第94回日本陸上競技選手権

moriyasu11232010-06-08

4日(金)から6日(日)まで、日本陸連科学委委員会の活動のため、第94回日本陸上競技選手権大会に出張。
今大会は、香川県丸亀市での開催。
とっても立派なスタジアム(香川県立丸亀競技場)である。
昼食は連日、会場ブースでの「讃岐うどん(&ジャワティーグリーン)」。
職場の仕事でお世話になっている香川大学Y先生は、「1日1回は(うどんを)食べないと体調がよろしくない」とおっしゃっていた。
タクシーの運転手さんに「やっぱり毎日(うどんを)召し上がるんですか?」と尋ねると「自分でも打ちますけど…そんなに食べたら胃ぃ〜もたれますわ(週2回程度)」とのこと。
やはり讃岐っ子にもバリエーションがあるが、皆さん「うどん好き」なのは間違いなさそうである。
今回の日本選手権は、五輪や世界陸上が開催されない狭間の年にあたるが、日本オリンピック委員会JOC)の派遣となる第16回アジア競技大会(11月12日〜27日まで中国・広州にて開催)選考会であり、来年の世界陸上大邱)を占うという意味でも重要な大会であることに変わりはない。
関わりのあるハードルおよび中距離ブロックの優勝者は以下のとおり(その他の結果はコチラ)。

男子110mH 田野中輔(富士通) 13.58
男子400mH 成迫健児(ミズノ) 49.01
女子100mH 寺田明日香北海道ハイテクAC) 13.32
女子400mH 久保倉里美新潟アルビレックスRC) 55.83
・ ・ ・
男子800m 横田真人富士通) 1:47.25
男子1500m 村上康則(富士通) 3:45.76
女子800m 岸川朱里(STCI) 2:05.22
女子1500m 吉川美香パナソニック) 4:18.68

世界大会の狭間ということもあってニューフェイスの台頭も望まれたが、概観すると(年齢はさておき)ベテラン?が順当勝ちしている種目が多い。
やはり「強い」選手が勝つのが「日本選手権」ということだろうか。
2006年大阪インターハイの100mで埼玉アベック優勝を果たした後藤乃毅選手(今大会100m7位)と高橋萌木子選手(100m2位、200m優勝)も気がつけば大学最終学年…こちらも歳をとるわけである。
ちなみにこの二人、埼玉県立春日部高等学校(後藤選手)と三郷市立早稲田中学校(高橋選手)の後輩でもある(プチ自慢)。
また、同じく大阪インターハイの女子400mを制した「博多のチサト」こと田中千智選手(福岡大)が、同種目のエース千葉麻美選手(ナチュリル)を抑えて初優勝に輝いた(おめでとう!)。
「偶然を呼ぶのは必然で,必然を呼ぶのが偶然(by陸連ハードル部長)」

セレンディピティのもつ偶然性とは何かというと、「偶然の去来」や「偶然の出入り」が重要なのである。誰にだっていくつもの偶然が多発しているけれど、そのうちの何かと何かの組み合わせが重なって励起したときに、発見や創造に結びつく。そこに、それまで積み重ねて試みられていながらも突破できなかった何かか起爆する。それは決してたんなる偶然の重なりではなくて、すでにスタートを切っていた思索や予想の重なりであって、(…)「編集的縫合性」とでもいうものの突発であり、「編集的創発」の滲み出しなのである。それがセレンディピティなのだ。
だからこれは偶発それ自体なのではない。セレンディピティは「やってくる偶然」と「迎えにいく偶然」とがうまく出会ったときにおこっているというべきなのである。
「やってくる偶然」は自分では律していない。(…)一方、「迎えにいく偶然」には自分の意図や意思がいる。意図や意思の持続がいる。意図をもって偶然を迎えにいかなければならず、それゆえこれはふだんから準備していなければならない。
(2009年6月22日 松岡正剛の千夜千冊「セレンディピティの探求」より抜粋)

女子400mHは、先の上海ダイアモンドリーグでセカンドベスト(55.61秒)をマークした久保倉選手が貫録を見せたが、「IgA腎症」という難病と向き合いながら競技を続けている澤田実希選手(福岡大)も、昨年の新潟国体でマークした自己記録(58.38秒)をさらに更新(57.57秒)して5位に入賞。
IgA腎症は、病因や機序の詳細が「不明」とされており、厚労省が実施する難治性疾患克服研究事業の臨床調査研究分野の対象に指定された「特定疾患」に該当する。
国内の指針において、腎機能の悪化につながる可能性のある「激しい運動」は控えるべきとされている「難病」であり、週1回のメディカルチェックを欠かせない澤田選手にとっては、競技を継続すること、否、走るという行為そのものに様々な配慮が必要となることは言を俟たない。

信じて挑んだら必ず勝てるなんて事はありません。それでも勝つのはたった一人です。だけれども、自分が諦めなかった事を自分自身で知っている人は、そこに大きなものを得るわけです。
彼女の場合、見事に復活を果たしましたが、もし復活していなくても私は自身の中に芽生えたものは変わらないと思っています。彼女はできると信じて挑んだ。それがとても大きいと思います。青臭いですが、それこそ人生じゃないかと思うわけです。(…)
スポーツは理不尽の連続です。憧れ欲しても、自らの体の作りだけは変えられません。負けたのはそういう体に生まれたから。そう突きつけられ続けながらやるようなものです。
不公平だよねと諦める人もいます。しかし、そこで他人との比較でなく、自分の可能性を掘り尽くそうと転換する人もいます。理不尽を受け入れ、自分の人生を懸命に生きる。道の極みとは、まさしく自身しか歩けない道の極みではないかと思うわけです。
道を往くアスリートが持つべき大事な何かを、彼女のこの事柄の中に見る思いがしました。
(2009年12月17日 為末大オフィシャルサイト「感動しまして」より抜粋)

「みずから」は目的的必然性であり、「おのずから」は因果的必然性である(by九鬼周造)。

偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選

偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選

ニイチェの『ツァラトゥストラ』のなかにこういう話があります。ツァラトゥストラがある日、大きい橋を渡っていたところが、片輪だの乞食だのがとりまいて来た。そのなかにひとりせむしがいてツァラトゥストラに向って、だいぶ大勢の人があなたの教えを信じるようになってきたが、まだ皆とは行かない。それには一つ大切なことがある。それは先ず私共のような片輪までも説きふせなくてはだめだといったのです。
それに対してツァラトゥストラは「意志が救いをもたらす」ということを教えたのです。せむしに生まれついたのは運命であるが意志がその運命から救い出すのです。「せむしに生れることを自分は欲する」という形で「意志が引き返して意志する」ということが自らを救う道であることを教えたのです。
このツァラトゥストラの教えは偶然なり運命なりにいわば活を入れる秘訣です。人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それは人生の第一歩でなければならないと私は考えるのです。
(by九鬼周造氏)

「道を往くアスリートが持つべき大事な何か(by為末大)」とは、「意志が引き返して意志する(by九鬼周造)」ということなのかもしれない。
来年の日本選手権は、地元である埼玉県熊谷市熊谷スポーツ文化公園)での開催を予定している。
高校時代の恩師ほか、公私にわたってお世話になっている先生方が視察に訪れていたので、あちらこちらでペコペコとご挨拶。
ハンマー投げの80m超えを想定して競技場のサークルを作り直すなど、様々な準備を進めなければならないようである。
日本陸連都道府県陸協のスタッフ、ボランティアの高校生やメディアの方々らが交錯するエリアに出入りしながら仕事をしていると、ひとつの大会がいかに多くの関係者の尽力によって成り立っているかを改めて思い知らされる。
選手および関係者の皆様、大変お疲れ様でした。
来年もよろしくお願いいたします。