Sports Japan

moriyasu11232012-05-10

標題は、今年度から公認スポーツ指導者向けの「指導者のためのスポーツジャーナル」とスポーツ少年団情報誌「Sports JUST」を統合し、装いも新たに船出する情報誌(隔月発刊予定)の名前である。
この新情報誌の編集プロセスにおいては、ターゲットとする層が判然としないなどの厳しいご意見もあったようだが、「生涯スポーツ社会の実現」を標榜する組織の機関誌として、敢えて「総花的情報誌」でいくのもありではないかと個人的には思っている。
そのなかで、現在様々な層の指導者に対して普及・啓発を進めている「アクティブ・チャイルド・プログラム(ガイドブックDVD)」に関する連載を行うことになった。
創刊号に寄せた拙稿を再録する。

はじめに
「スポーツ宣言日本」の冒頭には、『スポーツは、自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である』と謳われています。また、「スポーツ基本法」においては、国民の誰もが自主的にスポーツを行う権利をもっており、あらゆる場面においてこの権利の確保が図られる必要があると明文化されています。これらのことは、様々なライフステージやライフスタイルにおいて、スポーツの多様な楽しみ方を享受し、それを継続できる環境づくりが求められていることを意味しているといえます。
スポーツと出会い、仲間と関わり、それを継続していく機会を提供することは、スポーツ指導者の果たすべき重要な役割のひとつといえますが、その活動の先に「生涯スポーツ社会の実現」という理念があることも意識しておく必要があるでしょう。
楽しさによる動機づけの重要性
運動遊びやスポーツを「する・しない」の二極化傾向に拍車がかかっているといわれる昨今、1週間の総運動時間(体育授業を除く)が60分未満の児童(小学5年生)が、男子で約1割、女子で2割以上にも及ぶことが指摘されていますが、これらの児童の6割以上が、運動・スポーツをすることが「好き(「やや好き」を含む)」と答え、半数以上が「もっとしたいと思う(「やや思う」を含む)」と回答しています(文部科学省調査)。
このことは、「しない」理由がそれほど単純ではないことを示唆していますが、その理由のひとつに、はじめから勝敗や結果が目に見えているものは「面白くない」ということも挙げられます。とりわけ野球やサッカーなどに代表される球技スポーツでは、日頃あまり馴染みのない子ども達が、結果の行方が分からないからこそ面白い「遊び(ゲーム)」として楽しめる雰囲気にはなりにくいのが現状でしょう。携帯ゲームなどが運動遊びやスポーツをするための時間を奪っているという「神話」の背景には、数値に現れにくい様々な問題が隠されているのかもしれません。
子どもの時代は、生涯にわたってスポーツを楽しむための心と体の基礎を培う大切な時期です。まずは子ども達に「やってみたい」と思わせ、実際にやってみたら「面白い」と感じ、それを「続けたい」という欲求につなげていくことが求められます。現在、本会が普及・啓発を進めている「アクティブ・チャイルド・プログラム(ACP)」では、楽しみながら多様な動きが経験できる運動遊びや伝承遊びを紹介しています。これらの遊びは、「面白さ」をベースとした身体活動への積極性を引き出すだけでなく、ウォーミングアップ等に活用することによる全面性の開発など、スポーツ活動への相乗効果も期待できます。
基礎的な動きを身につけることの重要性
人間の動作(動き)は、日常生活に必要なものから、運動遊びやスポーツを楽しむために必要なものまで多岐にわたります。本来、子どもは日常生活や様々な遊びを通じて多くの動きを自然に身につけていくものですが、今の子ども達を取りまく環境は必ずしもそれを保証していません。体格は大きくなっているものの、それをコントロールする能力が低下しているという現状は、スポーツ活動に消極的な子どもに限った問題ではありません。積極的にスポーツを行っている子ども達にも、日常生活における身のこなしや取り組んでいるスポーツ以外の動きの不器用さが見られることや、特定のスポーツ種目に偏ることによるオーバーユース(使いすぎによるケガ)の問題なども指摘されています。
また、子どもたちの成長の進度には個人差があります。同じ年齢の発育が早い子どもと遅い子どもを比べると、体格だけでなく運動能力にも差がみられる傾向にあります。児童期に行われる球技系種目の選手選抜においては、4月〜9月生まれの子どもがより多く選ばれる傾向にあるなど、生まれ月による偏りも問題視されています。この時期の発育・発達の差が成人するまでに解消されていくことを考えれば、発育の遅い(早生まれの)子どもの才能を見逃している可能性を指摘することもできます。こうした偏りは、子どものスポーツ活動においては不可避ですが、このような現状についての認識が共有されているか否かによって、スポーツの普及から育成、ひいては強化という競技者育成プログラムの質も大きく変わってくると思われます。
ここで大切になるのは、走ったタイムや投げた距離といった「量」では測れない「動きの質(できばえ)」にも注目することです。ACPでは、「走る・跳ぶ・投げる」という基礎的な動きを取り上げ、その質(できばえ)を観察・評価するための「観点(目の付けどころ)」を提案しています。これらの動きは、単一の動作としてではなく、複合的に組み合わされた運動遊びなどを通して身についていくことが望まれます。遊びの要素を含んだゲーム性のある流れのなかで、個々の子どもたちの動きに目を配りながら、「できた!」という成功や上達の喜びが感じられる機会を増やしていくことが大切です。
体を動かしたくなる「しかけ」や「場」の重要性
運動遊びやスポーツは、身体的、精神的および社会的な恩恵をもたらすといわれていますが、そのための「時間、空間、仲間(三間)」を今以上に確保することは容易ではありません。したがって、「地域、家庭、学校(園)」それぞれが持っている「限られた三間」のなかで工夫をこらして、その活動の質を高めることが喫緊の課題といえます。
子ども達が活動的になるか否かは、子ども達を取り巻く人的環境、すなわち友達や保護者、そして教師や地域の人々との関係で決まるといっても過言ではありません。したがって、元気で活動的な子ども達を育むために必要なこと、できることは何かについて、ひとりひとりの大人が真剣に考え、それを実現していくための「しかけ」や「場」を工夫していく必要があるのです。ACPでは、子ども達が楽しみながら体を動かすきっかけづくりのポイントや、家庭、地域および学校の「連携事例」なども紹介しています。これらを参考にして、それぞれの地域や環境に合ったオリジナルな「しかけ」や「場」を模索して頂ければと思います。
子どもの不活動や体力低下が叫ばれて久しいですが、これさえやれば全てが解決!という「魔法のプログラム」は存在しません。最も大切なことは、子どもたちが様々な運動遊びやスポーツと関わる過程で、どうすればそれを「好き」になり、どのようなプロセスを経てそれが「大切」なものになるのか、さらにはそれが「生涯スポーツ社会」の構築にどのように寄与するのかについてリアルに問い続けることにあります。
実はそれは、私たち大人の運動やスポーツへの関わり方が問われているということでもあるのです。
(拙稿『“遊び”から“スポーツ”へ① 仲間と楽しむ「はじめの一歩」』Sport Japan 創刊号より)

というわけで、今後とも新情報誌「Sports Japan」のご愛顧をよろしくお願いいたします。