子どもの身体活動量2

moriyasu11232008-06-17

前回の勢い余って、今度は2006年度報告によせたあとがきまで再録しちゃう(前回は2007年度報告)。
要するに書き下ろしている暇がないのである(忙しいわけではないと強がっておく)。

本プロジェクト研究は、子どもたちにとって1日に必要な最低限の身体活動・運動(以下、運動)の時間や強度についてのガイドラインを提示しようとするものである。この種のガイドラインは諸外国においても示されており、「運動(量)不足」はいまや世界共通(特に先進諸国)の問題であることが窺える。
子どもに限らず、我々に必要とされる運動量は、少しずつ増えているのが現況のようだ。
毛沢東は、名著「体育の研究(1917)」のなかで「1日30分の運動を、うまずたゆまず続けるのがよい」と提言しているが、当時とくらべて体を動かす機会や必要性が激減している以上、時間が増えるのはやむを得ないところであろう。これは、現代人の体力低下ともリンクする極めて重要なテーマであるといえるが、これを突き詰めれば突き詰めるほど、我々は単一の専門領域研究では解決がつかない問題であることを意識せざるを得ない。
たとえば、「子どもの運動量はなぜ減るのか?」という問題意識に忠実になればなるほど、我々は学際的にならざるを得ない。なぜなら、「運動量の減少」という事象は、それがもたらす生理的・生化学的な適応と健康との関わりのみならず、運動から遠ざかる人間の心理や、運動を遠ざけている社会環境およびシステムを抜きにして考えることはできないからである。さらにいえば、「運動量の減少」が人間存在になにをもたらすのかについての人類学的または思想的考察も不可避である。
この種の問題意識が、既存の学問領域のひとつの分野に過不足なく収まるケースはきわめて稀である。
日本体育協会では、約50年もの長きにわたりスポーツ医・科学研究事業を進めてきており、これまでに扱った研究テーマは、人文科学、自然科学、複合領域的なものも含めて250を超える。以前は、同じ専門領域の研究者を集めて、作業を分担しながら成果物(すなわち研究報告書)を作成するという、いわゆる「専門的共同研究」が主であったが、最近は、異なる専門領域の研究者が参画し、あるテーマについて多方面から調査し、議論するという「学際的共同研究」も増えつつある。
この研究手法は、有効な研究スタイルとして広く行なわれており、大学内や科研費による共同研究などは、このスタイルをとるものが多い。成功すれば大きな成果を生むことも立証されていると言ってよい。
しかしながら、この学際的共同研究にもいくつかの難点がある。ひとつは、単に様々な領域の研究者が集まってきて、お互いの意見を述べるだけという結果になることである。いまひとつは、各メンバーの論文が、なんの相互連関もなく並んでいるだけのものが報告書として出版されることである。その企画から何が新たに発見されたのか、それはどのような意味で「学際的」かつ「領域横断的」な新知見なのかが判然としないのである。
繰り返しになるが、本プロジェクトの目的は、「中等度強度の運動を1日60分程度」という諸外国のガイドラインの妥当性について、様々な角度から検討し、その理論的根拠を示すということにある。しかし、仮にこの「60分」が、何らかの評価基準に照らして「妥当である」と評価できたとして、我々はすぐさまその「60分」をいかにして確保するかという課題に直面する。
運動が「必要」という考え方は「強制」を生み、運動を「欲求」に任せればよいという考え方は「放任」を生む。この「強制」と「放任」の中庸をもとめること、すなわち今(もちろん将来も含めて)の子どもたちが、どうしたら体を動かすことを厭わなくなり、好きになり、最終的にどうしたらそれが人生の価値になるのかということを問い続けることが必要となるだろう。本研究は、その連綿と続く議論の一里塚的な役割を担うものであると考えている。
本研究では、小児科学、生理学、心理学、体育科教育学など、多様な領域でご活躍中のメンバーに参画いただいている。それぞれの専門領域的議論を羅列的に示すという従来型の学際研究にとどまることなく、メンバー同士が他の分野に踏み込み、お互いの専門的立場を大きく揺さぶりつつ、その壁を取り払うように議論を深めていく「真の」総合的研究を目指していきたいと考えている。
(拙稿「子どもの身体活動・運動に関する総合的研究の重要性」平成18年度日本体育協会スポーツ医・科学研究報告『日本の子どもにおける身体活動・運動の行動目標設定と効果の検証─第1報─』より)

はてさて、どのようにまとめるべきか…