オリジナリティって何よ

moriyasu11232008-01-30

昨年は、至るところで『「乳酸」をキーワードにトレーニングを再考してみませんか?』という提案をした1年だった。
昨年2月に乳酸研究会というのに呼んでもらい、そこで話した内容を膨らませて陸上競技研究という雑誌にレビューを書き、それを杏林書院の新刊「乳酸をどう活かすか」(2月発刊予定・八田秀雄先生編著)用に修正し、それをラクテートプロという血中乳酸測定器を開発しているアークレイ社のサイト向けにリバイスし…ええ、おっしゃるように使い回しですがなにか??
提案というと大げさだが、特に目新しいことを述べたわけではない。
過去(もちろん現在も)多くの人が述べてきたことの「文脈」は変えずに「文体」を少し変えてみただけ。いわゆるオリジナリティーがあるわけでもない(きっぱり)。
だから昨年、運悪く複数回にわたって私と同席したり、関連雑誌などをあまねく読破されている諸兄は、「あいつ、また同じ事いって(書いて)やがる…」と思われたに違いない。
しかし…である。おそらく私の言っているようなことは、半世紀、1世紀、いやそれよりもさらに前の人たちが少なからず言及しているに違いなく、今それに触れることができない以上(書いたものが目の前にない、言っている本人が死んじゃったなど)、誰かがそれを伝えなければならない(おお、話がでかくなってきた)。
かのレヴィ・ストロース(冒頭写真)は、学術性の本質は「もらったものを他人に贈り届けること」すなわち「贈与」であると言ったらしい。
結局、贈り物として世に放ったものを他人が読んで「ほぉ」「へぇ」と感心してくれたり、「えぇ?」「うっそぉ?」と疑ってくれることが、他ならぬ自分自身への「贈り物」として届けられる連環のことを「学術性」と呼ぶのかも知れない(違うかも知れない)。
そう考えると、金や地位や名誉を得たいという自身の欲望に駆動された研究や、著作権だのオリジナリティだのと声高に主張する輩に学術性を感じない、という理由も腑に落ちる。
であるからして、私はいろいろなところで同じことをくり返し述べているのだ(理由になってない)。
今年は「科学的トレーニングって何よ?」というテーマで、全国行脚してみたいなぁ。だれか呼んでください。