学ぶ・考える・やってみる(その2)

moriyasu11232012-09-12

前回(その1)からのつづき…

◇レースの奥深さ、実感
「本当に私で大丈夫なんですか?」。最初は冗談だ、と小平奈緒は思った。バンクーバー五輪を1年半後に控えた、2008年夏の日本代表カルガリー合宿。日本スケート連盟鈴木恵一強化部長=当時=や、羽田雅樹コーチ(ダイチ監督)から「小平、パシュートはどうだ」と声をかけられた時のことだ。
女子団体追い抜き(チームパシュート)は、2チームがコースの対角線上から同時にスタートし、3人が交互に先頭を代わりながら6周し、最後尾の選手が先にゴールした方が勝つチーム対抗戦。連盟ではバンクーバー五輪のメダル有望種目と位置づけ、カギを握る選手をさがしていた。
「日本が勝つには、スピードしかない、と思っていた」と鈴木さんは言う。長距離選手の層が厚いカナダやドイツなどは長距離専門選手を3人集め、後半にラップを上げていけるが、層の薄い日本は難しい。そこでスピードで前半をリードし、逃げ切る戦略だった。
鈴木さんらが目をつけたのが、小平だった。五百メートルの日本記録保持者ながら、持久力もけっこうある。カルガリー合宿で、小平が長距離選手と一緒の練習について行くのを見て、鈴木さんは「いける」と予感したそうだ。そして09年シーズン最初の全日本距離別選手権の千五百メートルに小平が勝ったことで、ダイチの田畑真紀穂積雅子を加えた3人でチームを組むことが、ほぼ確定した。
穂積、田畑と先頭を交代し、3周目に小平が先頭に立ったときに加速して、リードを広げる。大柄な小平は、後ろの2人の風よけになり、疲労も軽減できるメリットもあった。迎えたバンクーバー五輪本番、1回戦の韓国、準決勝のポーランドとのレースでは、先行逃げ切りパターンがはまり勝利。決勝のドイツ戦でもラスト半周までリード。最後は100分の2秒差で逆転されたが、みごとに銀メダルを獲得した。
五輪前に周囲が一番心配したのは、1回戦を勝ち上がると、準決勝、決勝と1時間半を置いて2レースをしなければならないことだった。小平のスタミナが持つか。「でもワールドカップでは五百メートルで最大限に力を出した50分後に千五百メートル、なんてこと、何度もあった。それに比べたら、すごく楽でした」。言葉通り、滑り切った。(…)
決勝での惜敗は悔しかったが「おかげで、パシュートの面白さも難しさも知った」と満足している。高速リンクか低速リンクか、あるいは、相手のメンバー構成次第でレースプランを変えてもいい、と奥深さを感じた。「個人種目より心理戦の要素が強い。そういう戦略を、考えるのが好きなんです」。団体追い抜きは、小平の引き出しをまた一つ増やした。
(2010年4月30日 毎日新聞インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/4」 より抜粋)

五輪という舞台での「惜敗(銀メダル)」から、パシュート独特の戦略を考えることの「面白さ」と「難しさ」を学んだという小平選手。
仮に金メダルを獲得していたら、果たしてそれと同質の「面白さ」と「難しさ」を感じることができただろうか。
もちろん選手としては、できるだけ「失敗(≒敗北)」を避けたいと思うのが人情であるが、「失敗(≒敗北)」を免れた代償に「成功(パフォーマンス向上)のもと」をつかむ機会を逸したとなれば、これも算盤には合わない。

もし全幅の信頼を置ける、自分の選択よりも常に正しい選択をする人間が指示をしてくれていたら、これは正しい失敗の機会を奪ってしまうことになります。痛い目をみない失敗は、そのほとんどが忘れ去られてしまいます。あまりにこの期間が長くなってしまうと、様々な失敗を、自分が対応できた類と考えず、チームのコーチの、ゆくゆくは組織の問題だという領域に持ち込みがちです。なぜなら自分で選択している感覚が薄れるからです。
(2008年12月9日 為末大オフィシャルサイト「コーチング論」より抜粋)

テスト(試験)の目的は「100点をとる」ことではなく「返却されたあとで100点にする(次に間違えないようにする)」ことにある。
「試験」も「試合」も文字通り「試すこと」が目的であり、結果だけに囚われてその後のパフォーマンス向上に繋がらなければあまり意味がない。
4年に1度の五輪は、アスリートにとって最高峰の大会であり、それまでのトレーニング成果を遺憾なく発揮すべき「本番」であることには違いないが、五輪という大舞台で自身の力を発揮するために何が必要なのかについて学ぶことができる「唯一の場」であることもまた事実である。

◇「ソチへ」強まる思い
バンクーバー五輪後、小平奈緒はいったん帰国した後、すぐにワールドカップ(W杯)に出場するため出国した。長野に戻ってきたのは3月16日。それから3日間、茅野市の実家に戻るのを少し遅らせ、早起きして長野市の屋内リンク・エムウェーブに通った。「まだ営業していたので。だれもいなくて貸し切りでした」
五輪の疲労からか、W杯では滑りが崩れていた。崩れたままでシーズンを終えるのは不本意。修正してオフを迎えたかった。
五輪後のシーズンをゆっくり休養する選手も多いが、小平は逆だ。帰国後のあいさつ回りやイベント参加が一段落した後、4月15日からトレーニングを再開する予定だったのに、1日には「がまんできなくて、始めちゃいました」と笑う。
小平の練習好きは、昔からだ。中学、高校時代に教えた新谷純夫さんは「練習に耐える体力は男子並みだった。体調が悪くても練習を人より多くこなせるので、滑りがおかしくなったほど」と言い、信州大時代から継続して指導する結城匡啓監督も「大学1年夏の菅平合宿で、(練習のし過ぎで)呼吸困難で倒れたことがある。こっちでセーブしないといけない、と気がついた」と語る。
五輪後に会ったあこがれの先輩の言葉も、やる気に拍車をかけた。3月末、男子五百メートルのメダリスト、長島圭一郎日本電産サンキョー)、加藤条治(同)とともに、長野五輪で金メダルを取った清水宏保と食事をする機会があった。清水は「長野の翌シーズン、休もうなんて思わなかった。五輪では最強を求め、五輪後の3年は最速を求めないとダメだと思う」とアドバイスした。
最強と最速を追求する環境は整っている。大学を卒業した昨年、はじめてスケートに専念できた。松本市にある相沢病院のサポートを受けられたからだ。就職にあたって小平が唯一希望したのは、信州大の結城監督の指導を受け続けられること。だが不況のためか、なかなか見つからなかった。4月に入っても決まらず、小平もあきらめかけたころ、日本スケート連盟が提携するスポーツドクターで、相沢病院のスポーツ障害予防治療センターに勤務する村上成道医師が、相沢孝夫院長に引き合わせてくれた。相沢病院は、小平が08年に左足を痛めたとき、リハビリで世話になったところでもある。相沢院長は「地元で頑張っている選手を応援するのが、地域の病院の役目」と快諾し、昨年4月16日付で採用が決まった。(…)
結城監督は「内発的動機付けのレベルがとてつもなく高いこと」が小平の最大の長所と見ている。心理学で、報酬や名誉といった外からの刺激によってモチベーションを上げるのが外発的動機付け。いわば目の前にリンゴがぶら下がっている状態だ。リンゴがなくても走りたい、と思う心の動きが、内発的動機付けだ。
うまくなりたい、速くなりたい、強くなりたい。心の中からわき上がる思いが、いま小平をトレーニングに向かわせる。その先に、14年ソチ五輪が待っている。
(2010年5月1日 毎日新聞インサイド:学ぶ・考える・やってみる 小平奈緒のスケート哲学/5止」 より抜粋)

スポーツに限らず、その道の熟練者になるためには「10年以上継続して1万時間を超える科学的・合理的な質の高いトレーニング」が必要であるといわれている。
そのためには、まず人間に行動を起こさせ、その行動を持続しながら一定の方向に向かわせることが必須となる。
すなわち、最大のスポーツ適性は「高い動機づけ」ということができるが、この動機づけは大きく二つに分けられている。
一つは、外的な「報酬(目標)」により行動意欲が引き出される「外発的動機づけ」であり、もう一つは、行動それ自体が「報酬(目標)」となり意欲を引き出すよう働く「内発的動機づけ」と呼ばれている。
心理学的な研究結果を引くまでもなく、人は多くの欲望や関心が混ざり合って「動機づけ」られており、「外発・内発」という二分法でクリアカットできるほど事は単純ではない。
市川伸一氏は、「学習の功利性」と「学習内容の重要性」という二軸をベースに、学習目的と内容の関連性が高い「内容関与的動機(充実・訓練・実用)」と、関連性が低い「内容分離的動機(関係・自尊・報酬)」を二次元的に位置づけるという「学習動機の2要因モデル」を提案している。

本研究において,内容分離的動機(関係志向および報酬志向)は内容関与的動機と関連を持つことが示されており,周囲の者につられて運動を行ったり(関係志向),何らかのご褒美を目当てに運動を行っている(報酬志向)者でも,それと同時に運動内容の重要性を感じていれば(内容関与的に動機づけられていれば),行動変容技法や運動の実践につながる可能性が示唆されている.市川(2001)も指摘しているように,両者の関係は内容関与的動機が好ましく,内容分離的動機は好ましくないといった二項対立的なものではない.(…)仮に一方の動機が顕著に見られたとしても,それは一方の動機が他方の動機づけに質的に変化しているのではなく,その時々の文脈により一方の動機に量的に偏っているに過ぎないと考える方が妥当であろう.つまり,運動についても内容関与的にも内容分離的にも動機づけられており,尚且つ内容関与的動機に偏っている際に,運動への取り組み方を積極的に工夫しようとするのではないかと推察する.
(上地広昭, 森丘保典, 尾山健太『青少年期における運動志向性と行動変容技法の関係』体育学研究57巻2号より抜粋)

そもそも外発的動機づけの歴史なしに生じる内発的動機づけが(食欲などの生得的な欲求を除いて)存在するのかという問題や、内発的動機づけは「外部からの強化が目に見えないのに行動が維持されている状態」につけたラベルに過ぎず「その人間の中で何かが起きている」という証拠を明示することはできないなどの議論もある。
しかし究極的には、新しいことや困難なことに対して、自ら工夫し、また全力で挑みながら、自身のパフォーマンスを高めていく「楽しさ」それ自体を報酬として動機づけられていくことこそが、子どもや愛好家のみならず、トップアスリート育成にとっても極めて重要なテーマであることは言を俟たない。
ソチ五輪での金メダル獲得」というリアルな目標をもちながら、「うまくなりたい、速くなりたい、強くなりたい」という思いに強く動機づけられている小平選手は、まさに「内容関与的にも内容分離的にも動機づけられており,内容関与的動機に偏っている際に,運動への取り組み方を積極的に工夫しようとする(by上地広昭氏)」選手なのである。

挫折にしろ、技術的な伸び止まりにしろ、燃え尽き症候群にしろ、とにかく早い段階でいろんな事を経験し、免疫をつけていく。最後はグラウンドに一人で立つわけですから、こういったフィロソフィーがどれだけ成熟しているかが重要ではないでしょうか。(…)
結局いったい何が私を支えてきたんだということを(…)考えてきましたが、どうも「技術」の世界ではないのかなと思いました。革新的な技術、いろんな人の真似をしながらこれまで競技を続けてきましたが、流行はみんな去ってしまいました。唯一のこるのはメッキが全部はがれたコアの部分だけです。(…)重要なのはこのコアに向かう動機。これが純粋で濁りがない選手ほど生き残っています。
為末大「400mハードルのトレーニング戦略」スプリント研究 第18巻より抜粋)

人間的な「成熟」の指標は、様々な仕方でセットされ、様々な機会を通じて吟味されなければならない。
「動機づけ」についていえば、「内発的 or 外発的」よりもむしろその時間的な文脈にこそ本質があるといえるのではないか。

選手というものは、自得しなければならない。その自得という行為に他人が関わるところにコーチングの難しさと楽しさがある。(…)幸いにして教育学部に職を得て10年が過ぎた。教員を養成する目的学部である教育学部の教師教育には、日本のスポーツ界に有名無実のコーチ教育に資する題材が詰まっているように感じる
(結城匡啓「私の考えるコーチング論:科学的コーチング実践をめざして」コーチング学研究25巻2号より抜粋)

ほらね。
ここにも「難しさ」と「楽しさ(面白さ)」がでてくるでしょ。
「10年(1万時間)以上の質の高いトレーニング」とは、それさえ行えば誰もが熟練者になれるということではなく、「難しさ」と「楽しさ」に魅了されながら熟練に到達しようとする人間に共通するプロセスがそれだった、というのが因果のベクトルなのである(だから「質の高い」がついているのよ)。
ことの順逆を間違えてはならない。

勝つためのコーチングがすべてかというと、そう言い切ることも難しい。学生である選手に、教員であるコーチ(筆者)が勝つことだけを求めてコーチングするのは、哲学の欠落が招く「回路のショート」であると言える。選手としては勝てなかったとしても、学生としては負けから学ぶことも大きい。外からの結果しか見えない外野から、そのコーチングを評価することなどできまい。選手とコーチの間に共通の認識として気づかれる教育の場としてのスポーツ経験。このスポーツ経験こそが、選手であり学生である一人の人間を成長させるための積み上げになるのであり、実は強い選手を育てるために必要なコーチングに通ずると信じている。
(結城匡啓「私の考えるコーチング論:科学的コーチング実践をめざして」コーチング学研究25巻2号より抜粋)

「その1」冒頭の記事に「大学に行かなければ、トリノ五輪に出場し、2度目のバンクーバーでは個人種目でもメダルを取れた…」というスケート関係者のコメントがあった。
その推論の妥当性を科学的に検証するのは不可能であるが、仮に「トリノ五輪出場&バンクーバーでは個人種目でメダルを取れた」として、そのほうが「価値あるプロセス」だったとは言い切れまい。
五輪選手、メダリストと一口に言うが、その多様性に思いの至らない人間は限られた成功モデルに拘り、その拘りこそが自身の可能性の幅を狭めているということに気づかない。
彼らのようなアスリートを「異色・異端」というカテゴリーで括ろうとした瞬間に、今までの自身の常識を覆す事例との「出会い」、すなわち自身の理論を書き換える重要な「契機」を逸することとなる。
トップアスリートの発達過程を考察する際には、等質性に固執するのではなく多様性を見ていく、すなわち「違いのある類似性」に着目する必要がある。

偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選

偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選

ニイチェの『ツァラトゥストラ』のなかにこういう話があります。ツァラトゥストラがある日、大きい橋を渡っていたところが、片輪だの乞食だのがとりまいて来た。そのなかにひとりせむしがいてツァラトゥストラに向って、だいぶ大勢の人があなたの教えを信じるようになってきたが、まだ皆とは行かない。それには一つ大切なことがある。それは先ず私共のような片輪までも説きふせなくてはだめだといったのです。
それに対してツァラトゥストラは「意志が救いをもたらす」ということを教えたのです。せむしに生まれついたのは運命であるが意志がその運命から救い出すのです。「せむしに生れることを自分は欲する」という形で「意志が引き返して意志する」ということが自らを救う道であることを教えたのです。
このツァラトゥストラの教えは偶然なり運命なりにいわば活を入れる秘訣です。人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それは人生の第一歩でなければならないと私は考えるのです。
(by九鬼周造氏)

「大学の4年間がなかったら、いまの自分のスケートはありません」ときっぱりと言い切ったという小平選手。
彼女のコーチングにおいて、ご尊父から新谷氏、そして結城コーチへと引き継がれているコンセプトとは何か?
それは、「自分は今、自らの宿命が導いた、いるべき時間の、いるべき場所に、いるべき人々とともにいる」という人間の心身のパフォーマンスを最大化する「確信」が得られるように導かれていることなのである。