ランニング学会大会 in 横浜(その2)

moriyasu11232010-03-23

前回(3月16日)の続きで、トレーニングの「量と強度」(大変遅くなりました)。
職場にて、大学1〜4年までの4年間に年間3回ほどVO2maxやMART測定を実施してきた某大学女子中距離選手のトレーニング変遷について紹介。
この選手は、大学1年次に高校時代のベスト記録を更新してアジアジュニア選手権の代表にも選出されるなど、大変スムーズに高校から大学へと移行している。
ちなみにコーチは、Lasbimの後輩K君。
選手およびコーチへの測定結果のフィードバックやそれに関連する議論を踏まえて、更なる高みを目指したトレーニング内容の大幅変更を敢行。
失敗を契機としない方法論の転換には、それ相応の覚悟とある種の確信が必要である。
そして大学3年次には、2度の2分6秒台をマークする。
レーニング変更のポイントは、準備期においては走技術および総合的体力トレーニングの比率を、そして試合期においては専門的持久力(レースペース付近)のトレーニングや休養の比率を高めたことにある。
選手本人の卒論作成に向けて、走行距離(量)やペース(強度)を基準とするトレーニング分析を行ってみてはどうかと提案。
とっても素直でステキな彼女は、我々の安易な?提案をポジティブに受け止め、高校時代からの練習日誌を精査し、測定値を基準とした強度別(4カテゴリー)の走行距離を積算するという大変過酷な分析作業に着手する(ほんとうにお疲れ様でした)。
4カテゴリーの内訳は、Z1(vLT2以下)、Z2(vVO2max〜vLT2)、Z3(V800m〜vVO2max)、Z4(V800m以上)であり、「vLT2」は血中乳酸2mmol/l時の走速度、「vVO2max」は最大下の酸素摂取量(VO2)から推定するVO2max相当の走速度、「V800m」は800mベスト記録(平均速度)を基準としている。
ベスト記録を更新した1年次と3年次を比較すると、年間の総走行距離は「3543㎞→2056㎞」と約1500㎞もの大幅減。
カテゴリー別にみるとZ1(3076㎞→1664㎞)とZ2(199㎞→75㎞)がほぼ半減し、Z4(171㎞→233㎞)は35%増となっている。
期分け毎にみると、Z1は準備期(1016㎞→489㎞)では半減、試合期前半(985㎞→578㎞)および後半(1075㎞→597㎞)で約4割減。
その他の特徴的な増減としては、準備期Z2の大幅減(159㎞→60㎞)に対してZ4が3倍増(26㎞→76㎞)、といったあたりとなる。
ちなみに、完全休養日は2006年が約30日、2008年が約70日(積極的休養日を除く)。
さらに、VO2maxテスト(持久的能力指標)やMART(スプリント能力指標)の測定値は、2006年との比較においていずれも2008年(3年次)が高く、また2008年の準備期から試合期にかけていずれも向上していたことから、巷間いわれる無気的能力と有気的能力のトレードオフも認められなかったといえる。
この結果を読み解く際の肝は、あらかじめ走行距離(量)を減らすことが目的ではなく、それぞれのトレーニングのメリットとデメリット、トレーニングを実施する強度や継続期間、およびその変更に伴って必要となる休息などを十分に勘案しながら、限りなくトレーニングの「質」を高めることを目指して計画&実施した結果、走行距離が半減(休養日が倍増)したことにある。
これらの結果は、特に準備期において重視されがちな「量」で作った「持久力」をベースとして「スピード」を上乗せしていくという従来の考え方に一石を投じるエビデンス(事例)になり得ると思われる。
次に「日本陸連中距離ブロックの取り組み」について。
陸連科学委員会のレース分析結果によると、日本の800m選手の多くは、世界レベルの選手に比べて200m〜500mあたりの速度低下が顕著であることが示唆されている。
これはシニアの大会のみならず、インカレ、インターハイほか多くのレースにみられる共通の特徴であることから、選手の特徴というよりも国内レースの特徴であるということができる。
このようなレースパターンは、「勝負」や「失敗回避」を優先したペース配分であるともいえるが、あくまでも「記録」を競う競技であること、そして心理的および技術的な要素をも考え合わせれば、それを繰り返すことによる「負の学習効果」も看過できない問題である。
かねてより選手とスタッフの間では、上記のような問題についての共通理解および危機感が共有されていたが、このような「理論的予習」をいかに「実践的予習」へと展開していくかが大きな課題となっていた。
この課題解決に向けて、以前から継続的に行われている国内で高いレベルの記録を狙うために設定されたペースメーカー付きレースや、昨年の春季強化合宿から導入されて今年も継続されているコスミンテストなどの実践的予習例と、これらの取り組みが結実した15年ぶりの800m日本記録更新時のレース映像および分析結果などを紹介する。
以上の内容を踏まえて、心技体の相補性を考慮した予習トレーニングを創発するためのポイントについて提案。

『相補的予習トレーニングの創発に向けて』

  • 乳酸は「疲労物質」というイメージから…乳酸をエネルギーと捉え、出して使うイメージの追求へ(乳酸シャトルの高速回転、楽に速くの飽くなき探求…)。
  • 走速度低下(疲労)に「耐える」から…3E(経済性・効率・有効性)の改善による疲労の先送りへ(スタート1歩目からの技術的改善…)
  • 走行距離やタイムを目標とする発想から…動きや感覚(努力感など)のモニタリング重視、主観的ペース戦略の結果としての走行距離やタイムの参照、起伏や負荷軽減法などを利用したステレオタイプ化の回避へ
  • 低強度トレーニングによる持久力の養成(維持)から…レースペースをベースとした走トレーニング体系の構築、インターバル(レスト)による負荷調整の合目的化による持久力強化へ

(本講演スライドより抜粋)

最後に「運動の科学的観察と分析」について。
私たちは、本来「不可分の全体」として成立する「(運動)パフォーマンス」を、便宜的に「心理」「技術・戦略」「体力」的側面などに分けることによって観察や分析を進めている。
しかし「観察や分析」とは、ある部分に焦点化するために他の部分を無視する営みでもあるため、結果の全てが直接的にパフォーマンス向上に還元できるものではない。
したがって、科学的な「分析」はパフォーマンス全体をみていない(みようとしていない)という批判を耳にするが、そもそも「分析」とはそういうものである。
そして私たちは、スポーツに限らず、人間的な営みの全てにおいて自分の立場や関心に依拠した「観察や分析」から逃れることは不可能であり、それが自身の認識のベースになっていることもまた事実である。

Qualitative Analysis of Human Movement

Qualitative Analysis of Human Movement

↓ちなみにLasbimのボスと学兄の皆様が訳出されのはコチラ。
体育・スポーツ指導のための動きの質的分析入門

体育・スポーツ指導のための動きの質的分析入門

冒頭写真(上記書籍より拝借)では、ゴルファーを取り囲む専門家集団が、自身の研究領域に依拠したアドバイスを同時に行っているが、この状態で彼のスイングが良くなることはほとんど期待できない(むしろ悪くなる)。
しかし、互いの理論の妥当性や相互作用について、専門家としての立場や関心を超えたクールかつリアルな議論を展開し、トレーニング課題の設定および優先順位づけができたとすればその限りではないだろう。
重要なことは、それぞれの理論の間を架橋するために何が必要かを問い続けることにある。

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

「理論的」とか「実践的」とかいう言葉は、誰でも使っている。だが、誰でもその意味が分かっているというわけではない。とりわけ、理論家をいっさい信用しない実務家タイプの人には分からない。そういう人にとって「理論的」とは、空想的とか神秘的ということで、「実践的」とは、目に見えた効果があって現ナマがすぐ返ってくるようなことである。この考え方にも一片の真実がないわけではない。実践的なことは、なんらかの形で、遅かれ早かれ目に見える効果を生むものと関係があるし、理論的なことは、見たり、理解したりするものと関係がある。このおおざっぱないい方をさらにつきつめていくと、知識と行動という区分に達する。
(byアドラー氏)

レーニングの本質が「変化」と「安定」の絶えざる更新にあるとするならば、トレーニング科学の本質は、運動の「実践」とその「観察や分析」を往復しながらの「実践知」と「理論知」の絶えざる更新にある。
レーニングの「量」や「強度」を高めるには限界があるが、量と強度の無数の組み合わせに盛り込むべき「質」は無限である、というメッセージで講演を締めくくる。
終了後、学会の初代会長である立正大学のY先生から「タイトルをみてなんのこっちゃ?と思ってたけど、話を聴いてその真意が理解できた。興味深い内容だった。」という過分なるお言葉を頂戴し、ややぐったりしていた身体が心地よい疲労感に包まれていった。
関係者の皆様、ありがとうございました。