15th Anniversary

moriyasu11232009-10-30

高畠俊太郎
高校時代に2ヶ月ほど参加していたバンドのリーダーである。
入学直後の教室の教壇に立ち、突然「誰か楽器できる人いる?バンドやらない?」と叫ぶその勢いに押され、思わず手を挙げてしまう。
「なに?ギター?!よし決まり!」
他にも同じクラスにギター(g)、キーボード(key)、ドラム(ds)が複数いることが判明し、わずか一両日のうちにバンド「100m」が結成される。
当面の目標は、6月に行われる文化祭。
テープ審査を経て、文化祭メイン会場(いわゆる体育館)で演奏できる5つのバンドのひとつに滑り込む。
当日、陸上競技部の出し物である「春高タクシー(リヤカーで作ったタクシーに女子高生を乗せて、東武野田線八木崎駅と学校の間(80m)の送迎をするというもの)」と掛け持ちをしながらこなした演奏が、初期メンバーの最初で最後(かどうかはまだ分からないけど)のライブとなった。
文化祭の後、私を含めた数名のメンバー交代を経て、オリジナル曲で勝負する本格的なロックバンドとして活躍。
3年生時(1987年)には、当時横浜スタジアムで行われていたバンド甲子園(浜スタだけど…)として名高い?「Hot Wave Festival」でグランプリを獲得する(その時の模様はコチラ)。
1994年には、「ULTRA POP」でメジャーデビュー。
その後、入れ替わりの激しい業界で「POINTER」「AUTO PILOT」…と、いつも新たな挑戦のなかで4度ものメジャーデビューを果たす。
轟音サイケギターバンドからアコースティックでの弾き語りまで、縦横無尽に音楽を追求する姿勢は、あらゆる女子高生をターゲット?にしていた高校時代と何ら変わっていない。
常に時代を先を行く音楽。
当時はバンドブーム?で流行バンドがテレビに出ていても「こんなのもう俊太郎がやっとるし…」みたいな感じだった。

'09←'94~debut 15th anniversary best&tribute~

'09←'94~debut 15th anniversary best&tribute~

このベストを聴いて改めて思う。
やっぱりキミは天才だ(間違いない)。
今夏、母校のホームカミングデーに「ジャスフォー(40歳)」学年が招待され、約20年ぶりに彼と再会した。
奇跡的に新旧バンドメンバーもほぼ全員集合。
冒頭写真は、修学旅行の自由行動で大原(三千院)から鞍馬に向かう散歩中のひとコマ(左上が俊太郎、左下が私、右上は木下(g)、右下はサム(key)…ってわしらアホか?)。
みんな、やっぱり見た目は多少?変わってるけど(良くも悪くも)中身はほとんど変わってない。
俊太郎、15周年おめでとう!
実は俺も現職15年目なんよ〜
今度、下北で一杯&一曲やろうぜ!