新聞読んでる!?

moriyasu11232010-12-24

『国際学力テスト:新聞読むほど高学力 世界共通』 
低落傾向にあった日本の子供たちの読解力に改善の兆しが見えてきた。7日、世界同時発表された経済協力開発機構OECD)の国際学力テスト「PISA」。調査からは、世界のどの地域でも、新聞を読んでいる生徒ほど学力が高いという結果が明らかになった。
新聞やマンガなどをどの程度読むか、「週に数回」「月に数回」「月に1回ぐらい」「年に2〜3回」「全くか、ほとんどない」の五つの選択肢を挙げて聞き、「月に数回」以上の回答を「読む」、「月に1回ぐらい」以下を「読まない」に分類した。
新聞を読む日本の生徒は57.6%で、OECD 26カ国平均(59.4%)よりもやや少ない程度だった。読解力トップの中国・上海は71.1%が新聞を読んでいた。他方、マンガを読む日本の生徒は72.4%と、OECD平均の24.3%を大きく上回った。
学力との関連性を調べたところ、新聞を読む日本の生徒の読解力の平均得点は531点で、読まない生徒(506点)よりも高かった。この傾向は上海を含む他の上位国やOECD平均でも同様だった。一方、マンガを読む日本の生徒の平均点は522点で、読まない生徒(516点)との差は新聞ほど大きくなかった。世界的に見ても、マンガを読むか読まないかと、学力との間には明白な関連性が見られなかった。
現実には、世界的に新聞離れが進んでいる。00年のPISA結果と比較すると、新聞を読んでいる日本の生徒は12.3ポイント減少。読解力2位の韓国でも24.6ポイント減っており、OECD平均では5ポイントのマイナスだった。【井上俊樹、遠藤拓】
(2010年12月7日 毎日jp

ブログ更新インターバルの最長記録を更新(18日→23日)。
もはや「日記」というタイトルは、完全に形骸化している。
というわけで「新聞とってる!?」に続く「新聞シリーズ」第二段(そんなシリーズないけど…)。
それにしても、マスメディアの方々は本当にタイミングよくネタを提供してくれる。
PISAの結果をどう読み解くかについては、ネット上にも識者コメントが溢れているので詳しくは扱わないが、同じテストの結果の差異を論じるのならともかく、社会情勢や環境の異なる国の新聞購読率の平均値比較にどれほどの意味があるのだろうか。
「新聞を読んでいる生徒ほど学力が高い(by毎日jp)」という因果関係の主張は相変わらずの短絡&必死さの現れというよりほかないが、「世界的に新聞離れが進んでいる(by同上)」という流れは、我々が想像する以上に(マスメディアにとって)深刻なのかもしれない。
いずれにせよ、上記のような記事をいくら読んでも「読解力」が高まらないことだけは間違いなさそうである。

『ぼくとお父さんのおべんとうばこ』
おとうさんがびょうきでなくなってから三年、ぼくは小学一年生になりました。
おとうさんにほうこくがあります。きっとみてくれているとおもうけど、ぼくはおとうさんのおべんとうばこをかりました。
ぼくは、きのうのことをおもいだすたびにむねがドキドキします。
ぼくのおべんとうばことはしがあたって、すてきなおとがきこえました。きのうのおべんとうは、とくべつでした。まだ十じだというのに、おべんとうのことばかりかんがえてしまいました。
なぜきのうのおべんとうがとくべつかというと、それはおとうさんのおべんとうばこをはじめてつかったからです。おとうさんがいなくなって、ぼくはとてもさみしくてかなしかったです。
おとうさんのおしごとは、てんぷらやさんでした。おとうさんのあげたてんぷらはせかい一おいしかったです。ぼくがたべにいくと、いつもこっそり、ぼくだけにぼくの大すきなエビのてんぷらをたくさんあげてくれました。そんなとき、ぼくはなんだかぼくだけがとくべつなきがしてとてもうれしかったです。あれからたくさんたべて空手もがんばっているのでいままでつかっていたおべんとうばこではたりなくなってきました。
「大きいおべんとうにしてほしい」
とぼくがいうと、おかあさんがとだなのおくからおとうさんがいつもしごとのときにもっていっていたおべんとうばこを出してきてくれました。
「ちょっとゆうくんには、大きすぎるけどたべれるかな」
といいました。でもぼくはおとうさんのおべんとうばこをつかわせてもらうことになったのです。
そしてあさからまちにまったおべんとうのじかん。ぼくはぜんぶたべることができました。たべたらなんだかおとうさんみたいに、つよくてやさしい人になれたきがして、おとうさんにあいたくなりました。いまおもいだしてもドキドキするくらいうれしくておいしいとくべつなおべんとうでした。
もし、かみさまにおねがいができるなら、もういちどおとうさんと、おかあさんと、ぼくといもうととみんなでくらしたいです。でもおとうさんは、いつも空の上からぼくたちをみまもってくれています。
おとうさんがいなくて、さみしいけれど、ぼくがかぞくの中で一人の男の子だから、おとうさんのかわりに、おかあさんといもうとをまもっていきます。おとうさんのおべんとうばこでしっかりごはんをたべて、もっともっとつよくて、やさしい男の子になります。
おとうさん、おべんとうばこをかしてくれてありがとうございます。

朝日学生新聞社主催の作文コンクールで最優秀賞に輝いた、広島市立中島小学校1年の片山悠貴徳君の作文である。
2007年3月、悠貴徳君の父(俊作さん)は、27歳の若さで急逝した。
当時4歳だった悠貴徳君も、いまでは小学1年生(愚息と同い年)。
この作文は、夏休みの自由課題でお父さんのことを書きたいと、俊作さんが生前使っていたダイニングの椅子に座り、遺影が掲げてある仏壇の前で3時間かけて書き上げたそうである。
今は亡き父親に自分の思いを伝えたいという「思い」が、読み手にもじんわりと伝わってくる。
何を伝えたいのか。
誰に伝えたいのか。
それがみえないテキストは、白い紙にこぼれ落ちた単なるインク跡に過ぎない。