人間ドック

昨日(13日)は、人間ドックの日
朝の8時に新宿のとあるクリニックに赴き、昼頃まで様々な検査を受ける。
いつも他人を測定する側の仕事をしている人間にとっては、スタッフの立ち居振る舞いから検診の導線、ドクターのアドバイスの仕方など、いろいろな意味で参考になるところも多い。
着替えを済ませて、三色ボールペンと本を片手に、院内をたらい回る(?)。
たらい回りのお伴はこれ↓。

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

哲学の教科書 (講談社学術文庫)

中島義道氏は、カント哲学の研究者として著名だが、こと「時間論」に関しては、例えば「カントの○○について」といった所謂「ついて論文」の執筆による学説の吟味に留まらず、ときに氏の師匠でもある大森荘蔵までをも批判の対象としつつ、斬新なオリジナルセオリーを展開している。
「およそ学問を志す者には、三つの自由が必要である。一つは通説からの自由、さらに恩師の説からの自由、そして過去の自説からの自由である」とは、ドイツの法学者・ラントの言であるが、これは「守・破・離(by世阿弥)」にも通じる、「学び」にとって必須の構えである。
心して読まねばなるまい。
閑話休題
この検診では、朝の受付時に、検査後のドクターとの面談すなわち「検査結果のフィードバック」が必要か否かを問われる。
ときに30分から1時間ほど待たされたり、以前うけたフィードバックがあまり(私にとって)有益ではなかったことから、ここ数年は「必要なし」として、とっとと帰途についていた。
しかし、今回は受付順も早く(なんと1番!)、複数のドクターがフィードバックを担当するようなので、久しぶりに「希望」してみた。
無論、ドクターが変わったからといって、検査結果そのものが変わるわけではない。
しかし、同じ結果であっても、それを読み解く人によってフィードバックの内容が異なるのは珍しいことではない(スポーツ科学のデータも然り)。
それはそれで興味深いところである。
検査を全て終え、着替えも済ませて診察室前に腰を下ろしていると、直に名前を呼ばれる。
あらら…前と同じドクター(がっくし…)。
それでも、3年の歳月を重ねた変化に期待しつつ診察室に入る。
促されて椅子に腰掛けると、ドクターは検査結果に視線を這わせつつ問題点?を探索し始める。
残念ながら?特に問題はないようである(ウエストも75cm)。
しばしの後、ドクターは事前に提出していた問診票を手に取り、何かを悟ったかのように頷きながら、質問なのかつぶやきなのか判然としないトーンで「休肝日は設けられませんか…」とおっしゃる。
なるほど、私の問診票には「飲酒の有無(7日/週)、酒量(通常2〜3合、多いときは一升)」の文字が躍っている。
一応「無理ですねぇ…ハハハ。もちろん体調の悪いときは飲みませんけど…」と言ってみる。
その瞬間、終始笑顔だったドクターの目がキラッと光った(ようにみえた)かと思うと、そこからは「人生は今や100年に向かっているから…」「日本人は欧米人に比べてアセトアルデヒド分解酵素が…」といった、3年前と同じ「通説」のオンパレード。
唯一3年前と異なっていたのは、「動的平衡(by福岡伸一)」というタームが持ち出されていたこと。
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

しかし、生命体にエントロピー増大を回避する機能が備わっているという分子生物学的な知見と、私の嗜好や健康、いわんや人生のあり様とは何の関わりもない(福岡氏もそんなことには言及していない)。
やっぱとっとと帰ればよかった…と後悔しつつほとんど馬耳東風で頷いていたのだが、「知的生産は日々の節制によって生まれる…」「アメリカのホワイトカラーは節制がステイタスで…」などと宣い始めたので、さすがにその言を遮って文化論的な私見を少しだけ述べる(詳細は割愛)。
「そういうお考えも、それはそれで結構なことです」という天下無敵の締め言葉によって面談終了。
酒や煙草が私の人生をどれほど豊かにしてくれているか、それを愉しむために私がどれほど「節制」しているかを、彼は知らない(当たり前だけど…)。

本当に死ぬというのは、われわれの感じでは自分がなくなることです。それも、物がなくなる、消滅する、といったなくなり方ではありません。世界に面している私がいなくなること、したがって私の面している世界もなくなることです。私はそれに恐怖を感じます。(…)
しかし、その死の恐怖といったときのその死ですね。死ということをわれわれがかんがえるとき、あるいは死に脅かされるとき、私はまだ死んでいないから死や死の恐怖を考えられるのです。と同時に死んだことがまだないので、何を考えてよいか確かではないのです。私がもっております死の恐怖の死を私はまだ見定めることができないわけなんです(by大森荘蔵)。
中島義道『哲学の教科書』より)

人間ドックの待ち時間に読む本としては、まさにベストチョイスであったと自画自賛したい(たまたまだけど…)。
こういう本を読んでいるさなかに「百歳まで生きる…」などと言われても、米寿の好々爺ならいざしらず、不惑の若僧には念仏にすら聞こえない。
とはいえ、どのような語りかけ(フィードバック)が相手の心に響くのか(響かないのか)について学ぶ機会を得たという意味では、この待ち時間を含めた30分強の時間にポジティブな価値を見いだすこともできなくはない(by反面教師)。
帰途、自宅近くの割烹に立ち寄り「金目煮付け定食と生ビール」に興じる。
ああ、しあわせ…(生の実感)
ビールを飲み干して店を出た後、駅前の書店に足が向く。
店内をぶらついていると、なんとも絶妙のタイミングで以前から興味のあった本の背表紙に出会う(やるなぁ須原屋!)。
これは「私蔵せよ」という神の思し召しとしか言いようがない(すかさず購入)。

メメント・モリ

メメント・モリ

本当の死が見えないと本当の生も生きられない。
等身大の実物の生活をするためには、等身大の実物の生死を感じる意識を高めなくてはならない。
死は生の水準器のようなもの。
死は生のアリバイである。
(by藤原新也

「Mement Mori(メメント・モリ)」という言葉は、ペストが蔓延し「生」が享楽的になった中世末期のヨーロッパで盛んに用いられたラテン語の宗教用語で、日本語に訳すと「死を想え」という意味になる。
先の中島氏の著書の第一章のタイトルが「死を忘れるな!(Mement Mori!)」であるのも偶然ではあるまい。
ハイデガーは、人間存在を「死への存在」とみなしている。
この「死への」というのは、「いつかは必ず死ぬ」ではなく「つねにすでに死にかかわっている」という意味だそうだが、そのことをしっかりと自覚することが人間の「本来的な」生き方だと言いたいのであろう(たぶん)。
それが「永遠の今を生きている」といわれる「動物」と、過去や未来を背負うがゆえに「今」を生きざるを得ない「人間」との本質的な違いでもある。
私は、100歳まで生きるつもりは(今のところ)ない(たぶん無理だし)。
無論、そこまで生きることに「意味」や「目的」が見いだせれば、「長生き」という「手段」は有効であるし、それを目指すのも悪くはない。
しかし今のところは、盲目的に数十年後の「生」に向かうよりも、今日を「刹那的」に生きていきたい。
「刹那的」に生きることと「享楽的」に生きることは恐らく違う。
「刹那」とは、仏語における時間の最小単位で、1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとか、1刹那の長さはおよそ1/75秒であるなどとされている。
曹洞宗開祖である道元は、1刹那という極めて短い時間、瞬間の間に生成消滅(刹那消滅)を繰り返す心の相続運動が人間の意識であり、その無常性に対峙するからこそ悟りを開こうとする意志や行為が生まれると説く。
縦軸が時々刻々のパフォーマンスで、横軸が「死」に向かう時間経過であるとすれば、そのパフォーマンス曲線の「刹那」の微分値ができるだけ「正」の値を示すように、「死」に向かって生きる恐怖を感じながら「生」への意識を高めていきたい。
そしてそうすることが、自ずと積分値としての人生のパフォーマンスを高めていくことに繋がると考えたい。
夕刻、保育園に長男長女を迎えに行くと、園庭で待ち構えていた同時刻帰宅組との「鬼ごっこ」が当たり前のように始まる(もちろん鬼は私)。
「刹那」を意識するほどに、子ども達の嬉々とした声や笑顔で逃げ惑うその何気ない光景が、とてつもなく愛おしく感じられるのである。