自律と統制

moriyasu11232009-04-24

日体大“反論”に 関東学連「処分変わらない」』
陸上部員(すでに退部処分)の大麻問題で厳罰処分を受けた日体大関東学生陸上競技連盟関東学連)に質問状を提出して“反論”したことに対し、関東学連の青葉昌幸会長は18日、「どんなことがあっても処分は変わることはない」と断言した。
日体大棒高跳びの男子3年生部員が横浜市内の合宿所で大麻を栽培、吸引して来年1月の箱根駅伝のシード権はく奪などの処分を受けたが、17日夜に「連帯責任となるのは理解できない」など4項目の質問状を関東学連に提出。しかし、青葉会長は「日体大と日本陸上界の将来のために下した裁定です」と話した。同会長によると、関東学連は事件発覚後に「(箱根の)シード権はく奪と9月末までの出場停止」を打診し、日体大は「4月末までの出場停止」を主張。計6回の話し合いを重ねた結果、処分を「シード権はく奪と6月末までの出場停止」としたが、日体大は活動自粛1カ月の方針を変えずに発表したという。
青葉会長は「処分は覆さないが質問状には回答する」と話しており、早ければ20日にも内容を協議して回答する。日体大側は回答を受け、対応を決定するとしている。
(2009年4月19日 スポーツニッポン

『<日体大大麻>同大学側の質問状に処分は変更せず…関東学連
日体大陸上部の男子部員(退学処分)が合宿所で大麻を栽培、吸引していた問題で、関東学生陸上競技連盟(青葉昌幸会長)は22日、部全体の連帯責任を求めた処分理由について、21日夜に文書で日体大に回答したと発表した。
問題の部員は跳躍系種目だったが、関東学連は連帯責任を重視。来年1月の東京箱根間往復大学駅伝競走箱根駅伝)のシード権取り消し、関東学連主催競技会への6月末までの出場禁止などの処分を決めた。
これに対し、日体大側は、跳躍、長距離など各ブロックは独立運営、会計監査を実施しており、「特定ブロックの合宿所で起こった事件に対し、部全体の連帯責任として処分の対象とされたことは理解できない」などと質問状を送っていた。
関東学連は「合宿所での問題は一個人や専門種目ブロック単位にとどまらず、部全体で深く受け止める問題」と回答。そのうえで、「大麻等の薬物乱用は社会的にも大きな問題。部全体の問題として対応してもらうように要請してきたが、(日体大側は)十分応えたとは言い難い」と指摘している。
青葉会長は「我々は一貫して部全体として考えてくださいと言ってきた。かなり温度差がある」と語り、処分の見直しは行わない考えを示した。【井沢真】
(2009年4月22日 毎日新聞

スポーツニッポンの記事には、今までの報道には出ていなかった情報が盛り込まれている(見落としていただけかも…)。
それは、日体大関東学生陸上競技連盟(学連)との間にあった、事件発覚後からの「綱引き」の詳細についてである。
記事には、発覚当初に学連が「(箱根の)シード権はく奪と9月末までの出場停止」を打診し、日体大は「4月末までの出場停止」を主張しつつ話し合いを重ねた結果、学連は最終的な処分の方針を「シード権はく奪と学連主催大会における6月末までの出場停止」としたが、日体大は「4月末」の方針を変えずに発表した、とある。
この話し合いは、どうやら平行線、すなわち文字通り「交わること」がなかったように見える。
事件発覚(3月2日)から日体大の「連帯責任」に関する処分発表(3月26日)までにタイムラグがあった理由についても、これで得心がいった。
「4月末」であれば、5月の関東学生陸上競技対校選手権大会には出場できるが、「6月末」だと出場できない。
学連としては、当初の「9月末」から「6月末」まで譲歩したという感覚もあるのだろう。にもかかわらず、日体大が「4月末」の方針を変えなかったことが、「のんきな内容で、びっくりした。考えられません(by学連会長)」という発言に繋がっていると推察される。
その根底には、日体大の「特定ブロックの合宿所で起こった事件に対し、部全体の連帯責任として処分の対象とされたことは理解できない」という主張と、学連の「合宿所での問題は一個人や専門種目ブロック単位にとどまらず、部全体で深く受け止める問題」という見解、すなわち過失責任の取り方に対する「信念の対立」がある。
学連の方針は、最終的に「6月末」に落ち着いたようだが、特に長距離選手にとっては、「6月末」まで学連主催の大会に出場できず、さらに箱根のシード権まで剥奪されるというのは、かなり厳しい処分であることに変わりはない。
そう考えれば、日体大の主張も無理からぬところではある。
関東学生陸上競技連盟規約には、「1か年の出場停止」という条項がある。

第4章 本連盟競技者資格
(1か年の出場停止)
第14条 本連盟の競技者は、次の各項に該当する場合、その行為の発生時より1か年間本連盟競技者資格を失う。
(1)停学処分を受けた者。
(2)学生競技者精神に反する行為をした者。
ただし、ここでいう学生競技者精神とは、学生競技者としての自覚と誇りを持ち、フェアプレーの精神を堅持し、青少年の模範となる節度ある言動を行うべく自らを律する精神をいう。

ここには「連帯責任」を匂わすような表現はない。
「学生競技者精神」に反する行為をした学生本人を出場停止にするというのが、その筋である。
もうひとつ「罰則」という条項がある。

第11章 罰則
(罰則)
第62条 加盟校及び登録競技者が本連盟の規約に反する行為をした場合は、特別審査委員会を設けてこれを審査し、必要があれば代表委員総会の議を経て、会長がこれを罰す。

なるほど「連帯責任」という文言は見あたらないが、この条項によって今回の処分を決したというのが恐らく学連の大義名分であろう。

大学の施設である合宿所で起きた事件であり、別の部員による紙幣偽造まで発覚した重大性を考えれば、連帯責任を問われても仕方がない面はある。
日体大の陸上部員は前年度で男女計370人。いくら8部門に分けているといっても、これだけ大所帯だと指導の目が行き届かないのは当たり前だし、競技で評価されず居場所を失う選手が出てもおかしくない。ラグビーや大相撲、テニスなどの大麻事件が相次ぐ中、スポーツ界の中核的存在である大学に危機管理意識はなかったのか、とも思う。
大麻の栽培方法までインターネットで簡単に分かる時代である。“特効薬”も見あたらない現状だと、大学、スポーツ界への汚染に歯止めをかけるためには、罪のない部員に気の毒な反面、その代償の大きさで愚かさを知らしめるしかないのではないか。処分は痛みを伴ってこそ教訓になる。
(2009年4月23日 スポーツ報知『石井睦記者の45度の視点(日体大大麻事件…処分は痛みを伴ってこそ教訓になる)』より抜粋)

石井氏は、事件とは直接関係のない学生が処罰を受けることの理不尽さに一定の理解を示しつつも、「処分は痛みを伴ってこそ教訓になる」という意見を提示している。
このような考えもつ人は、世の中に少なからずいるというよりは、むしろ主流なのかもしれない。
今回の学連の裁定も、この考え方を踏襲していると言える。
確かに、大学スポーツの肥大化や形骸化については、昨今の大麻問題をみるまでもなく明らかであり、これは憂慮すべき問題であると言える。
しかしその責任は、当該大学および学生だけでなく、それを統括する団体である学連、さらに言えば彼らを取り巻く全ての大人たちにもあり、「痛み」はそれぞれの立場で応分に分かち合うべきではないのか、とも思う。
では、いったいどうすればよいのか。

第1章 総則
(目的)
第3条 本連盟は、関東における学生陸上競技界を統括し、代表する学生自治団体であり、学生競技者精神を遵守して加盟校相互の親睦を深め、互いに切磋琢磨して競技力向上に努め、わが国陸上競技の普及、発展に寄与することを目的とする。

学連規約の総則(目的)にあるように、そもそも学生スポーツの本分は「自治」にあり、学連とは、学生が自らの競技活動を「相互に支援し合う」ために組織された「学生自治団体」である。
にもかかわらず、少なくとも今回の報道からは、処分する側からもされる側からも、その当事者であるはずの「学生の顔」がほとんど見えてこない。
学連会長の「日体大と日本陸上界の将来のために下した裁定です」という発言は、おそらく「ほんとう」なのであろう。
しかし、互いに「学生のため」としている処罰の軽重に関する「綱引き」も、正直いって「大人主導」で「学生不在」の感が否めない。
先に示した規約の「学生競技者精神」の定義に、「青少年の模範となる節度ある言動を行うべく自らを律する精神をいう」という一文がある。
「内発的動機づけ」に関する研究の第一人者であるデシは、この「自らを律する精神」すなわち「自律」ということの意味について、こう説明している。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

統制するというのは安易な答えである。報酬を約束したり罰するぞと脅せば、違反者を従わせることができると考える。いかにも力強く響くし、何かが道から外れてしまったと思っているがそのことを考える時間もエネルギーもなく、何かをするしかないと考える人たちを安心させる。(…)
非難したり統制したりするのではなく、人はなぜ無責任にふるまうのかをまず考えてみるのが問題を解決する道への第一歩である。(…)そういう人がどんな見通しをもっているのかを考えに入れて、彼らの無責任な行動の背景にある動機に焦点を合わせ、そうした動機づけに影響を与える社会的な要因を解き明かす。そうして、人がもっと責任をもって行動するようになるための要因を見出してゆくのである。
人が何かに動機づけられるとはどういうことなのか(…)そのとき、行動が自律的(autonomous)か、それとも他者によって統制されているかという区別が大変重要である。自律ということばは、もともと自治を意味している。自律的であることは、自己と一致した行動をすることを意味する。(…)確かな自分から発した行動なので、それは偽りのない自分(authentic)である。統制されているときはそれとは対照的に、圧力をかけられて行動していることを意味する。統制されているとき、その行動を受け入れているとは感じられない。そういう行動は自己の表現ではない。なぜなら、統制に自己が従属しているからである。まさに疎外された状態だと言ってよい。
(byデシ氏)

「自律ということばは、もともと自治を意味している」
スポーツにかかわる学生が真に「自律」し、学生スポーツが真の意味での「自治」を取り戻すために必要なことは何なのか。
そのことを根源的に考えない限り、いくら厳しい処分を下しても、この問題は解決に向かわないように思われるのである。