メディアの批評性

moriyasu11232010-06-21

「メディア…」とタイトルを書き(打ち)始めると、なんとなく憂鬱な気分になるが、先のエントリーに頂戴したK赤羽氏のコメントには、改めて応答しておかねばなるまい。

鳩山首相、会見せぬまま退任へ 直接要請にも「無言」』
鳩山由紀夫首相が、辞任の理由を説明する記者会見に応じないまま、8日に正式退任する。病気などの例をのぞき、これまでほぼ全首相が辞任会見を行っており、極めて異例の対応だ。就任会見で国民に「政権に参画していただきたい」と呼びかけた鳩山首相が、最後は国民に背を向けて政権を去ることになった。
内閣記者会は、会見に応じるよう繰り返し要請したが、鳩山首相は拒んだ。朝日新聞の首相担当記者は7日、公邸から徒歩で昼食に出た鳩山首相に直接、会見を要請したが、首相は無言だった。
鳩山首相は官邸報道室を通じて「2日の両院議員総会で思いを述べ、記者のぶら下がり取材にも応じた」と会見を開かない理由を説明している。だが議員総会は、身内の民主党議員が対象。自らの思いを一方的に述べただけで、質疑応答もなかった。首相が立ったまま記者団との質疑に応じる「ぶら下がり」も、約10分で打ち切った。
フリー記者に開放して行った3月の記者会見で鳩山首相は「会見をもっと多く開くことが望ましい」「国民に開かれた内閣の姿を見せる」と述べていた。会見拒否はこうした姿勢と矛盾する。
辞意表明の直前まで続投に意欲を示していたのに、なぜ急に翻意したのか。鳩山首相が辞任の理由の一つに挙げた「政治とカネ」の問題で、実母から提供された巨額な資金の使途は何だったのか。
昨年8月の総選挙で、鳩山首相に308議席を与えた民意に応えるためにも、国民に対して辞任の理由や経緯などについて説明し、質問に答えることが不可欠だった。
自民党政権時代の歴代首相で辞任会見を開かなかったのは、病に倒れた大平正芳小渕恵三両氏や党総裁の任期満了で退任が既定路線だった小泉純一郎氏ら数例だ。最後に「国民が聞く耳を持たなくなった」と恨み節を残した鳩山首相は、会見を開くべきだとの要請には、「聞く耳」を持っていなかった。(西山公隆)
(2010年6月8日 アサヒコム

西山記者は、鳩山前首相がフリーの記者に開放して行った3月の記者会見において「会見をもっと多く開くことが望ましい」「国民に開かれた内閣の姿を見せる」と述べたことを挙げて、辞任会見の拒否がこうした姿勢と「矛盾」すると指摘する。
あのね…
そもそも民主党が、自民党政権時代には消極的だった「フリー記者」の受け入れを進めたのは何故か。
それは、マスメディアの記者によって組織された記者会(記者クラブ)が、政治家との密着によって裏情報を入手し、自分たちに都合のいい情報しか報道しないという悪しき構造からの脱却を目指したからである。
その根底には、マスメディアが、政策についての批評に長けた「政策記者」よりも、お茶の間うけするドロドロとした政局情報を収集することに長けた「政局記者」を重宝してきたという背景がある。
さらに言えば、フリー記者への開放にもっとも強く抵抗したのは、ほかならぬマスメディアである。
西山記者が、よもやそのことを知らぬはずはあるまい(会見を拒否させているのはチミ達なのだよ…)。

鳩山首相が辞任の会見に応じないまま、きのう正式に退任した。言葉も軽かったが辞め方も軽い。つまり首相の座がいかにも軽い。高らかに理想をうたった去年の所信表明を思えば、寂しい終わり方である▼今期限りの政界引退も表明している。資産家だから「晴遊雨読」で困るまい。だが、沖縄を混乱の中へ投げ込んだ普天間問題はこの先も続く。辞めても何一つ解決はしない。一議員、一個人としてどうかかわるのか。一言あってしかるべきだと思うのは小欄だけではあるまい▼そうした、もろもろの不信を積み残して菅内閣が誕生した。新内閣と民主党執行部は、「脱小沢」も功を奏して好評な船出をしたようだ。顔ぶれを見ると、「本の表紙」だけではなく目次まで変わった印象を受ける。あとは中身、ということになる▼かつてこの欄で、「主」と書いて「あるじ」とも「ぬし」とも読む、と書いた。小沢さんは民主党の「あるじ」というより、隠然とおどろおどろしい「ぬし」であると。最近はとりわけ民意から遊離した存在だった▼正月には議員が大挙「小沢邸詣(もう)で」に参じた。選挙をにらんだ露骨な利益誘導もあった。あれやこれやに幻滅した有権者は多かろう。皮肉と言うべきか、いまとなれば小沢氏は、支持回復の大いなる「含み資産」だったことになる▼「これを修行の場だと思って」「あらん限りの力を尽くして」。就任会見での新首相の弁に信を置きたい。「脱小沢」頼みではない政策への共感を、どう勝ち得ていくか。真価はすぐに問われることになる。
(2010年6月9日 朝日新聞天声人語」)

朝日新聞は、鳩山(前)首相が内閣記者会からの辞任会見要請を拒んだということについて、他紙に倍する反応を見せている。
先の一般記事では「国民に背を向けて政権を去ることになった」と断じ、天声人語では「言葉も軽かったが辞め方も軽い。つまり首相の座がいかにも軽い」とまで言い放っている。
これに対して新恭氏は、鳩山(前)首相の辞任会見拒否が「内閣記者会への無言の抗議」であると指摘する。

西山公隆記者はこう書く。
朝日新聞の首相担当記者は7日、公邸から徒歩で昼食に出た鳩山首相に直接、会見を要請したが、首相は無言だった」
この一行の文から、鳩山前首相、担当記者、執筆する西山氏、それぞれの感情をくみとることができる。
内閣記者会には官邸報道室を通じ辞任会見を開かない旨、通知していた。「2日の両院議員総会で思いを述べ、記者のぶら下がり取材にも応じた」というのがその理由だ。
これについて、朝日は納得できなかった。
「病気などの例をのぞき、これまでほぼ全首相が辞任会見を行っており、極めて異例の対応だ」「議員総会は、身内の民主党議員が対象。自らの思いを一方的に述べただけで、質疑応答もなかった」(記事より)
辞任会見に応じない異例さが、どうやら不満のモトらしい。
キャップの指示を受けた首相担当記者が、公邸から徒歩で昼食に出た鳩山前首相に近づいて、会見を要請したが、無言のまま通り過ぎた。
その報告を聞いたキャップなり本社のデスクなりが、さらに不満や怒りを募らせたのか、それとも「一本、記事ができたな」と思ったのか。
そもそも、両院議員総会における気迫のこもった辞任表明演説で、十分、国民に鳩山氏の気持は伝わったと思うが、あれ以上、記者会見で何を聞きたいのだろう。(…)
それでも、聞きたいのは自由である。今後、取材をすればいい。
慣例により、退陣にあたっては内閣記者会の会見要請に応じるべきだという。「我々は国民を代表して質問するのだ」という記者会のプライドがあるのなら、質問をもっと本質的な中身に変えるべきであり、それここそが国民に対するメディアの責任であろう。
筆者は、メディアの総攻撃を受け、あの苦しい心境のなか、両院議員総会で退陣を表明した鳩山の演説は一世一代の力をこめたものだと感じた。燃え尽きたと思う。
それを、さらに記者会見で、さまざま追及し、いったい国民のためにどんな発言を引き出したいというのだろう。(…)
政治家、とくに首相に甘えは禁物だ。辞任会見に応じるべきだというのは、ひょっとしたら正論なのかもしれない。
しかし、それでもなお、検察権力の乱用、官僚のサボタージュと意図的リーク、それに追従するマスメディアのバッシングを浴び続けた孤独な宰相の、一個人としての心の中を測るとき、これ以上追い討ちをかけることに価値があるとは思わない。
むしろ、鳩山首相の「辞め方が軽い」という「天声人語」の文章の軽さを筆者は深刻に受けとめる。単眼思考の執筆者に人間観のカケラも感じないからである。
一方、西山記者は記事の最後をこう締めくくった。
「国民が聞く耳を持たなくなった」と恨み節を残した鳩山首相は、会見を開くべきだとの要請には、「聞く耳」を持っていなかった。
あれは怨み節だろうか。悔恨のこもった言葉ではなかっただろうか。国民を怨んでいるのではない。自らを悔いているのだ。
2010年06月09日 永田町異聞「内閣記者会へ無言の抗議をした鳩山前首相」より抜粋)

『「辞め方が軽い」という「天声人語」の文章の軽さを筆者は深刻に受けとめる。単眼思考の執筆者に人間観のカケラも感じない(by新恭氏)』というご指摘には、激しく首肯する。
両院議員総会における辞任表明演説は、少なくとも鳩山氏の複雑な胸中を伝えるに十分な気迫と誠意が込められていたように思う。
長文ではあるが、ここに全文掲載しておく。

お集まりのみなさんありがとうございます。国民のみなさん、本当にありがとうございました。
国民のみなさんの、昨年の暑い夏の戦い。その結果、日本の政治の歴史は大きく変わりました。国民の皆さんの判断は決してまちがっていなかった。私は今でもそう確信しています。こんなに若いすばらしい国会議員が、すくすくと育ち、国会で活動を始めています。国民のみなさんの判断のおかげでございます。
政権交代によって、国民のみなさんのお暮らしが必ず良くなる。その確信のもとで、みなさん方がお選びいただき、私は総理大臣として今日まで、その職を行ってまいりました。みなさん方と協力して、日本の政治を変えよう。国民のみなさんが主役になる政治をつくろう。そのように思いながら、今日までがんばってきたつもりでございます。私は、今日お集まりの国会議員のみなさんといっしょに、国民のための予算を成立させることができた。そのことを誇りに思っています。
ご案内のとおり、子ども手当もスタートいたしました。高校の無償化も始まっています。子どもに優しい、未来に魅力のある日本に変えていこう、その私たちの判断は決して間違っていない、そう確信をしています。産業も活性化させなきゃならない、特に1次産業が厳しい、農業を一生懸命やっておられる方々の戸別所得補償制度、スタートさせていただくこともできています。そのことによって、1次産業が、さらに2次産業、3次産業とあわせて、産業として大いに再生される日も近い、私はそのようにも確信しています。
さまざまな変化が、国民の暮らしの中に、起きています。水俣病もそうです。さらには、医療崩壊が始まっている地域の医療を何とかしなきゃいけない、厳しい予算の中で医療費を、わずかですが増やすことができたのも国民の皆さんの意思だと私はそのように思っています。これから、もっともっと、人の命を大切にする政治、進めていかなければなりません。ただ残念なことに、このような私たち、政権与党のしっかりとした仕事が、必ずしも国民の皆さんの心に、うつっていません。国民の皆さんが、徐々に徐々に聞く耳を持たなくなっていってしまった、そのことは残念でなりませんし、まさにそれは、私の不徳のいたすところ、そのように思っています。
やはりその一つは普天間の問題でありましょう。沖縄のみなさんにも徳之島のみなさんにもご迷惑をおかけしています。ただ、私は本当に沖縄の外に米軍の基地をできるだけ移すために努力しなければいけない。その思いで半年間、努力してまいりましたが、結果として県外にはなかなか届きませんでした。これからも県外にできるかぎり、移すように努力してまいることはいうまでもありませんが、一方で北朝鮮が韓国の哨戒艇を魚雷で沈没させるという事案が起きています。北東アジアは決して安全・安心が確保されている状況ではありません。日米が信頼関係を保つということが、日本だけでなく、東アジアの平和と安定のために不可欠なんだという思いのもとで、残念ながら、沖縄にご負担をお願いせざるをえなくなりました。そのことで沖縄のみなさま方にもご迷惑をおかけしています。
そしてとくに社民党さんに政権離脱という厳しい思いをお与えしてしまったことが残念でなりません。ただみなさん、私はこれからも社民党さんとは、さまざま国民新党さんとともにありますが、一緒に今まで仕事をさせていただいていた、これからもできるかぎりの協力を、お願いを申し上げてまいりたい。さらに沖縄のみなさん方にも、県外に米軍の基地というものを少しずつでも移すことができるように、新しい政権としては努力を重ねていくことが何より大切だと思っています。
社民党より日米をより重視した。けしからん。その気持ちがわからないでもありません。だがどうぞ、社民党さんと協力関係を模索していきながら、今ここはやはり、日米の協力関係をなんとしても維持させていかなければいけないという、この悲痛な思い。ぜひみなさんにもご理解をいただきたいと思っています。私はつまるところ日本の平和、日本人自身でつくりあげていく時を、いつかは求めなければいけないと思っています。アメリカに依存し続ける安全保障、これから50年、100年続けていいとは思いません。そこのところもぜひみなさん、ご理解いただいて、だから鳩山がなんとしても、少しでも、県外にと思ってきた、その思い、ご理解を得られればと思っています。その中に今回の普天間の本質が宿っているとそんなふうに思っています。いつか、私の時代は無理ですが、あなた方の時代に日本の平和を、もっと日本人自身でしっかりとみつめあげていくことができるような、そんな関係を、現在の日米の同盟の重要性はいうまでもありませんが、一方でそのことも模索をしていただきたい。私はその確信の中で、社民党さんを政権離脱に追い込んでしまった。
今ひとつは政治とカネの問題でありました。
そもそも私が自民党を飛び出してさきがけ、さらには民主党を作り上げてまいりましたのも、自民党政治ではだめだ、もっとお金にクリーンな政権を作らなければ国民のみなさまは政権に決して好意を持ってくれない。なんとしてもクリーンな政治を取り戻そうではないか。その思いでございました。
それが結果として、自分自身が政治資金規正法違反の元秘書を抱えていたなんてことは、私自身まったく想像だにしておりませんでした。そしてそのことが議員のみなさんに大変なご迷惑をおかけしてしまったことを本当に申し訳なく、なんでクリーンであるはずの民主党の、しかも代表がこんな事件に巻き込まれるのか、みなさま方もさぞご苦労され、お怒りになったことだと思います。私は、そのような政治とカネに決別をさせる民主党を取り戻したいと思っています。みなさんいかがでしょうか。(拍手)
そのことで私自身もこの職を引かせていただくことになりますが、合わせてその問題は小沢幹事長にも政治資金規正法の議論があったことも皆様方周知のことでございます。
先般、いろいろ幹事長ともご相談申し上げながら、私も引きます、しかし幹事長も恐縮ですが幹事長の職を引いていただきたい。そのことによって新しい民主党を、よりクリーンな民主党を作り上げることができる。そのように申し上げました。幹事長も分かったと、そのように申されていたのでございます。決して受動的という話ではありません。
互いに責めを果たさなければならない。重ねて申し上げたいと思いますが、きょうも見えておりますが、小林千代美議員にもその責めをぜひ負っていただきたい。誠にこの高い壇上から申し上げるのも恐縮でありますが、わたしたち民主党を再生させていくためにはとことんクリーンな民主党に戻そうじゃありませんか、みなさん。そのためのご協力をよろしくお願いいたします。(拍手)
必ずそうなれば国民のみなさんが新たな民主党聞く耳を持っていただくようになる、そう確信をしております。わたしたちの声も国民のみなさんに届くでしょう。国民のみなさんの声もわたしたちに通る、新しい政権に生まれ変わると確信しています。みなさん、私はしばしば宇宙人だと言われております。それは私なりに勝手に解釈させていただけば、いまの日本の姿ではなく五年十年、何か先の姿を国民のみなさんに常に申し上げているから、何を言っているか分からんよ、あるいは国民のみなさんにあるいは映っているのではないか。そのようにも思います。
たとえば地域主権、原口大臣が先頭を切って走ってくれています。もともと国が上で地域が下にあるなんて社会はおかしいんです。むしろ地域の方が主役になる日本にしていかなくてはならない。それがどう考えても国会議員や国の官僚が威張っていて、くれてやるからありがたく思え(という)、中央集権の世の中はまだ変わっていませんでした。
そこに少なくとも風穴があいた。かなり大きな変化がいま、できつつある。強く実現を図っていけば日本の政治は根底から変わります。地域のみなさんが思い通りの地域をつくることができる。そんな世の中に変えていけると思います。いますぐなかなか分からないかもしれません。しかし五年十年たてば必ず、国民のみなさんは鳩山が言っていたことはこういうことだったのかと分かっていただける時がくると確信しております。
新しい公共もそうです。官が独占している今までの仕事もできる限り公を広くということをやろうじゃありませんか。みなさん方が主役になって、本当に国民が主役になる。そういう政治を、社会を作ることができる。新しい公共という言葉自体にまだまだなじみが薄いかもしれません。ぜひきょうお集まりのみなさん、その思いを、それが正しいんだ、官僚が独占した社会でなく、できるだけ民が、国民のみなさんがやりおおせる社会に変えていく。その力を貸していただきたいと思います。東アジアの共同体の話もそうです。
今すぐという話ではありません。かならずその時代が来るんです。
おかげさまで、3日ほど前、済州島に行って、韓国の李明博大統領、中国の温家宝総理と、とことん話し合ってまいりました。「東アジア、我々は一つだ」。壁に「We are the one 我々は一つである」。その標語が掲げられていました。そういう時代をつくろうじゃありませんか。
国境を超えて、お互いに国境というものを感じなくなるような、そんな世の中をつくりあげていく。そこで初めて、新たな日本というものを取り戻すことができる。私はそのように思っています。国をひらくこと、その先に未来をひらくことができる。私はそう確信しています。ぜひ、新しい民主党、新しい政権を皆さま方の力によっておつくりいただきたい。その時に、いま鳩山が申していた、どうも先の話だなあと思っていたことが、必ず皆さんの連携の中で、「よしわかった」と理解をしていただける、国民の皆さんの気持ちになっていけると、私はそう確信しています。
話が長くなりました。私は済州島で、ホテルの部屋の先にテラスがありまして、そのテラスに一羽のムクドリが飛んでまいりました。あ、ムクドリじゃない、ヒヨドリです。鳥の名前を間違えちゃいけない(笑い)。ヒヨドリが飛んでまいりました。実は我が家にいるヒヨドリとまったく同じであります。我が家から飛んできたヒヨドリかなあ。姿形が同じだから、そのように勝手に解釈して、そうかこの鳥も「そろそろ自宅に戻ってこいよ」。そのことを招いているようにも感じたわけです。
雨の日は雨の中を、風の日は風の中を自然に歩けるような、苦しい時には、雨天の友。お互いにそのことを理解しながら、しかし、その先に国民の皆さんの未来というものを、しっかり見つめあいながら、手をたずさえて、この国難とも言えるときに、ぜひ皆さん、耐えながら、国民との対話のなかで、新しい時代をつかみとっていこうではありませんか。
今日はそのことを、皆さま方にお願いを申し上げながら、大変ふつつかな私でございましたけれども、今日まで8カ月あまり、今日まで皆さんとともに、その先頭にたって歩ませていただいたことに、心から感謝を申し上げながら、私から国民の皆さま、ここにお集まりの皆さんへのメッセージとします。
ありがとうございました。
(2010年6月2日 毎日jp鳩山首相辞任表明:両院議員総会詳細』)

この演説のどこが「軽い」のか。
確かに、政治的出来事の成否に、為政者の個人的能力が関与していることは否定できない。
しかし、それが唯一無二の失敗理由であるとして、それ以上の吟味を放棄しているメディア批評の定型性は、思考停止以外のなにものでもない。
歴代の統治者たちが組織的に失敗し、また先送っている問題であるならばなおさら、そこに属人的な要素だけでは説明できない構造的な問題があるのではないかと考えるのが「科学的思考」である。
マスメディアには、このような構造的問題を「科学的に考える」という構えが致命的に欠落しているように思われる。

昨年の12月25日、日本プロスポーツ大賞に選出された遼は、献金問題の釈明会見から一夜が明けたばかりの鳩山由紀夫から内閣総理大臣杯を手渡された。その後の会見で、「首相がハザードから脱出するにはどうしたらいいでしょうか」という、かなり政治色の濃い質問にも絶妙なアプローチショットを放った。
「僕もボールを曲げて林に入るといろんな声が聞こえてきます。『狙え!』とか『安全に横に出せ』とか。僕は自分の気持ちを貫くけど、総理の場合はまったく違うと思うんですよね。ゴルフは自分のボールを自分で責任を持って自分だけで打っていきますけど、総理の場合は色々な意見を踏まえつつ結論を出さないといけない。ゴルフとはまったく違うと思うので、なかなか難しいんだと思います」
ファンのウケを狙うわけでもなく、奇をてらったコメントをするわけでもなく、彼は思うがまま素直な気持ちを言葉にする。だからこそ、聞く者の心にスッと入り、脳裏に深く刻まれる。
(2010年6月10日 柳川悠二氏『石川遼「言葉の力」 父、トレーナー、恩師らが明かしたコメントをめぐる全ドラマ(第10回)』より抜粋)

先の「批評」を書いた記者や論説委員(&書かせた朝日新聞)には、鳩山氏の辞任表明演説や石川遼選手のコメントを噛みしめたうえで、様々な出来事のうちにある構造的な問題を「科学的」に捉えることを心がけてもらいたいものである。