自己責任論の欺瞞2

moriyasu11232009-02-04

『職ないはずなのに… 100人募集にたった8人 さいたま市の臨時職員採用』
さいたま市が失業者対策として打ち出した約100人の臨時職員採用計画への応募者が、18日までに8人にとどまっている。相川宗一市長は「採用期間が短いなど(応募側との)ミスマッチがあるのかも。もっと活用しやすい方法を考えたい」と反省しきりだ。
市が募集しているのは、昨年10月以降に勤務先の業績悪化などで解雇された市内在住者。市・区役所の事務補助などが主な仕事で、原則6カ月間、時給制で勤務する。受け付けを始めた13日以降、応募があったのは20〜50代の男女4人ずつ、計8人だけだった。
臨時職員を募集する埼玉県内の自治体でも、応募者は予想以上に少ない。熊谷市は昨年末5日間の臨時職員を約50人募集したが応募は11人。川口市は約20人の臨時職員を募集したが、応募は今月16日までに50代男性1人。ただ、この男性も採用を辞退したという。
(2009年1月18日 産経ニュース)

自宅から徒歩圏内にある役所でのできごとである。
この手の記事や報道は、企業やメディアが、「年越し派遣村」等の活動によって点火しつつある世論(労働者派遣法の改正)の火消しに躍起になっていることを顕している。
この内容は、朝のワイドショーでも紹介され、コメンテーターが「仕事がないというが、あるところにはある」といったお約束の「みのもんた的コメント」を垂れ流していた。
これらの報道をみた読者や視聴者が「結局、派遣村にいるような連中は働く気がないんだろ…」と言いながら、パンをかじりつつコーヒーをすすっている姿が目に浮かぶ(あるいは和食かも知れない)。
しかし…である。
募集する側の事情もあれば、応募しない側の事情もある。
「おにぎりが食べたい」と書き残して餓死したり、毛布一枚はおって公園で年を越すような人たちが、その生活から抜け出すことを強く願っていないはずがない。
記者は、なぜ「応募しなかった側」を取材しないのか。
このような中途半端な記事は、”怠慢”という程度の言葉で片付けられるものではない。
いずれにせよ「世間がうるさいからポーズだけはみせとこ」という役所の思惑をうかがい知るに足る内容ではある。
まず応募資格に「さいたま市在住」とある。
つまり、解雇とともに住所(家)を失った人は応募できない。
この時点で派遣村などの人は対象外である。
以上、論証は終了である。
応募が少なかったことと、派遣村の人たちの「やる気」には何の相関もない。
「(応募側との)ミスマッチ」とかいうレベルの問題ではないのだよ、アイカワくん(ミスマッチと言えばミスマッチだが…)。
論証は終了したが、もう少し補足しておく。
時給830円…1日6時間×週5勤務…1日4,980円×22日=109,560円。しかも、国民の休日は休みなので、月平均で90,000円弱〜10万円強ということになるだろうか。
さいたま市なら、アルバイトでももっとよい口がある。
さらに、この給料が支給されるのが、月末締めの翌15日。1月19日の月曜日から働いたとしても、2月15日までは無給で凌がねばならず、しかも最初に支給される額は10日分の49,800円。1ヶ月分の給料にありつけるのは、さらに1ヶ月後になる。
ネットカフェ難民やホームレスと呼ばれる人たちにとって、このような労働開始から給与受給までのタイムラグが死活問題であるというのは、派遣村村長の湯浅誠氏も常々指摘していることである。
換言すれば、この条件で働けるのは、夫が働いている主婦(または逆)や、少なくとも2〜3ヶ月の生活費に充てる貯金があるなど、生活に余裕がある人だけである。
現在無職だからといって、糊口を凌ぐ程度の「仕事もどき」をしても、職も家もない人にとっては“屁の突っ張り(byキン肉スグル)”にもならない。
自治体やハローワークが、このような「仕事まがい」を「仕事」と称して提供するお茶濁しを続けても、本質的な解決には至らないのである(確信犯か?)。
本気で彼らの救済を考えるのであれば、例えば100人をアルバイト待遇で雇うのではなく、その5分の1の20人を5倍の待遇で少なくとも1年間は雇うことが必要となる。
「仕事」とは、単に賃金を得ることだけでなく、労働者自身が“溜め(by湯浅誠氏)”をつくれる行為のことを指すのである。
そのことを忘れてはならない。