逆転無罪!
本ブログ史上、最長のインターバルを空けてしまった(なんと18日…)。
もはや「日記」というタイトルは、完全に形骸化している(前からだけど…)。
400mHのインターバルを13歩でいく予定が(いけないけど…)、19歩かかってしまった気分である(さすがになかったけど…)。
前回エントリーのつづきも書かねばならないが、こちらはしばしお待ちを(待ってないか…)。
さて本日(正確に言うと昨日)、嬉しいニュースが飛び込んできた。
『つめ切り傷害 上田看護師「ケア続けたい」 逆転無罪で』
「これで安心し看護師を続けられる」。北九州市の北九州八幡東病院を舞台にした「つめ切り」事件で16日、福岡高裁が元看護課長、上田里美被告(44)に言い渡したのは逆転無罪判決だった。突然の逮捕から3年2カ月。待ち望んだ願い通りの判決に、上田看護師は目を潤ませ、法廷は支援者の拍手で沸いた。【西嶋正法】
午前10時半、オレンジ色のスーツ姿の上田看護師が入廷。一般傍聴席82席に対し、傍聴希望者は141人。事件への関心の高さをうかがわせた。
「1審判決を破棄し無罪とする」。陶山博生裁判長が判決を言い渡した瞬間、法廷は拍手に沸き返り、上田看護師は深々と一礼。目を赤くはらし、時折ハンカチを顔にあてながら、判決に聴き入った。
判決後、福岡市中央区のホテルであった報告集会には看護関係者ら約50人が参加。上田看護師はハンカチで目頭を押さえながら「逮捕から3年2カ月。長かったが、やっと無罪が証明されてほっとしている」と話した。
法廷では1審(有罪)での光景が脳裏をよぎり「怖くてたまらなかったけど、無罪は言葉にならないくらいうれしかった」と言い「家族やみんなの支えの力はすごいものだった」と述べた。
07年7月2日の早朝だった。自宅を訪れた警察官がいきなり署に連行し、そのまま逮捕された。「何で私が?」。何が何だか分からなかった。「看護師としてでなく、人として話してください」「出血イコール傷害ですよ」。厳しい取り調べが連日続いた。
無罪を信じ続けてくれたのは、当時高校1年の長男と、中学2年の長女だった。「警察はうそばっかりやけん、気にしたらいかんよ」。弁護士を介して受け取った手紙に何度も励まされ、涙が止まらなかった。それでも時折、心が折れそうになった。救ってくれたのが逮捕から2カ月後に接見に訪れた弁護士の一言だった。「看護師として話していいんですよ」。法廷で全面的に争おうと覚悟を決め、以来3年間、「潔白を示そう」との思いを胸に裁判に臨んだ。1審の有罪判決(昨年3月)にも信念が揺らぐことはなかった。
看護師を志したのは中学1年生の時。姉が負傷し搬送された救急病院の看護師は優しかった。あこがれの職業になった。20歳で念願通りに看護師になり、以来二十数年間、この道一筋で生きてきた。しかし、突然の逮捕後に、懲戒解雇され、生活は一変した。
07年の保釈後、別の職への就職を考えたが、子どもたちは口をそろえた。「お母さんから看護師を取ったら何も残らんやん」。我に返り「自分には看護しかない」と痛感した。
小児科クリニックで働くようになって2年。患者と接する日々にあって、改めて心に誓った。「患者さんのそばで過ごすのが何より大好き。これからも看護ケアを続けていきたい」
◇上田看護師 涙浮かべ「長かった」
判決後、福岡市中央区のホテルで報告集会があり、看護関係者ら約50人が参加。上田看護師は「ありがとう」と言って一人一人と握手を交わした。
上田看護師は「逮捕から3年2カ月。長かったが、やっと無罪が証明されてホッとしている」と目に涙を浮かべながら話した。
◇「なぜ無罪か」被害者側の次男
被害者とされた女性(当時89歳)の次男(63)は無罪判決に「なぜ無罪なのか分からない。つめを切る際には家族や医師の許可を取る仕組みを作らないと、また同じような事が起きる」と話した。
(2010年9月16日 毎日新聞)
陶山裁判長は、「正当な看護行為であり、傷害罪は成立しない。捜査段階の自白は、捜査官による誘導の疑いが残る」として無罪を言い渡したとのこと。
上田被告の供述調書は「爪切り自体に楽しみを覚えていた」となっていたが、公判では「適正なケアだった」として無罪を主張。
1審判決は、被告の行為を専用のニッパーを用いた「爪切り」と認定。「出血などを生じても、看護行為ならば傷害罪は成立しない」と指摘したが、自白調書は信用し、動機の問題から看護行為とは言えないとして有罪と判断。
陶山裁判長は、「(自白調書について)『剥離』や『剥いだ』という、被告の行為と合わない表現が多用されており、警察や検察による供述の押しつけや誘導があったと疑わざるを得ない」と指摘し、動機を含む自白調書全体の信用性を否定したようだ。
一方、深く爪を切って皮膚の一部を露出させて無防備な状態にした行為は、傷害罪の構成要件には該当すると判断。しかし、シーツに引っかかってはがれるなどの危険がある爪を除去することは「必要性のある看護行為で、手段も相当だった」と認定した。
2年以上前に、上記事件に関連して書いたエントリー(抜粋)を再録する。
日本看護協会が、事件現場の看護仲間や病院関係者から情報を収集してこの事件を調査した結果、この看護師が行った行為は虐待ではなく、お年寄りなどに多く見られる白癬菌などによる「肥厚爪」を整えて清潔に保つという看護実践から得られたケアの一貫だったというのである。
彼女の行為を見た「肥厚爪」の知識のない病院スタッフが内部告発し、病院側が慌てて拙速な謝罪会見を行ったというわけである。(…)
そして、「つめはがし」「老人虐待」「看護ノイローゼ」といった言葉が一人歩きする。
一人歩きと言っても、最初に歩かせるのはメディアである。
確かに、つめははがされ、脱線事故は起こり、食品表示は偽装された。しかし、それらは唐突に、不義の人々によって、悪を行うために引き起こされたという単純な問題ではないだろう。(…)
この看護師の行為の妥当性や正当性は、第三者にはわからないし、仮に判決が出たとしてもわからないままだろう。にもかかわらず、メディアは、さしたる取材もないままに極悪非道の虐待看護師という「物語」を作り上げてしまった。
「正義」というものの危うさを象徴する顛末である。(…)
この記者は、本当に「正義」のために病院を指弾したのだろうか。あるいはもっとべつの、自らの欲望の赴くところにたまたま正義が転がっていたというのは言い過ぎだろうか。
人間とは、誰も自身の欲望と無縁ではいられないだろうし、同時にこの欲望それ自体は、正義や悪とは無関係の次元に存在する。
彼らに足りないのは、自分が逆の立場にあったとき、果たしてどのような状況に陥る可能性(危険性)があるのかということへのイマジネーションである。
(2008年6月3日 拙稿「メディアの暴走」より抜粋)
最近の公判結果を概観する限り、自白調書の信頼性はかなり薄らいでいるという印象をもつ。
考えたくはないが、我々の想像以上に検察・警察の横暴?が蔓延っているということなのだろうか。
「陸山会(代表・小沢一郎氏)」の政治資金規正法違反事件で、虚偽記載の罪に問われている石川知裕被告が、東京地裁で始まる公判で「故意に虚偽記載したのではない」として犯意を否定する方針のようである。
これは、実質的な無罪主張とみてよい。
同じく起訴された大久保隆規被告も無罪を主張する方針で、公判では被告側と検察側が真っ向対立になりそうだ。
先のエントリーで引いた新恭氏の『あらためてこの事件の事実を正確に知らせる番組をつくることが、テレビメディアの信頼を高めるうえでも大切なことであろう。決して、自らの間違いを正すことを恥と考えてはならない』という言葉を、メディアのみならず検察・警察「権力」にも贈りたい。
「権力」は、その使い方を誤ると直ちに「暴力」になる。