しがみついてきたハードラー

moriyasu11232012-08-10

Men 400-Metres Hurdles Final Startlist
Lane2 Kerron Clement(USA) 48.12(SB:1組3着)
Lane3 David Greene(GBR) 48.19(1組4着)
Lane4 Angelo Taylor(USA) 47.95(SB:2組2着)
Lane5 Javier Culson(PUR) 47.93(2組1着)
Lane6 Michael Tinsley(USA) 48.18(SB:3組1着)
Lane7 Felix Sánchez(DOM) 47.76(SB:1組1着)
Lane8 Jehue Gordon(TRI) 47.96(NR:1組2着)
Lane9 Leford Green(JAM) 48.61(SB:3組2着)
※準決勝記録および着順

05年ヘルシンキ世陸以降、昨年までの五輪および世陸における準決勝通過の平均記録(準通記録)は48.4秒前後(8番目記録は48.6〜48.8秒)であったが、今回は8番目記録は48.61秒だったものの、48.23秒(2組3着)のシスネロ(CUB)が敗退するなど、準通記録は48.09秒という稀にみるハイレベルの準決勝となった。
決勝で2レーンを走るクレメントは、05年ヘルシンキ世陸で為末大氏にラストでかわされ4位となった後、07年大阪世陸(1位)、08年北京五輪(2位)、09年ベルリン世陸(1位)と順調にキャリアを積んできたが、昨年の大邱世陸では準決勝で敗退している。
3レーンのDグリーンは、一昨年の欧州選手権で優勝し、昨年の大邱世陸で念願の世界チャンピオンの座に着いた選手。7月のグランプリでPB(47.84秒)をマークしており、好コンディションで本番に臨んできた。
4レーンのテイラーは、00年シドニー五輪&08年北京五輪の覇者。昨年の大邱世陸7位の雪辱を果たすべく、準決勝でもSB(47.95秒)をマークして順調に勝ち上がってきた。
5レーンのクルソンは、09年ベルリン世陸と11年大邱世陸で銀メダルを獲得し、表彰台の常連になっている選手。今季は五輪前に複数回47秒台をマークするなど満を持して世界チャンピオンを勝ち取りに来た。
6レーンのティンスリーは、07年に48.02秒をマークするなど世界トップレベルの力をもっていたが、王国アメリカの3人枠という高いハードルに跳ね返されて世界大会に駒を進められずにきた選手。今回、全米チャンピオンとして初の世界大会に挑んでいるが、準決勝でもSB(48.18秒)で1位通過を果たすなど好調さが窺える。
7レーンのサンチェスは、01年エドモントン大会から04年アテネ五輪まで連戦連勝した選手であるが、それ以降ケガをきっかけに不振に陥る。大きなケガを経験したベテラン選手のコンディショニングは容易ではないが、準決勝で04年以来の47秒台(SB:47.76)をマークして勝ち上がってきたのは完全復活をアピールするに十分な内容といえるだろう。
8レーンのゴードンは、09年のベルリン世陸で4位入賞(48.26秒)を果たしてファイナリストの仲間入りをしたが、10年世界ジュニアで2位となった安部孝駿選手とのデッドヒートを演じて優勝した選手でもある。準決勝で初の47秒台(NR:47.96秒)をマークし、昨年の世陸準決勝敗退のリベンジを目論んでいる。
9レーンのLグリーンは、昨年の大邱世陸(準決勝敗退)で初のジャマイカ代表となった選手。落選したシスネロ(CUB)よりも記録は悪かったが、組み合わせも奏功して決勝に駒を進てきた。
いずれにせよ、最年長(サンチェス・34歳)と最年少(ゴードン・20歳)の歳の差が14歳という、なんとも400mHらしい顔ぶれとなった。

Men 400-Metres Hurdles Final Result
1位 Felix Sánchez(DOM) 47.63(SB)
2位 Michael Tinsley(USA) 47.91(PB)
3位 Javier Culson(PUR) 48.10
4位 David Greene(GBR) 48.24
5位 Angelo Taylor(USA) 48.25
6位 Jehue Gordon(TRI) 48.86
7位 Leford Green(JAM) 49.12
8位 Kerron Clement(USA) 49.15

さて、実際のレースである。
1台目のアプローチでは、サンチェス、クルソン、テイラーが一歩リード。僅差でゴードン、ティンスリーが続き、クレメント、Dグリーン、Lグリーンはやや抑え気味の入り。
3台目では、クルソンとテイラーが一歩リード。サンチェスが僅差で続き、やや遅れてゴードン、ティンスリー、クレメント、Dグリーン。Lグリーンは少し後ろに引き気味。
5台目もクルソンとテイラーがリード。少し遅れてサンチェスとクレメントが通過し、その後ろにDグリーン、ティンスリー、ゴードン。Lグリーンは後半に備えているのか、さらに後方に引いた位置取り。
7台目もテイラー、クルソン(ハードルを引っかける)がほぼ並んでハードルに入るが、少しずつ間合いを詰めてきたサンチェスが前の2人をほぼ射程に入れる。僅か後ろにゴードン、ティンスリー、クレメントが続き、後半型のDグリーンとLグリーンはさらに後方から追う形となる。
8台目では、クルソン、テイラー、サンチェスがほぼ横並びで先頭争い。ゴードン、ティンスリー、Dグリーンも少しずつ彼らに近づいてくる。いつもより一台早めに?ハードルに足が合わなかったクレメントと終止後方を走っていたLグリーンは表彰台争いの圏外に去る。
9台目では、サンチェスが疲れの見えるテイラーとクルソンを捉えて先頭に立ち、満を持して追い上げてきたティンスリーが4位に上がる。少し遅れてゴードン、Dグリーンが通過。
10台目もサンチェスがリードし、クルソン、ティンスリー、テイラーの2位争い、少し遅れてDグリーン、ゴードンの順に通過。
その後は、中盤から追い込んできた勢いを最後まで維持したサンチェスが1位でフィニッシュ。
前半抑え気味だったティンスリーが、10台目を越えてからクルソン(3位)とテイラー(5位)を指しきって2位となり、昨年の大邱世陸覇者であるDグリーンは追い上げ及ばず4位フィニッシュ。
準決勝で自身初の47秒台(NR)をマークしたゴードンは力尽きて6位、以下Lグリーン、クレメントの順にフィニッシュラインを通過していった。

男子400メートル障害は、34歳のサンチェスが2大会ぶりの金メダルを手にした。持ち前のハードリングで前半からリードを広げ、最後の100メートルでもライバルを寄せ付けなかった。
2001年から04年にかけて43連勝し、アテネ五輪ではドミニカ共和国に初の金メダルをもたらした。ただ、05年からは足のけがに悩まされ、08年北京五輪は予選落ちだった。「多くの人に引退すべきだと言われてきたが、しがみついてきた。国民がこの勝利を喜んでくれるだろう」。8年ぶりの復活優勝に、表彰台の上で泣き崩れていた。
(2012年8月7日 朝日新聞デジタルサンチェス、復活の金 陸上に「しがみついてきた」と涙』より)

サンチェスは8月30日に35歳を迎えるが、その直前の34歳342日目に五輪優勝を果たし、同種目の最年長メダリスト記録を104年ぶりに約1歳更新したとのこと(by産経ニュース)。
約13年前の22歳の時、99年セビリア世陸(49.67秒で予落)で世界大会デビューを果たし、同年に48.60秒をマークしている。
翌年、為末大氏の世界大会デビューとなったシドニー五輪では準決勝敗退(SB:48.47秒)するも、01年のエドモントン世陸では47.49秒の好記録で見事に優勝を果たしている(同レースで為末氏が初の銅メダルを獲得)。
以降、03年パリ世陸で47.25秒(PB)をマークして優勝するなど、04年アテネ五輪ドミニカ共和国初の金メダルを獲得するまで36連勝(予選と準決勝を含めると43連勝)し、自他共に認める“(ドミニカン)スーパーマン”(by TBS)となった。
しかし、アテネ五輪直後のゴールデンリーグ(ブリュッセル)のレース中にハムストリングを負傷し途中棄権すると、翌年のヘルシンキ世陸でも決勝のスタート直後に同じ部位を痛めて途中棄権(同レースで為末氏が2度目の銅メダル獲得)。
以降の世界大会では、07年大阪世陸で銅メダル(48.01秒)を獲得するものの、08年北京五輪では予選落ち(SB:51.10秒)、09年ベルリン世陸では8位(SB:48.34秒)、11年の大邱世陸で4位(48.87秒)など、ここ数年は持ち味の“前半型”を封印した自重気味のレースで47秒台と表彰台を逃し続けていた。
今回は、これまでの鬱憤を晴らすかのように往年の“前半型”を復活させたが、奇しくもアテネ五輪と同記録(47.63秒)でのフィニッシュとなった。
アテネ五輪から8年。
この時間が、彼にとって長かったのか短かったのかは知る由もないが、この間に経験したであろう様々な人生の契機をへてもなお400mHに「しがみついてきたハードラー」の想いは、決勝レースのパフォーマンスとこの表彰式に集約されている。

短距離種目はそれぞれのレーンを走るから、他の選手と体はぶつからない。それでも、戦う相手は時計ではなく人間だ。「対人競技」と言ってもいい。同じ組で走る選手のリズムに影響されて自分のリズムを崩されれば負けだ。
特に400メートル障害は短距離種目ながら、走り幅跳びの助走を10回繰り返すような側面もあり、非常に微妙だ。同走している相手との間合いを測り損ねて前半で少し狂うと、終盤に大きく影響する。(…)
世界のトップクラスは停滞しており、日本選手が再び決勝の舞台に立つ可能性はある。もっと海外で“出げいこ”を重ねて外国選手と走る経験を積むことが大事だ。悲観することはない。
(2009年8月20日 朝日新聞『短距離だって対人競技(山崎一彦の目)』より抜粋)

大切なことなので何度でも繰り返すが、「対人競技」としての400mHにとって最も重要なトレーニングは、「自分よりも速い選手と(レースで)競走する」ことに尽きる。
高い緊張感のなかで、内側の選手に追い立てられたり、外側の選手にあっという間に置いて行かれる、という経験を積み重ねることでしか得られない「心技体」がある。
今回、全米チャンピオンとして初の世界大会に臨んだティンスリー、毎回優勝候補にあげられながらもあと一歩のところでそれを逃し続けているクルソン、テイラー以下の表彰台に上がれなかった選手達、初の五輪代表として挑み予選敗退した日本の3選手、そしてこの3選手に五輪の舞台に立つことを阻まれた他の日本人選手達…彼らはそれぞれに質の異なる「壁」にぶつかったと思われる。
しかし、どの「壁」を突き破るにしても、それにぶち当たった「痛み」に真正面から向き合いつつ、世界で戦いたいという本物の気持ちで「しがみつき」ながらトレーニングを継続する以外に道がないことだけは確かだろう。
世界のファイナリストを志す多くの日本人400mH選手の今後に期待したい。