トップアスリートの育て方(その1)

moriyasu11232009-02-22

1月22日、大分県体育協会が主催する「優秀指導者育成研修講座」にて講演。
頂戴したお題は「トップアスリートの育て方」。
自身のコーチングでは失敗経験しかなく、しかも日々グラウンドに立っているわけでもない「タイム職人」が、実績ある指導者の方々に対してこの宇宙のようなタイトルでお話するというのは、ある意味「暴挙」である。
講演中に靴が飛んできてもなんら不思議ではない。
ブッシュのようにうまく避けられるだろうか…と不安にかられつつ大分に赴いたが、事なきを得た(避けられたという意味ではない)。
閑話休題
講演を貫く問題意識は、「そもそもトップアスリートは育成可能か?」というもの。
この問題意識をベースに、以下の5つのサブテーマを掲げてお話させていただく。

  • “パフォーマンス”は“心・技・体”に分けられるのか?
  • “科学的トレーニング”とは何か?
  • スポーツ選手の“タレント”とは何か?
  • なぜ指導者は“学ぶ”必要があるのか?
  • ほんとうに指導者は必要なのか?

まず、「“パフォーマンス”は“心・技・体”に分けられるのか?」。
「トップアスリートの育て方」を考えるためには、トップアスリートの発達過程の観察が不可欠であろう。彼らの取り組みのなかに、トップアスリート育成(は可能か?)の道標が隠されているはずである。
およそ30年前、日本の400mHの10傑平均記録は、世界10傑平均との間に約4秒もの差があった。その後、苅部俊二氏と斎藤嘉彦氏が日本人初の48秒台を達成した1993年に初めて2秒を切り、ここ10年間は1.5〜2秒の範囲に収まっている。
これは、アメリカ、ジャマイカの二大王国につぐものである(たぶん)。
実は海外の指導者も、日本の400mHのレベルの高さには一目置いているのである。
この日本400mHの躍進は、世界陸上のファイナリストである山崎一彦氏と、メダリストである為末大選手を抜きには語れない。
この二人は、世界のファイナルやメダル獲得という目標を掲げ、高いレベルの試行錯誤を積み重ねてきたが、その手がかりのひとつにレース分析のデータがある。
レース分析といっても、データは単なるハードル通過タイムに過ぎない。しかし、そのデータを積み重ねることにより、そしてその読み解きかた如何によっては、うっすらとみえてくるものもある。
まさに「正解のない問い」への挑戦である。

昨今、スポーツやトレーニングに関する数値化された情報(データ)が氾濫しているが、その量的データの裏にある意図や意識、得られた感覚や感触といった質的な「情報化プロセス」については「情報化」されにくいという側面がある。しかし、「情報」の本質というのは、「情報と情報化の階層差」にこそ存在し、科学的データという「情報」も、その「情報化プロセス」と付け合わせてはじめて意味を帯びてくる。そのような情報を、選手が自身の腑に落とそうとするとき、最終的な拠り所となるのは自身の身体感覚(身体知)であるといえる。山崎氏の「実践」は、情報と情報化の階層差を見逃さないための身体感覚の錬磨こそがトレーニングの本質であるということを、無言のうちに教えてくれている。
(拙稿「陸上競技男子400mハードル走における最適レースパターンの創発:一流ハードラーの実践知に関する量的および質的アプローチ」トレーニング科学 第20巻3号より)

我々は、本来「不可分の全体」として成立する「パフォーマンス」を、便宜的に独立した要素、すなわち心理的、技術・戦略的、体力的側面などに分けて考えることによって(科学的な)観察や分析を進めている。しかし、そこで観察された内容は、観察者の「意図」と「方法」に依拠した一面的・断片的な要素に過ぎない(by村木征人氏)。
「分析」とは、ある部分に焦点化するために、他の部分を無視する営みでもある。したがって、一面的・断片的な分析結果は、そのまま直接的にパフォーマンス向上に還元できるものではない。
その間には「不可逆的な関係性」が横たわっている。
しかし我々は、この「不可逆性」を理解しつつも、トレーニングやコーチングに限らず、日常生活、仕事、恋愛…人間的な営みの全てにおいて「分析」することから逃れられないし、それが我々の「認識」のベースになっていることもまた事実である。
科学的な「分析」は、パフォーマンス全体をみていない(みようとしていない)という批判を耳にするが、そもそも「分析」とはそういうものである。
研究と現場の「ギャップ」は、あって当然なのである。
重要なことは、その間を架橋するために何が必要かということを問い続けることであり、それが選手個々の、ひいては一般理論としての「トレーニング原理・原則」構築への第一歩となるのである。
というようなことを、二人のレース分析のデータやエピソードを交えてお話しする。
二つ目のテーマは、「“科学的トレーニング”とは何か?」。
こう問われたら、多くの人は「科学的に効果が証明されたトレーニング」とか「科学的な分析・測定、あるいはトレーニング機器を活用したトレーニング」などと答えるだろう。
しかし、様々な分野で「科学」が提示した理論は、まさに「科学」自身によって時々刻々書き換えられている。
例えば乳酸(詳細はコチラ
また、最近スプリント(高強度)トレーニングが持久系能力を改善するという論文の掲載が後を絶たない。これにより、短時間高強度トレーニングの効率のよさが再び見直されている。
さらに、我々の研究室では、高強度トレーニングとコンディショニングを中心とする試合期に、無気的および有気的能力いずれも向上したという中距離選手の事例もある(もちろん試合でも走れている)。これは、「無気的能力と有気的能力のトレードオフ」といった「教科書的・科学的常識」を疑うきっかけになる知見である。
以上のような研究成果をベースに、トレーニングイメージの転換をお勧めする。
・ 乳酸に「耐える(耐乳酸)」というイメージから → 乳酸を出して使う(使乳酸)イメージの追求へ(速く楽に走る)
・ レース後半での速度低下(疲労)に「耐える」から → レース前半の効率(技術)改善による速度維持、疲労の出現ポイントの先送りへ
・ 低強度トレーニングによる持久力づくり(維持)から → 高強度トレーニングとの効果的な組み合わせ、心技体の相補的トレーニングの追求へ
・ 走行距離やタイムを目安にするという発想から → レースペース付近を中心とした効率の良い動きや感覚(努力感など)と重視へ
蛇足であるが、東アフリカの長距離ランナーに関する研究成果などをもとに、「スポーツ栄養学的常識」を疑う必要性についても触れた(昨年12月17日に関連)。
いずれにせよ、心技体の総体(すなわちパフォーマンス)に対して「同時」に「最大限」の効果をもたらすトレーニングの探求を「科学的トレーニング」と呼びたいと力説する。
三つ目のテーマは、「スポーツ選手の“タレント”とは何か?」。
参加者の中心がジュニア選手の指導者ということもあったので、昨今流行の「タレント発掘事業」などの問題点について指摘しつつ、長期にわたってスポーツ活動を継続させていくために必要な視座についての私見を述べる。
日体協で行った「動きのコツ獲得」に関する研究結果によれば、スポーツ種目を問わず、トップレベルの選手達がさらにパフォーマンスを高めるときには、必ず「新しい動きのコツ」を獲得している。
言い換えれば、トップレベルの選手といえども、というよりトップレベルの選手であればこそ「新しい動きのコツ」が獲得できなければパフォーマンスは向上しないということになる。
スポーツに限らず、その道の熟練者になるためには、10年以上継続して1万時間を超える科学的・合理的な質の高いトレーニングが必要であるといわれている。
そのためには、人間に行動を起こさせ、その行動を持続しながら一定の方向に向かわせることが必須となる。
すなわち、最大のスポーツ適性は「高い動機づけ」ということができる。
この「動機づけ」は、大きく二つに分けられる。
一つは、外的な「報酬(目標)」により行動意欲が引き出される「外発的動機づけ」であり、もう一つは、行動それ自体が「報酬(目標)」となり意欲を引き出すよう働く「内発的動機づけ」である。
人がスポーツ活動に向かい、自身のパフォーマンスを高めることに傾注するために「外発的動機づけ」が重要な役割を担うことは疑うべくもない。しかし、様々な報酬によって動機づけられた人間は、報酬が受け取れなくなると活動それ自体への意欲を失うことや、報酬が内発的動機づけを失わせること(アンダーマイニング現象)などは、多くの心理学的研究でも指摘されているところである。

挫折にしろ、技術的な伸び止まりにしろ、燃え尽き症候群にしろ、とにかく早い段階でいろんな事を経験し、免疫をつけていく。最後はグラウンドに一人で立つわけですから、こういったフィロソフィーがどれだけ成熟しているかが重要ではないでしょうか。(…)
(この場合)本人の動機にかなり影響されますが、それも才能の一部ですし、もしそのまま動機をもてる選手であれば最後まで貫けるはずです。(…)
結局いったい何が私を支えてきたんだということを(…)考えてきましたが、どうも「技術」の世界ではないのかなと思いました。革新的な技術、いろんな人の真似をしながらこれまで競技を続けてきましたが、流行はみんな去ってしまいました。唯一のこるのはメッキが全部はがれたコアの部分だけです。(…)重要なのはこのコアに向かう動機。これが純粋で濁りがない選手ほど生き残っています。
為末大「400mハードルのトレーニング戦略」スプリント研究 第18巻より抜粋)

多くの心理学的研究を引くまでもなく、人は多くの欲望や関心が総合的に関わり合って「動機づけ」られており、「外発・内発」という二分法でクリアカットできるほど事は単純ではない。
しかし、究極的には、スポーツ活動それ自体が報酬となり内発的に動機づけられていくこと、すなわち自ら工夫し、新しいことや困難なことに全力で挑戦し、自らのパフォーマンスをより高めていくという「遊び」としてのスポーツの楽しさを味わう喜びに向かわせることが、子どもや愛好家のみならず、トップアスリート育成にとっても極めて重要なテーマであることは言を俟たない。
というようなことを、発達心理学の知見やトップアスリートの生育歴などをもとにお話しする。
一度に書ききれないのでつづく…(すみません)