スポーツを大切にする国とは

moriyasu11232009-10-23

毎日新聞運動部記者の滝口隆司氏が、スポーツネットワークジャパンというサイトに下記のコラムを寄せている。

コペンハーゲン発で共同通信が流してきたのは、カタール・オリンピック委員会の専務理事が20年五輪開催地にドーハが再び立候補することを表明した、という記事だった。(…)
ドーハの再挑戦は、ある程度予想されたことだ。世界の富が集まる中東地域の資金力は、サッカーやF1の世界でも大きな影響力を発揮し始めている。五輪開催にも意欲を見せるのは当然のことだろう。
むしろ驚いたのは、次に流れてきた記事だった。24年五輪の開催にインドのニューデリーが立候補する意志を持っているという話だ。BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)という主要新興4カ国の中で、中国は北京五輪を成功させ、ロシアは14年冬季五輪をソチで開く。そして、今回のリオ。そんな中、インドで五輪というイメージはまだ沸いてこないが、実際には過去2回アジア大会を開き、来年10月には英連邦大会(コモンウェルス・ゲームズ)を開催する。着々と国際競技会の実績を積み、将来は五輪も目指している様子だ。(…)
ロンドンに決まった12年の五輪招致レースではパリ、ニューヨーク、モスクワ、マドリードといった各国の首都クラスが顔を並べ、もはや五輪は世界的大都市でしか開催できなくなったように思われた。いずれも五輪を開催する明確な理念が見えにくい都市であり、今回の東京もこれらの大都市と同じ流れに乗った。いわば、成熟した国がもう一度、五輪開催によって国に活力を取り戻そうというわけだ。だから、東京が掲げた「環境」や「コンパクトな五輪」というテーマは訴える力を欠いた。
新興国の勢いは、世界的大都市の安定した財政や綿密な開催計画を退け、IOC委員の圧倒的支持を得た。開催が決まった直後のコパカバーナビーチの熱狂が、それを象徴している。(…)
何より五輪招致の流れが変わったことを、関係者はすでに気づいているのではないか。
(2009年10月9日 「五輪招致レースの流れは変わった」より抜粋)

BRICs(ブリックス)とは、経済発展が著しいブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字を合わせた4ヶ国の総称である(sは複数形の意)。ゴールドマン・サックスの女性元社員が、投資家向けのレポートで初めて用いて以降、広く使われるようになったらしい。
ちなみに、最後のsを南アフリカ(South Africa)としてBRICS、さらにインドネシアを加えてBRIICS(ブリークスってか?!)と表記することもあるようだ。
先のGS元社員のレポートによれば、21世紀前半にこの4か国の経済が大躍進するらしく、具体的に言うと、2039年には2003年時点のトップ6(アメリカ、日本、ドイツ、フランス、イギリス、イタリア)の国内総生産GDP)の合計を上回り、2050年には中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシアの順になるという試算をしている。
BRICsの最大の「強み」は、その規模の大きである。
国土面積は、ロシアが1位、中国が4位、ブラジルが5位、インドが7位で、世界の国土の約29%を占め、天然資源にも富んでいる。資源としては石炭・鉄鉱石・天然ガスが4カ国に共通しており、原油ボーキサイトなども殆どの国で産出されている。
人口(2000年代初頭)は、中国が1位(約13億人)、インドが2位(約11億人)、ブラジルが5位(約1億7千万人)、ロシアが7位(約1億4千万人)となっており、4カ国合計は27億人以上、世界の人口の約45%を占める。
このような莫大な「資源力」を背景に、先進国に追いつけ追い越せの施策を展開し、今や政治的、経済的、軍事的にも無視できないチカラを備えてきた。
ちょうど、1964年の五輪招致に成功した「彼の国」のように…
10月11日、広島市秋葉忠利市長と長崎市の田上富久市長が、両市が共同して2020年夏季五輪の招致に名乗りを上げることを明らかにして以来、新聞各社は一般記事のみならず社説レベルでもこの問題を扱っている。
記事を斜め読みすると、その内容は概ね以下のようなポイントに絞られる。

<アピールポイント>

  • 世界で2都市しかない被爆地である広島、長崎の両市と五輪の組み合わせは、「スポーツにより平和を推進する」とする五輪憲章の精神にも合致する。その意味では、「なぜ2度目なのか」についてIOC委員から十分な理解を得られなかった東京よりも説得力を持つ。
  • 「核なき世界」を訴えたオバマ米大統領ノーベル平和賞が決まり、核廃絶への関心が高まる中での被爆地への五輪招致は、タイミングも良く十分にアピールできる。

<ウィークポイント>

  • 五輪の開催地は、五輪憲章に基づき「1都市開催」が原則となっており、広島、長崎の共催という形は、極めて異例となる。広島は、1994年にアジア大会を開催しているが、五輪とは規模が違い分散開催の困難も伴う。
  • 東京は招致活動費だけで150億円をつぎこんだ。数千億円単位の開催経費をどのように賄うか(広島市は、2002年のサッカーW杯日韓大会で、財政難を理由に開催地を返上している)。
  • 五輪はあくまでもスポーツの祭典であり、競技施設や宿泊、輸送などのインフラ整備や、きめ細かな運営などが求められる。広島と長崎は「大会開催の能力」という点で不安が多い。
  • 2020年開催を目指すライバルは多く、五大陸で唯一未開催(未決定)のアフリカ大陸からも名乗りを上げる可能性がある。
  • IOCは、1990年代から2000年代初頭にかけて環境や平和への貢献を尊重していたが、近年は08年北京、16年リオデジャネイロのように、五輪を世界に広めることがより重視される傾向にある。
  • 「平和」「核廃絶」の理念だけでIOC委員の支持を得ようという考えは甘い。五輪が政治的に利用されることへの抵抗感も強く、核兵器廃絶の訴えが国際政治と密接だと受け止められれば、逆効果になりかねない。

地元の人々の反応は「被爆の実態を世界に知ってもらう好機…」というものから「被爆地の厳粛な雰囲気にそぐわないのでは…」などなどまちまちのようである。
これは当然の反応といえるだろう。
二人の市長が、どこまで本気でこの「案」を打ち出したのかは分からない。
しかし、東京招致の敗退とオバマ大統領の平和賞受賞にからめて、被爆地である広島と長崎を少なくとも国内にアピールするという目的を達成したことについては、関連の記事の多さをみるまでもなく明らかである(まだ1円も活動費を使ってないし…)。
広島・長崎で五輪を開催することの意義については、九州本部氏ほかの議論に注目していくことにしたい。
閑話休題
昨今「レガシー(遺産)」という言葉が流行のようであるが、ある営みが「遺産」になり得るかどうかは、その時点で判断することができない(する理由もない)。
その営みの「遺産的価値」をリアルタイムに査定できるとすれば、「遺産」という言葉の意味からして語義矛盾が生じる。
南米ペールーにあるマチュピチュ(冒頭写真)は、当時のインカ帝国における「必要」と「欲求」の論理によって建設されたに違いなく、また座付作者であり役者でもあったシェークスピアも「必要」と「欲求」に駆動されて筆を執ったに過ぎなかったはずである。
価値ある「遺産」に相当するかどうかは、後世の「歴史的文脈」によって「事後的に」判断されるよりほかないのである。

私はふるさと特使という命を受けて、広島に五輪の認知を広めていました。(…)ここでもまた、小さな違和感を感じました。
東京東京と叫ぶのはいかがなものか、と県知事が少し苦言を呈します。これは東京のエゴではないかと。
踏み込んで地方心理を探れば、これは東京の五輪なのか、日本の五輪なのか、と迷っている様が見られました。地方には東京と我々という風に分ける心理があります。(…)
45年前の日本は、今よりももっとそれどころでは無かったはずです。それどころではなかったにも関わらず、五輪開催を熱望していた。それは国際社会への復帰を意味し、また日本が先進国入りする事を意味していました。つまりは切実に国民は五輪を欲し、また国全体が希望に満ちあふれていました。
あれから45年、もう一度日本に五輪をと叫んで、落選した今回の原因の背景に、無理して牽引する東京とそれらを冷ややかに眺める地方の温度差が大きかったのではないかと思います。もっと言えば、価値観が多様化し、熱狂するすぐ横で何事も無かったように散歩に興ずるカップルのコントラストのように、裕福になった日本は思い思いの人生を生きるようになりました。一丸となって何かに向かう必要がなくなってしまったのかもしれません。
(2009年10月9日 為末大オフィシャルサイト「五輪誘致」より抜粋)

BRICsの一員であるブラジル(リオデジャネイロ)は、今こそ五輪が「必要」であり、今こそ五輪を開催したいという「欲求」に駆られて招致活動に専心してきたに違いない。
かつての「日本(東京)」が、そうであったように…
衆議院議員白川勝彦氏は、1964年東京五輪のメインスタジアムであった国立霞ヶ丘競技場正面玄関の現況とともに、2008年北京五輪開催前後に「倦まず弛まず」「兵どもが夢の跡!?」というタイトルで2度にわたり東京五輪招致に関する私見を述べている。

東京オリンピックは決して“兵どもの夢”ではなかった。日本人とアジアの人々に夢を与えたビッグイベントだった。問題はこれを受け継いでいる人たちにあるのだ。このような状況を放置していながら、再び東京にオリンピックを誘致しようとしている輩なのである。(…)
2016年のオリンピックを東京に誘致しようという人たちには、要するに“温故知新の精神”が欠如しているのだと思う。そして謙虚さも欠けているのだ。東京オリンピックを誘致し、成功させた先人に想いを寄せることなくオリンピックを再び東京に誘致しても、長い目でみると“兵どもが夢の跡”を残すだけになると私は思う。私は東京オリンピックの誘致に反対しないが、こういうところを改めない限り賛成できない。温故知新も謙虚さも、日本人の美徳であった筈だ。
(2008年8月25日 永田町徒然草「兵どもが夢の跡!?」より抜粋)

「温故知新の精神」と「謙虚さ」の欠如。
大変手厳しいが正鵠を得たお言葉である、と思う。
白川氏が撮影した写真は、無言のうちにそのことを物語っている。
仮にまったく墓守をしない父親(国家)がいたとして、その父親が「先祖を敬い、歴史と伝統を重んじ…」と宣ったとしても、他人(国外)は言うに及ばず、家族(国内)からの信頼や支持が得られるとは思えない。
畢竟「レガシー」を語るに足るか否かは、「レガシー」について饒舌に語れるかどうかではなく、「レガシー」それ自体の有り様によって判定されるより他ないのである。
そのことを忘れてはならない。
ポスト東京招致、そして広島・長崎という新たな「議論」が、オリンピズム、そしてスポーツを根源的に考える契機となることに期待したい。