甲子園が割れた日

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実

甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実

本書は、2007年度第18回ミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞作である。
1992年8月16日、甲子園で高知県代表・明徳義塾と石川県代表・星稜高校が対戦する。
このとき、明徳・河野投手が、馬淵史郎監督の指示により、星稜の4番バッターである松井秀喜を5打席全て敬遠するという前代未聞の“事件”が起こった(ランナー無しの状況でも敬遠)。
試合に勝った明徳に対して、バッシングの嵐が吹き荒れる。
当時浪人生だった著者は、明徳の青木捕手が言ったとされる『甲子園なんてこなければよかった…』というコメントと、自身が失態を演じて初戦敗退した高3の夏に感じた『野球なんかしなければよかった…』というやるせなさとを重ねあわせる。
そして『俺ならわかってやれる。10年後、彼らに会いに行こう』という『独りよがりな思いこみ』を抱き続け、10年後、奇しくも松井秀喜がメジャー挑戦を表明する2002年の夏から4年間という長い時間をかけて丹念に取材を進めていく。
新人ライターに取材費などでるはずもなく、すべて自前でアメリカまで取材の足を伸ばした著者の情熱に、まずは敬意を表したい。
両チーム18選手のその後の人生模様は、実に様々である。
星稜の5番打者、つまり松井敬遠のあとの打席に入った月岩選手は、その後、関西の大学に進学するが、まわりから『お前が1本でもヒットを打っていたらなぁ…』と言われつづけ、ついに大学を辞め、野球からも遠ざかっている。
野投手は、プロ入りを希望するもドラフトにかからず、それでもプロ野球への夢を捨てずに、アメリ独立リーグでプレーしている。同じアメリカでは、松井選手がヤンキースで活躍。その他の選手についても、まさに人生いろいろの姿が浮かび上ってくる。
10年後の彼らは、この「敬遠」をどう評価しているのか。
明徳OBは、絶対の信頼を置いていた馬淵監督が立てた作戦であり、当時はそれが正しいと信じてプレーしていたし、今でもその考えに変わりはないという意見が大半である。
一方、星稜OBは、敬遠はある意味チャンスであり、それを活かせなかった自分たちが弱かっただけであるとの見方が強い。
また、明徳以外の、松井選手を1試合に複数回敬遠したことのあるチームの監督にも取材し、『敬遠がいかにリスキーな作戦』であるかということ、それは『次のバッターを確実に打ち取る自信』がなければできないこと、つまり明徳が「強いチーム」だったからこそ松井を5打席敬遠できたのであり、自分が明徳の監督なら同じ事をしただろうというコメントを引き出している。
さらに興味深いのは、馬淵、山下両監督を丹念に取材することで、両者の野球に対する考え方の違いや、高校野球の奥深さを描き出している点である。
馬淵監督は、社会人野球を経験しており、明徳の監督に就任してからも、常に「勝つ野球」が義務づけられてきた。
一方の山下監督は、ずっと「教師」という立場で野球に関わってきている。
この「立場」の違う二人の「(高校)野球観」には、もちろん共通する部分もあるだろうが、基本的には大きな隔たりがある。
そしてそれは、どちらが「良い・悪い」の問題でもない。
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この本に通底する最も重要なテーマは、マスコミおよび大衆批判である。
「高校生らしさ」を強調し、高校生らしい美談を提供したい高野連やマスコミが、明徳・青木捕手の『甲子園なんて来なければよかった』や、明徳・河野投手の『本当は勝負したかった』というコメントをいかにして作り上げたかを、数々の選手の証言で実証してみせている(要するに「言ってない」ということ)。
また、「大衆心理」の恐ろしさをも浮かび上がらせている。
試合中にメガホンを投げ込み、試合後には「帰れ」「死ね」などの罵詈雑言を浴びせる観客、明徳の宿舎に1000件以上もの抗議電話かけ続ける「正義の第三者」、銭湯に入ってきた明徳ナインを「汚い奴ら…」と罵る入れ墨男、そしてメディアの報道に右往左往する「一般大衆」の毀誉褒貶ぶりなど…その「品格」と「節操」のなさは想像を遙かに超えるものであった。
本書の副題に「真実」という言葉がある。
「真実」は、おそらく一つではない。
「真実」は、あの“事件”に関わった全ての人たちの眼前に立ち現れた「現象」としてのみ存在している。
したがって、この本は、著者が多くの関係者の生の声を聞き、著者のフィルターを通してテクスト化した、それぞれの「真実」に限りなく接近した「フィクション」であるといえるだろう。

思想する「からだ」

思想する「からだ」

かつてわたしも小学校の授業風景のビデオで、一人の生徒の報告をめぐって明るく活発に発言しあっていた子どもたちが、報告した子のある決断のよしあしを教員に問われたとたんに黙りこくってしまい、やがてぽつんぽつんと発言し始めた声ががらりと変わってしまったのに、驚いたことがある。
初めの頃は声が頭から出ていた、後になると腹から出ていた、とわたしは言った。
映像でなくなまの現場にいたならば、明るい大きな声は、実はあてどなく散らばっており、小さくくぐもる声の内には、細々としかし相手にしみ入るように届いていく流れのようなものが聞き取れたかもしれない。
(by竹内敏晴氏)

本書は、こう締められている。
『<甲子園なんてこなければよかった>。あれは青木の言葉ではなかった。メディアであり、その背後にいる大衆の言葉だった。無論、僕の言葉でもあった。』
自分たちに都合のよいフィクションを作り上げたメディア、それに便乗して幼気な高校生をまるで集団イジメのようにバッシングする大衆…その「明るい大きな声」はあてどなく、そして瞬く間に散らばっていく。
しかし、本書にちりばめられた「小さなくぐもる声」は、細々とではあるが、確かに深くしみ入るように届けられるのである。