同士で話すときの先生方の呼び名は「呼び捨て」または「さんorちゃん付け」にほぼ二分されていた(もちろん本人には言わない)。
宮本先生は、いつも温顔、温厚な人柄と授業の面白さ、そして体育祭や球技大会となるとハチマキ姿で声援するキャラもあってか、親しみを込めて「みやもとさん」とか「みやもっつあん」などと呼ばれていた。
巻末の解説(佐藤正子氏)によると、先生はこの「スキップ」執筆中にご両親を亡くされたようだが、そもそも教師を辞めて作家専業になられたのはご両親の介護のためだったという。
いかにも先生らしいというほかないが、主人公を高校教師に設定したのは、ご自身に代わって存分に「高校教師」を生きてほしかったからではないか、とも思われてくる。
細やかに活写される学校行事の数々、生徒に向けられていたであろう教師としての言葉やまなざし、そのどれもが眩しく、そして切ないくらいに懐かしい。
作中、学級日誌の内容が紹介されている件がある。

今日から男子は1500mのタイムをはかり始めた。3組は1回目から平均5分25秒をきったらしい。1組もはやく終わらせてバレーボールをやりたい、と思ったが、夢の夢だった。

高校時代、年度初めの体育授業は1500m走で幕を開けていた(今は知らない)。
この1500m走には、学年毎に「終了標準記録」が設けられていた。
1年生は「5分35秒」、2年生は「5分30秒」、3年生は「5分25秒」。
クラスの平均記録がこれをクリアすれば、次の授業からは球技などに移行できるが、切れなければ何度も1500mを走らなければならない(それでいいのか文科省)。
遅いも速いも皆、必死になって走ったものである。

単語といえば、反射的に出て来る《赤尾の豆単》も持っていない。《覚えた?》《アバンダンまでね》というやり取りもないわけだ。

もちろん「豆単」は所有していたが、アバンダンまでだったかどうかの記憶すらない。

うちの学校のいいところは、駅が目の前だということだ。正確にいえば、その昔、駅の方が学校のためにできたものらしい。桜木家に電車で帰るためには、いったん市の中央にある駅に出て、そこで別の線に乗り換えることになる。

母校は、東武野田線の「八木崎駅」から80m(徒歩1分)のところにある。
この八木崎駅から一駅乗ったところに、市の中央にある東武伊勢崎線の「春日部駅」がある。

バレー部顧問の先生が「馬鹿どもがね、フィナーレの後、皆なでプールに飛び込む計画を立てているらしいんだ」といって我々の計画にたちはだかる。

ああ、これは「O智(先生)」だ(笑)。
ちなみに、作中この計画は失敗に終わっているが、我々の学年の「馬鹿ども」は、文化祭フィナーレの後に体育教師の包囲網をかいくぐって見事プールに飛び込んだことを付記しておく。
ところでこの桜木真理子先生、生徒からも岡惚れされる大変魅力的な女性に描かれているが、実は私が入学したときに「ダ○チ」とあだ名される艶麗な女性英語教師がおられた。
その名も「桜井」先生。なるほど…。
タイトルの『スキップ』には、「時間の《早送り》」という意味が込められている。

時の無法な足し算の代わりに、どれほど容赦のない引き算が行われたのか。

しかし、そこで、わたしが気になったのは、どうなった時、人は大人になるのだろうか、ということである。大人は我々とはまったく別の世界にいるように見える。階段のはるか上にいるように。だが、実際にはどうなのだろう。
小学生や中学生、そして今の自分を考えると、《大人》という場も、気のつかないほどの緩やかな坂を上り、いつの間にか行き着いてしまうものなのだろうか。

桜木さんは、静かに首を振り、「若さは、体にだけあるものじゃあない」
わたしは笑った。そして、胸を押さえた。
「それが、慰めになると思いますか」
「慰めようと思っているんじゃない。当たり前過ぎることを言っている」
「それは当たり前に生きた人の言葉です。そういう人なら気楽に出来るでしょう。でも─」
わたしの場合は違う。思おうにも何も、取り返しのつかないことは、あまりにも大きすぎる。
「…一ノ瀬さん。それがいえるのは、あなたが十七だからだよ。どう当たり前に生きたところで、それは、君が思っているより、ずっと難しいことなんだよ」

二十五年経つと、都会のあちこちが剥ぎ取られて田舎に断片的に移植されるものなのだ。二十五年経つと、きっと日本中が都会になることだろう。
もし今度気がついた時、二世紀と半が経過していて、わたしが風になっていたら、結果はいかに、と興味津々見てみよう。もっとも風には瞳がない。その時には、様々なものに触れてみよう。

時間という恋人とは、誰も地道に一秒一秒、一日一日、ゆっくりと交際していくしかない。ところが、わたしのように二十五年も会わずにいて、いきなり時間君と再会したら、代償として《驚く》ことができる。

時間の階段を上れば自分の手に入る、と思ったものが、ただの幻にすぎないことはよくあるだろう。それどころか、失うもの、二度とできなくなることは、いやというほどある。

『スキップ』に込められたもうひとつの意味は、「主人公の、仮に歯を食いしばろうと、失われることのない軽やかな足取り(by宮本先生)」にほかならない。

入れ物と心を合わせたものが人間だ。となると、このわたしは何なのだろう。

「そういうものだと思ってしまえば、それが当たり前になるんだね。こういう話がある。日本人がアメリカ人に向かって、《我々は大変ですよ。ひらがなと漢字、合わせて二千字も覚えなくちゃあいけません。ところが、あなた方はアルファベットの二十六字ですむ。楽なもんですなぁ》。するとアメリカ人が、手を横に振りながら、《違います。我々は総ての綴りを覚えなければいけないのです》」

「構えないように。自然に行動してみよう。自分がしたいように動く。桜木真理子だったら、ベテランの先生だったら、こうするんじゃないか─そんなことは考えないでいい。分からないことがあったら、ごまかさない。人にどう思われたっていい。その場ですぐに聞こう。そして、身につけよう。学校は一つじゃない。それぞれの学校が、まったく違った別の世界なんだ。あちらで通用することが、こちらでは笑い話になる。そういったものだ。まず自分のいる世界をつかみなさい。それから、勿論、自分をつかみなさい。百人の先生がいれば、これも百通り。同じ先生なんていやしない。それでいいんだよ。自分が、どんな先生なのかをみつけてごらん」

甘えてはいけない。わたし一人ではない。誰もが、この哀しみを抱えて生きているのだ。失ったもの、与えられなかったものを思って、嘆くのはやめよう。

昨日という日があったらしい。明日という日があるらしい。だが、わたしには今がある。

いずれもぐっと来るサイドラインである。

交叉する身体と遊び―あいまいさの文化社会学

交叉する身体と遊び―あいまいさの文化社会学

「異なった身体の私」というものの可能性を提示されると、どちらにせよ「底が抜けてしまった」と感じるほどに、私の根拠や日常性というものが大きく揺らぎ崩れてしまうのだ。けれどもそれは一方で、それほどまでに私たちの日常性というものが、普段は意識されることがない身体のあり方やイメージに、実は支えられたものであるということでもある。
ところで、こういう身体の転位という揺らぎの契機が、小説や映画という楽しみ事、つまり遊びにおいて用意されていることがまた面白い。いやむしろ、一つの遊びであるからこそ、「ありふれた日常」の揺らぎや崩れをも私たちはハズミとして受けとめることができるのだろう。もっとも、この揺らぎや崩れというものは、単に恐れや不安としてのみ意味をもつわけではない。それは、ときに私たちを封じ込めている日常性の、いわば裂け目が開いた瞬間でもある。だとすれば、私たちの超越の一つの可能性は、身体と遊びの交わる場所に用意されているということになるのではないか。

「ニコリ」と呼ばれる女子生徒が、先輩達とウマが合わずにイジメに遭い、バレー部を辞める決断をした経緯を、ニコリの友人が真理子に説明する件がある。

「顧問の尾白先生に呼ばれて、《お前から、バレーを取ったら何が残る》っていわれて、《わたしが残ります》って返事をして、たたかれたそうです」

多くのものを奪い取られていくのが人間の生の定めだとしても、なお「わたしが残る」ときっぱりと言い切れる身体でありたい、と思う。