400mハードルの系譜(その1)

moriyasu11232012-06-21

6月8日〜10日の日程で行われた第96回日本陸上競技選手権兼ロンドン五輪代表選考競技会]は、初日こそ降雨と低温の厳しい条件になったものの、2日目以降は天候にも恵まれ、3日間で62,000人の観客動員を記録した。
決勝進出者8名中7名がA標準記録突破者という大混戦の男子400mHは、昨年の日本選手権者で世界陸上テグ大会の準決勝に進出している岸本鷹幸選手が、今季世界ランキング3位(6月21日現在)の記録をマークして連覇を達成した。

「ホッとしています。レースプランは静岡国際、(ゴールデングランプリ)川崎のようにいければと考えていたので、予定通りいけたんじゃないかと思います。プレッシャーは特に感じない性格なので、自分のやることをしっかりやるだけでした。ひとまず、代表権を勝ち取ることだけを考えていました。
(走っていて)今までになかった後半の感覚がありました。今までは頑張って進む感じだったんですけど、体重を乗せるだけで勝手に身体が進んでいくという感覚です。おそらく、日本選手権への意気込みだと思いますけど、気持ちの面が大きかったと思います。とにかく、やってやるっていう感じでした。
こうやって代表権を勝ち取ることができて、まずは身体をくれた両親に感謝したいなと思います。五輪は初出場なので、予選から準決勝にしっかり駒を進めることを意識してやりたいと思います」
(2012年6月9日 スポーツナビ岸本、400mHで五輪内定「気持ちの面が大きかった」』より抜粋)

女子400mHは、北京五輪で準決勝に進出している久保倉里美選手新潟アルビレックスRC)が大会6連覇を果たした。

「勝ててホッとしているのが正直なところです。チームのみなさんに感謝したいです。決勝のレースは自分の中でいいレースだったかというと、決してそうではないです。前半しっかり流れをつかむところが、今日の課題だったんですけど、なかなかうまくいきませんでした。ラストの勝負になればたぶん大丈夫だっていう準備はできていたんですけど、前半のところでいい流れをつかみきれなかったので、そこは課題だと思います。
北京五輪で準決勝に行ったときから、もう一回ここ(五輪)で勝負したいという気持ちが強くて、そのためにどうすればいいかを4年間練習してきました。本番では準決勝でどれだけ自分の力を試せるかを念頭に置いて、今回の日本選手権もそうですけど、課題が見つかった部分があるので、残り数カ月しかないけどじっくり練習したいなと思います。
五輪は自分だけの夢じゃないので、いろんな人の夢を乗せて私は走らせてもらっています。私が一番いいレースをすることが、一番の恩返しになると思うので、感謝の気持ちを込めて、これから一日一日を大切にしてやっていきたいと思います」
(2012年6月10日 スポーツナビ久保倉「勝ててホッとしている」女子400mHで五輪切符』より抜粋)

決勝結果および11日の理事会において正式決定された五輪代表は以下の通り。

<男子>
1 岸本 鷹幸(法政大) 48.41(五輪代表)
2 中村 明彦(中京大) 49.38(五輪代表)
3 舘野 哲也(中央大) 49.49(五輪代表)
4 今関 雄太(渋谷幕張高教) 49.50
5 安部 孝駿(中京大) 49.57
6 野澤 啓佑(早稲田大) 49.96
7 小西 勇太(立命館大) 50.80
8 記野 友晴(福岡大) 51.81
<女子>
1 久保倉 里美(新潟アルビレックスRC) 55.98(五輪代表)
2 米田 知美(中央大) 56.62
3 三木 汐莉(東大阪大) 57.15
4 青木 沙弥佳(東邦銀行) 57.15
5 芝田 陽香(龍谷大) 57.68
6 吉良 愛美(中央大) 58.14
7 松田 絵梨(筑波大) 58.23
8 田子 雅(J.VIC) 1:26.02

決勝を走った男子8名中7名、女子8名中5名が大学生という若手の台頭を印象づけたこの大会で、長年にわたって日本の400mHを牽引してきたハードラーが引退を表明した。

為末は予選2組に登場したが、最初のハードルを引っ掛けて転倒。立ち上がって完走はしたものの、57秒64で予選落ちとなった。4度目の五輪出場の夢はかなわず、選手生活にピリオドを打った。(…)
「五輪を目指して4年間やってきたので、最後にこういう結果になって、とても悔しい気持ちはある。一言で言って、気が済んだと。精いっぱい1年間、やるだけやってきて、やっぱり難しかったところや痛みが引かなかったり、いろいろあったんですけど、今の自分の体がこのぐらいなんだなというのが、はっきりしたので仕方ないなという気持ちでいます。レースを終えて、すごくすっきりした気持ちが自分の中にあります。
区切りをつけたいっていう思いはありました。アスリートとして最後まで全力で走りたいと思っていたので、ハードルにぶつけて情けないレースにはなりましたけど、自分なりに納得いくレースだったと思います。
(若手には)特にどんなアドバイスをできるか分からないけど、本当に頑張ってほしいし、楽しんでほしいです。人生を振り返った時、こんなに輝いている時期はアスリートのピークの本当に短い間しかないので、その輝いている時間を精いっぱい楽しんで、自分の実力を出すことに夢中になってほしいと思います」
(2012年6月8日 スポーツナビ為末「すごくすっきりした気持ち」予選落ちで引退へ』より抜粋)

為末氏は、2008年の北京五輪後に引退を示唆するも、その1ヶ月後に現役続行を宣言する。

カール・ルイスのようになりたいと思ってこれまで走り続けてきました。競技場が注目する中で颯爽と勝利をかっさらっていく。そういう存在になりたいと思い続けてきました。9歳の頃からです。(…)
初めて走った100mは15秒でした。もうハードル付きで400m走っても、100mは12秒程度しかかかりません。ウェアもスパイクも、スポンサーに提供していただけるようになりました。走る事で対価をいただけるようにもなりました。
昔、夢に描いていた事もほとんど実現できました。日本一になる、オリンピックに出場する、世間に認知される選手になる。自分でも幸せな競技人生だと思います。(…)
いろんな人に巡り合わせていただけて、いろんなチャンスをもらって、こんなに人生を開かせてもらったのは、本当にハードルを跳んでいたおかげだなと感謝しても仕切れません。もう十分じゃないかなとも思います。(…)
選手としてではなくコーチとして言わせてもらうなら、ここが引き際です。
オリンピックが終わってから、いろんな所に行きました。万里の長城を登っていく時に、肩の位置が前に行き過ぎているような気がしました。もっと真横で上下に振ったらどうなんだろうと、腕を振りながら万里の長城を登っていきました。
マチュピチュまでの道のりで、階段を上がる時に膝が後ろに残っているような気がしました。前に少し動かしてみると、上がりやすいうえに、内転筋に力が入りやすいような気がします。次の日、高山病と内転筋の筋肉痛に見舞われました。
離れられないのです。何をしていても頭がそれでいっぱいになってしまいます。すがすがしいなんてとんでもない。できる事なら、もう一度今年の3月に戻ってやり直したいと思っています。それにそこからならメダルが取れたはずだと自分で信じきっています。もっと力が出るのではないか。痛いってことは足が付いている証拠じゃないか。世界のいろんなところを回っていながら、ずっとウサイン・ボルトがなぜ速いのかを考えていました。
私はカール・ルイスにはなれませんでした。才能の大方の部分は出し尽くしました。スポーツで日本中の、世界中のスターになりたいと思い続けてきましたが、もうそんなポテンシャルは残っていません。
足は痛むし、練習もそんなにできない。若い選手にも追い抜かれていく事でしょう。せっかくもらったネームバリューというものも無くしていってしまうでしょう。
でももうそんな事どうでもいいんです。もともと後からもらったものですから、それは返せばいい。そんな事より、早く冬の練習に入って、腕の位置を横に直して、膝を前にしたい。痛みをコントロールするやり方を試したい。何より今すぐ走りたい。もしかしたら、前より速くなれるかもしれないのだから。
“勝つ為末”が好きだった方には申し訳ないですが、これからは度々負けるかもしれません。いえ、全然勝てなくなるかもしれません。それどころかすぐ壊れてしまって試合に出られない事も多くなるでしょう。それでも応援してくださる方、これからもよろしくお願いします。勝てなくてもいけるところまでいってみせます。
未だアキレス腱も膝も腰も痛みますが、痛みと共に生きるというのも一興だと覚悟を決めました。現役を続行します。次に引退を思う時は足が完全に壊れた時です。
(2008年10月1日 為末大オフィシャルサイト『現役』より抜粋)

「強く念じたことは実現する」というのは、巷間よく言われることである。
問題は「強く」の意味である。
「強く」とは、「目を閉じ、眉間にしわを寄せ、身体を震わせながら」ということではなく、ましてや高価な壺や印鑑を買うことでもない。
それは「微に入り細に入り想像する」ということである。
細部を想像するには「具体的なもの」を描き出す必要がある。
アップ場やスタンドの雰囲気や匂い、トラックに手を置いたときの手触り、スタート後に視界に入る他の選手、最後の直線を走っているときのスタンドのどよめき、ゴール後のガッツポーズ…その想像には際限がない。
そして、我が身に「想像と同じこと」が起こったときに「念じたことがかなった」ことを確信するのである。

セレンディピティのもつ偶然性とは何かというと、「偶然の去来」や「偶然の出入り」が重要なのである。誰にだっていくつもの偶然が多発しているけれど、そのうちの何かと何かの組み合わせが重なって励起したときに、発見や創造に結びつく。そこに、それまで積み重ねて試みられていながらも突破できなかった何かが起爆する。それは決してたんなる偶然の重なりではなくて、すでにスタートを切っていた思索や予想の重なりであって、(…)「編集的縫合性」とでもいうものの突発であり、「編集的創発」の滲み出しなのである。それがセレンディピティなのだ。
だからこれは偶発それ自体なのではない。セレンディピティは「やってくる偶然」と「迎えにいく偶然」とがうまく出会ったときにおこっているというべきなのである。
「やってくる偶然」は自分では律していない。(…)一方、「迎えにいく偶然」には自分の意図や意思がいる。意図や意思の持続がいる。意図をもって偶然を迎えにいかなければならず、それゆえこれはふだんから準備していなければならない。
(2009年6月22日 松岡正剛の千夜千冊「セレンディピティの探求」より抜粋)

「想像」したことが「実現」するのではない。
極限まで具体的に「想像」していたからこそ、実現したことが「わかる」のである。
ことの順逆を間違えてはならない。

信じて挑んだら必ず勝てるなんて事はありません。それでも勝つのはたった一人です。だけれども、自分が諦めなかった事を自分自身で知っている人は、そこに大きなものを得るわけです。
彼女の場合、見事に復活を果たしましたが、もし復活していなくても私は自身の中に芽生えたものは変わらないと思っています。彼女はできると信じて挑んだ。それがとても大きいと思います。青臭いですが、それこそ人生じゃないかと思うわけです。(…)
スポーツは理不尽の連続です。憧れ欲しても、自らの体の作りだけは変えられません。負けたのはそういう体に生まれたから。そう突きつけられ続けながらやるようなものです。
不公平だよねと諦める人もいます。しかし、そこで他人との比較でなく、自分の可能性を掘り尽くそうと転換する人もいます。理不尽を受け入れ、自分の人生を懸命に生きる。道の極みとは、まさしく自身しか歩けない道の極みではないかと思うわけです。
道を往くアスリートが持つべき大事な何かを、彼女のこの事柄の中に見る思いがしました。
(2009年12月17日 為末大オフィシャルサイト「感動しまして」より抜粋)

「みずから」は目的的必然性であり、「おのずから」は因果的必然性である(by九鬼周造氏)。

偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選

偶然と驚きの哲学―九鬼哲学入門文選

ツァラトゥストラがある日、大きい橋を渡っていたところが、片輪だの乞食だのがとりまいて来た。そのなかにひとりせむしがいてツァラトゥストラに向って、だいぶ大勢の人があなたの教えを信じるようになってきたが、まだ皆とは行かない。それには一つ大切なことがある。それは先ず私共のような片輪までも説きふせなくてはだめだといったのです。
それに対してツァラトゥストラは「意志が救いをもたらす」ということを教えたのです。せむしに生まれついたのは運命であるが意志がその運命から救い出すのです。「せむしに生れることを自分は欲する」という形で「意志が引き返して意志する」ということが自らを救う道であることを教えたのです。
このツァラトゥストラの教えは偶然なり運命なりにいわば活を入れる秘訣です。人間は自己の運命を愛して運命と一体にならなければいけない。それは人生の第一歩でなければならないと私は考えるのです。
(by九鬼周造氏)

「道を往くアスリートが持つべき大事な何か(by為末氏)」とは、「意志が引き返して意志する(by九鬼周造氏)」ということなのかもしれない。
つづく…