書くということ

moriyasu11232008-06-05

記者として「あるまじき行為」が、また起こったらしい。

NHK記者が地方紙記事盗用 取材せず原稿書く』
NHKは4日、長野放送局松本支局の記者(35)が、ニュース番組の中で信濃毎日新聞の記事を盗用して放送したと発表した。NHKではさらに事実関係を調べて、記者を厳正に処分するとしている。
NHKによると、記者は今年3月、「安曇野市が観光PRに有名人夫婦起用」のニュース原稿を作成。同31日のローカルニュースで放送した。
この原稿について、安曇野市から同日、取材を受けていないという指摘があった。さらに今月2日になって、信濃毎日新聞から3月25日付けの同紙朝刊の記事の内容に似ていると連絡があり、調査した結果、同記事を見た記者が取材もせずに原稿を書き、上司にも事実確認ができていないことを報告していなかったことが分かった。記者は、予定稿として作成し、後日確認を取るつもりだったが、担当者がつかまらず、そのまま使ってしまったという。
NHKでは、信濃毎日新聞社に謝罪。安曇野市にも謝罪するとし、「報道に携わる者としてあってはならないことであり、極めて遺憾。深くおわび申し上げます」とのコメントを発表した。
(2008年6月4日 産経新聞

メディアの暴走」で投げた私のへなちょこ球を、センター前にクリーンヒットされた感がある。
さすがにメディアの四番打者(NHK)だけのことはある。
博士も医者もインチキ?」に引用した記事を再録する。

読売新聞東京本社は30日、27日付石川県版に掲載した金沢大教授らの学位を巡る記事で、金沢支局の男性記者(30)が大学に確認取材を行わないままインターネット上の情報を基に、大学に取材したかのように執筆したとして、この記者を懲戒処分(休職1カ月)にすることを決めた。(…)
読売新聞東京本社広報部の話 新聞記者としてあるまじき行為であり、二度とこのようなことがないよう記者教育を徹底する。
(2008年1月31日 毎日新聞より抜粋)

「あるまじき」は、「あってはならない。とんでもない。不都合である。」という意味である(by大字泉)。
こう何度も「あるまじき」行為があると、それは「あってはならない、とんでもない」行為とは言えなくなる(だって日常化しているから)。
彼らにとっては、学生がウィキペディア丸写しのレポートを提出するのと同程度の罪悪感なのかもしれない(ばれなきゃラッキーみたいな)。
でなければ、こう頻繁に起こる(ばれる)はずがない。
いずれにせよ、こうした中堅?記者の勇み足が明るみに出るのは、メディアにとってこの上ない「不都合」であることは間違いない。
と考えれば、「あるまじき」という表現も、あながち不適切とは言えない。
とはいえ、私のブログだって、誰かがどこかで言ったり書いたりしていたことの記憶を、あたかも自分の考えのようにはき出しているだけなので、ほとんど「剽窃」みたいなものである(反省)。
研究論文にしても、半分以上は先行研究の引用で、自分の意見なんてちょこっとしか書いてないんだから、ある意味「剽窃」みたいなものである(さらに反省…とはいえ論文とはそういうものであるが)。
だから偉そうなことは言えない(大いに反省)。
しかし、先の記者さん達とは決定的に異なると言えそうなことが、一つだけある。
それは、私が、自身のテクストを「読者」に向けた「贈与」であると考えていることである。
ここでいう「読者」とは、すなわち「私」のことである。
「未来の自分」から「現在の自分」、例えばブログやら論文やらを書き終えた自分から、今これを書こうとしている自分への「贈り物」になるようなテクストを書くこと。
それが「書く」目的である。
そのことが、なんとなく解ったような気がする。