祝じゅうまんアクセス!

moriyasu11232010-09-28

約1週間前に、本ブログのアクセス(PV)が10万を超えた(感謝!)。
2008年1月28日の開設から、今日でちょうど2年8ヶ月が経過したことになる。
我ながらこんなに続くとは思わなんだ。
自分で自分を褒めてあげたい(褒めてくれる人いないので…)。
開設当初(から今に至るまで)の思索&文章の稚拙さに気恥ずかしさを覚えつつも、自身のトレーナビリティが担保されている証左と考えれば僅かに勇気も沸いてくる。

<アクセス国(地域)一覧>
ALGERIA(Algiers)、AUSTRALIA(Adelaide、Cairns、Melbourne、Perth、Sydney)、AUSTRIA(Vienna)、BELGIUM、BOSNIA AND HERZEGOVINA(Sarajevo)、BRAZIL(Curitiba、Jundia)、CANADA(Kelowna、Scarborough、Toronto)、CHILE、CHINA(Beijing、Dalian)、CZECH (Prague)、DOMINICAN REPUBLIC(Santiago)、EGYPT(Cairo)、EUROPEAN UNION、FIJI、FRANCE、FRENCH POLYNESIA(Papeete)、GERMANY(Berlin、Heidelberg)、GUAM、HONG KONG(Hong Kong)、HUNGARY(Budapest)、INDIA(Chennai、Mumbai、Pune)、INDONESIA(Denpasar、Semarang、Surabaya)、ITALY(Milano、Perugia、Rome)、IRELAND、JAPAN、KAZAKHSTAN(Almaty)、KENYA(Nairobi)、KOREA(Seoul)、LATVIA(Riga)、MEXICO(Mexico City)、MALAYSIA(Penang)、MALDIVES(Male)、MONGOLIA(Ulaanbaatar)、MOROCCO(Casablanca)、NEPAL(Kathmandu)、NETHERLANDS、NEW ZEALAND(Dunedin)、PAKISTAN(Islamabad)、PHILIPPINES(Cebu、Manira)、PORTUGAL(Funchal)、QATAR(Doha)、ROMANIA、SOUTH AFRICA(Cape Town)、SINGAPORE、SPAIN(Lleida)、SWEDEN(Stockholm)、SWITZERLAND(Aarau)、TAIWAN(Taipei)、THAILAND(Bangkok)、UNITED ARAB EMIRATES(Dubai)、UNITED KINGDOM(Hull、London、Newbury、Sheffield)、UNITED STATES(Atlanta;GA、Arvada;CO、Austin;TX、Beaverton;OR、Brookline;NY、Buellton;CA、Burlingame;CA、Chattanooga;TN、Davenport,;IA、Durham;NC、Erizabethton;TN、Herndon;VA、Honolulu;HI、Houlton;ME、Houston;TX、Huntington;NY、Irvine;CA、Irving,;TX、Keizer;OR、Kent,;WA、Lake Charles;LA、Las Vegas;NV、Lyndhurst;NJ、Milpitas;CA、Missoula;MT、Monroe;LA、Mountain View;CA、Muncie;IN、New York;NY、Omaha;NE、Orange;CA、Orlando;FL、Orono;ME、Oxnard;CA、Pittsford;NY、Portland;OR、Providence;RI、Ramona;CA、Redmond;WA、Reston,;VA、Rockville;IN、Sacramento;CA、San Diego;CA、San Jose;CA、San Mateo;CA、Scotts Valley;CA、Salt Lake City;UT、Syracuse;NY、Torrance;CA、Tucson;AZ、Upper Marlboro;MD、West Hollywood;CA、Yakima;WA)、VIET NAM、ZIMBABWE(Harare)

今日までに、日本を含めた54カ国からのアクセスを頂戴している。
まあ54カ国といっても、読者は全て日本人のはずである(日本語で書いているので…)。
仮に英語で書いたとしても、このような拙文に目を通してくれる外国人はほとんどいないだろう。
英語で書かない理由のひとつはそこにある(もちろん他にもいろいろある…)。

「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日本語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯が食える」ということである。
日本人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯が食える」からである。
「外向き」じゃないと飯が食えないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。
どうしてそんなことを考えたかというと、テレビの政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。
フィンランドノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有している。
どうしてそういうことになったかというと、ノキアは「はじめから世界標準をめざしていた」からである、というのが識者のご説明であった。
それに比べて日本のメーカーは国内市場オリエンテッドな商品開発をしているから国際競争に後れを取るのだと叱責していた。
それはちょっと考え方が違うのではないかと私は思う。
フィンランドは人口520万人である。
兵庫県(560万)より小さい。
兵庫県のメーカーがもし大阪でも岡山でも使えない「兵庫県仕様」の機械製品を作っていたら、それはたいへん愚かなことであるということは誰にでもわかる。
兵庫県でしか使えない機械」を作る手間暇と「大阪や岡山でも使える機械」を作る手間暇がほとんど変わらないときに、わざわざ市場を制約する人間はいない。
ノキアが「世界標準をめざして製品開発した」のは誰でもわかるとおり「国内市場限定で製品開発したのでは、投下資本が回収できないから」である。(…)
日本には巨大な国内市場がある。
国内市場限定で製品開発しても、売れればちゃんともとがとれる規模の市場が存在する。
世界標準で製品開発するのと、国内限定で製品開発するのでは、コストが違う。
これは例外的に「幸運」なことなのである。
その事態がどうして「内向きでよくない」というふうに総括されて、誰も彼もが「そうだそうだ」と頷くのか、私にはその方が理解できないのである。(…)
「日本の問題」とされるもののうちのかなりの部分は「日本に固有の地政学的地位および地理学的位置および人口数」の関数である。
ということは、日本とそれらの条件をまったく同じにする他国と比較する以外に、私たちが採択している「問題解決の仕方」が適切であるかどうかは検証できないのである。(…)
論理的に言えば、その成否は「今採用している問題解決の仕方とは別の仕方」を採用した場合には何が起きたかというシミュレーションに基づいて採点すべきである。(…)
にもかかわらず、相変わらず識者たちは「アメリカではこうである」「ドイツではこうである」「フィンランドではこうである」というような個別的事例の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因はあるという語り口を放棄しない。
たしかほんの2年ほど前までは「アメリカではこうである」ということがビジネスモデルとしては正解だったはずであり、その当時、かのテレビ番組に出ていた識者たちも口々に「アメリカのようにしていないことが日本がダメな所以である」と口から唾を飛ばして論じていたかに記憶している。
その発言の事後検証については、どなたもあまり興味がなさそうである。(…)
興味深いのは、この「日本と比較してもしようがない他国の成功事例」を「世界標準」として仰ぎ見、それにキャッチアップすることを絶えず「使命」として感じてしまうという「辺境人マインド」こそが徹底的に「日本人的」なものであり、そのことへの無自覚こそがしばしば「日本の失敗」の原因となっているという事実を彼らが組織的に見落としている点である。(…)
ある人が、立て続けに人生上の選択に失敗していたとしたら、私たちはその理由を彼が「成功した誰かの直近の事例をそのつど真似していないこと」にではなく、むしろ「彼の選択の仕方そのものに内在する問題点」のうちに求めるであろう。(…)
私たちがうまく問題を解決できないのは、私たちの問題の立て方が間違っているからである。(…)
「日本の問題」のかなりの部分は「サイズの問題」に帰すことができると私は考えている。
だが、日本は他国と「サイズが違う」ということはあまりに自明であり(小学生でも知っている)、そのような周知のことが理由で「日本問題」が起きているということは専門的知識人たちには許容し難いことなのである。(…)
中には「英語で発信すれば世界標準になる」と思って、「私はこれから英語でしか書かない」というようなとんちんかんなことを言う人もいる。
だが、世界仕様というのは要するに「世界市場に進出しなければ飯が食えない」という焦慮、あるいは飢餓感のことである。
「私はこれから英語で発信して、世界標準の知識人になるのだ」ということを日本語で発信して、日本の読者たちに「わあ、すごい」と思わせて、ドメスティックな威信を高めることを喜んでいる人間は、夫子ご自身の思惑とは裏腹に、頭の先からつま先まで「国内仕様の人」なのである。
失礼だけれど、骨の髄まで国内仕様でありながら、世界標準を満たしていると思い上がっている人間は、自分が世界標準とまるで無関係な「ドメスティックプレイヤー」であることを知っている人間より、さらに世界標準から遠いのではないかという危惧はお伝えしておかなければならない。(…)
私は人間たちが「外向き」になったことで人類が幸福になったのかどうか、まだ判定するには早すぎるのではないかと思っている。
「家にいてもたのしく飯が食える人間」は「世界標準仕様」になる必要がない。
(2009年1月5日 内田樹氏ブログ『「内向き」で何か問題でも?』より抜粋)

今後も自分の「愚かさ」をブログに晒しつつ、「愚かさの構造」についての吟味と自省を繰り返しながら、ドメスティックプレイヤーとして「家にいてもたのしく飯が食え、たのしくスポーツができる方法」について模索していきたい。
ご笑覧の程、よろしくお願いいたします。