新民族発見!

moriyasu11232010-06-28

インドネシア国勢調査、樹上生活民族を「発見」』
インドネシアで行われた2010年の国勢調査で、パプア州熱帯雨林で生活する樹上生活民族が初めて「公式に発見」された。当局者が24日語った。
インドネシア政府による国勢調査を今回初めて受けたのは、独自の言葉を話し、主に樹上で生活するコロワイ民族。推定人口は約3000人で、熱帯雨林で狩猟採集生活をしている。
国勢調査員らは最寄りの村からボートで出発した後、山中を最長2週間かけて歩き、同民族の生活圏にたどり着いたという。
パプア州の統計局責任者によると、コロワイ民族は人里離れた場所でバナナの葉だけを身にまとった格好で暮らしており、鹿やイノシシのほか、サゴヤシやバナナなどを食べている。
同州ではコロワイ民族のほか、独自の言語を使う民族が2500以上存在するという。
(2010年6月25日 ロイター(ジャカルタ)配信)

インドネシア政府の国勢調査は、2000年以来10年ぶりに行われたそうである。
調査員が、同州ケピから高速ボートを使って川をさかのぼること約9時間で最寄りの村に到着、そこから山中を12時間以上歩くなどして、ようやく行き着いたらしい。
まさに「10年に1度」が限界の調査というところか(お疲れ様でした)。
コロワイ民族は、1970年代にオランダ人宣教師に「発見」された狩猟採集民族で、地元行政当局は1991年に初めて存在を認知したとのこと(宣教師ってどこにでもいくのね…)。
野生動物や泥流、悪霊から逃れるためとして、樹上数十メートルに簡素な小屋をつくって暮らしており、文明とほとんど接触せず、男女とも葉などで局部を隠すだけの出で立ちとのこと。
「調査員の来訪に対し当初、弓矢を手に緊張した様子だった(by共同通信)」って、そらそうだろ…
「宗教や収入、学歴など多項目にわたる質問に応じたが、誰も政府や教会などの意味が分からず、自分の年齢も知らなかったという(by共同通信)」って、どんな質問をどのようにしたんだろうか…
ともあれ、レヴィ=ストロースが存命なら、万難を排してインドネシアに駆けつけるに違いない。

レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー)

レヴィ=ストロース講義 (平凡社ライブラリー)

人類の歴史のおそらく九十九パーセントにあたる期間、そして地理的に言えば地球上で人の住む空間の四分の三で、ごく最近まで人びとがどのように暮らしてきたかを理解するには、これら「未開」と呼ばれる社会が唯一のモデルになるということです。
したがって私たちが学ぶべきことは、これらの社会が私たちの遠い過去の諸段階を表しているらしいということではありません。そうではなく、人間のありかたの一般的状況、共通の分母(公分母)というべきものを示している、ということなのです。この視点から見ると、西洋および東洋の高度に発達した文明こそ、むしろ例外なのです。
(byレヴィ=ストロース氏)

「未開社会」は「プリミティブ・ソサイエティ(primitive society)」の訳語であり、古代文明が現れる以前の諸段階を一括して表示するのに用いられるが、近年は「未開社会」ではなく「無文字社会」や「初めの豊かな社会」という語を用いる傾向にある。

スポーツ史講義

スポーツ史講義

「初めの豊かな社会」とは、アメリカの経済人類学者サーリンズの造語で、どちらかといえば狩猟採集民族をさすが、その命名にはこれまでの誤った未開人観をくつがえす新しい民族観が認められる。(…)
サーリンズを中心とする近年の経済人類学は(狩猟採集民族のフィールドワークによって)成人の男女が一日に費やす食料集めの時間は、男の狩りと女の採集とを平均して2〜3時間であることを明らかにしたのである。しかも栄養不足というのではない。集められた食料をキャンプに残る非労働家族(乳幼児や老人)をも含めて平均したカロリー数は、一人一日2,300カロリーあったのである。そこで、栄養と余暇に恵まれたこの人達の社会を(なにしろ一日24時間から労働のための2〜3時間を差し引いた残りはまるまる自由時間となるのだ)、サーリンズは「初めの豊かな社会」と名づけたのである。
(寒川恒夫「未開社会のスポーツ(第2部 スポーツ史概説 Lecture1)」より抜粋)

さらにサーリンズらの研究は、この「初めの豊かな社会」が狩りよりも採集に依存(食料の7割が植物性、3割が動物性)しており、男性のする狩りの位置は相対的に低く、日々の生活はもっぱら女性の採集活動に支えられていたことを明らかにしている。
「採集狩猟」という獲得経済が、500万年ともいわれる人類史の99.9%以上を占めるに至ったのは何故か。
サーリンズは、その理由について「狩猟採集」が「あまりにも安定した経済形態であったから」という、従来とは逆のロジックでの説明を試みている。
「人類は、長らくあり余る余暇(同語反復?)を好んで暮らしていた」というステキな主張である。

今日の研究では、動物スポーツとモータースポーツを除けば、あとはすべて出そろっていたとされる。
動物スポーツとは、競馬やポロや流鏑馬あるいは闘牛や闘鶏など、動物を生かしたまま人間の楽しみのために利用するスポーツのことで、したがって、動物飼育の原理つまり家畜文化の存在を前提にしている。こうした文化は、古代文明に至ってはじめて現れるのである。また、モータースポーツは周知のごとく近代産業革命の産物である。つまり、今日われわれが享受するスポーツは、その太い根をすでに未開社会に深くおろしていたのである。
(寒川恒夫「未開社会のスポーツ(第2部 スポーツ史概説 Lecture1)」より抜粋)

人類史上、最も余暇時間に恵まれていたとされる人々の「遊び(スポーツ)プログラム」とは、いったいどのようなものであったのか。
文字で記録される前の未開社会では、スポーツが行われていたという直接的な証拠に乏しい。
しかし、フランス、アフリカ、オーストラリアなどには、3万年以上前の先史時代の洞窟壁画があり、これらの遺跡からスポーツに類似した何らかの活動があったことが推定されている。
また、未開社会に存在する多様な「ボール」の存在が、それらを読み解くための多くの情報を与えてくれているようである。
ボールほど、その起源において生活活動における有用性から遠いものはない。
しかし、未開人の遊び心は、数多くのボールを生み出している。
素材や作成工程の精度には差異があるものの、ただ一つの技術(鋳物、例えばボーリングのボールのようなもの)を除けば、未開人のボール作成技術(ふくらませる、磨き上げる、詰める、編む、切り出す)は、ほとんどが今日に至るまでまで受け継がれているものなのである。
当然、それらを用いた様々な「球技」が展開されていたことは言を俟たない。
また、陸上競技に相当する走(リレー競技の原型を含む)・跳・投型や、ダイビング、トランポリン、スキー、水泳、ボート競技、サーフィンの原型となるスポーツが世界各地の民族によって行われていたことも明らかになっている。
さらに、相撲やレスリング、ボクシング、さらには武器を使った「格闘技系スポーツ」の原型も、ほとんどが存在していた。
興味深いのは、これら格闘技系スポーツにおいて、一方が疲労困憊または恐怖にかられて負けを認める、あるいは武器が破損し闘いの継続が危険と判断された場合には試合が中止されたり、用いられる武器の矢先を丸くするなど相手に致命傷を負わせないためのルールや配慮が施されていたことである。
現代の日本にも、そういう男前の若者達がいたっけか…

武器格闘技にみられる(あるいは格闘技一般に認めてよい)こうした安全保証機構は、おそらく鹿やライオンやセイウチなどが雌や群れの所有をめぐって展開する種族内闘争(そこでは雌や群れをわが物とすべき勝者を発見するのが目的であるため、相手が敗北の意思表示をすれば、それ以上追い打ちをかけて死に至らしめるという不経済で余計な行動はとらない)にさかのぼるとみなしてよいであろう。
(寒川恒夫「未開社会のスポーツ(第2部 スポーツ史概説 Lecture1)」より抜粋)

なるほど…
その後、古代文明において展開されるスポーツ(古代オリンピックなど)において、このようなルールが少なからず消え失せていくという「進化(後退?)」も、人間文化の歴史を読み解く上で重要な現象であるといえる。
他にも、古代以前の人類史において、綱引きや棒倒しなどの全身を用いた力くらべから、コマまわし、竹馬、けん玉、サイコロ遊び、あやとりやお手玉に至るまでが既に知られていたという。
みんな「一生懸命」に「遊んでいた」のね。
閑話休題
未開社会のスポーツの特徴としてよく説かれるのは、スポーツと宗教の緊密な繋がりである。
スポーツが宗教と関わるように見える事例は、枚挙にいとまがない。
しかし、同時に、未開社会の遊びや競技に宗教と無縁なものがあることも指摘されている。

公平にみてわれわれは、未開社会には聖的スポーツと俗的スポーツがともにおこなわれるとみなければならないであろう。俗的スポーツのなかには、ギャンブルが多いことも驚きである。未開社会のスポーツの特徴を聖的スポーツとみることは、その後の諸社会においてはスポーツと宗教とのかかわりの程度が著しく減少しているという通時的比較の視点において正しいのであって、決して未開社会のスポーツが宗教一辺倒であったとか、俗的スポーツがおこなわれなかったことを意味しないのである。
遊びを遊び以外のもの、わけても神や精霊とかかわる「まじめごと」にさかのぼらせることによって何かしら安心を覚えるのは、遊びがまだ社会的承認つまり市民権を得られなかった時代の臍の緒なのである。
(寒川恒夫「未開社会のスポーツ(第2部 スポーツ史概説 Lecture1)」より抜粋)

スポーツの歴史は、おそらく人類の歴史と同じくらい古い。
ヨハン・ホイジンガは、「ホモ・ファーベル(作る人)」よりも「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」が先んじている、すなわち「遊びは文化よりも古い」と喝破した。
だとすれば、どんな「文化」についても、そこに「遊び」の要素を発見できさえすれば、「文化とは何か」ということを解きほぐすことが可能になるのではないか。
畢竟、「遊び」としての「スポーツ」の歴史を通して、人間社会の変化やスポーツの本質について多くのことを知ることができるはずなのである。
果たして、このコロワイ民族にどのような「スポーツ(遊び)文化」がみられるのか。
誰か見てきてくださいませ。