日本選手権その後

moriyasu11232009-07-08

ラフバラ大にて研修中の陸連ハードル部長氏のもとに、400mHのB標準記録を突破しながらも世界選手権出場を逃した選手達(吉形政衡,小池崇之,増岡広昭の3選手)が遠征している。
彼らは、イギリスを拠点にヨーロッパを転戦するようである。
1日4カ国の旅(byハードル部長)」を読んで、ふと氏の現役時代のことが想い起こされた。

93年は、春先に大腿部の肉離れを起こし、日本選手権が初レースとなる(5位)。このレースで、斎藤、苅部両氏が、日本人初の48秒台をマークする。結果的に、世界陸上の選考からは漏れるが、秋には自己ベスト記録(49.08秒)をマークする。
94年は、シーズンベスト記録(49.29秒)も前年を下回るなど、『スランプの年』という位置づけとなる。具体的には、『走り方のポイントがよく分からずにバラバラ(…)インターバルでも力を出そうと思っても空回りする』感覚だったという。
この時期、国内3番手から脱出したいという思いが強まり(91〜94年の日本ランキングは3位)、トレーニング科学の知見や単身での海外転戦などを取り入れつつ、自身のトレーニングを体系化する試みも開始するなど、パフォーマンス向上に向けて強く動機づけられるようになる。また、レースパターンは、いわゆる「前半型」であったが、終盤での逆転負けが続いていたことから、レース前半の速度を抑えて後半に備えるべきであるという声も少なからず聞こえていたようである。しかし、「前半から優位に立たないと後半固くなってしまう」「世界のハイペースのレース展開に乗れないと好記録は出せない」「前半型の方がエネルギー消費の効率がよい」といった信念によって「前半型」にこだわり続ける。
(拙稿「陸上競技男子400mハードル走における最適レースパターンの創発:一流ハードラーの実践知に関する量的および質的アプローチ」トレーニング科学 第20巻3号より抜粋)

この「スランプ」の時期を経て、世界陸上ファイナリストへの道が拓けていったのである。
3選手にとって、今回の選考漏れが「成功か?失敗か?」と問われれば、恐らく「失敗」と答えるに違いない。
無論、選手としては、できるだけ「失敗」は避けたいと思うのが常であろう。
しかし、「失敗」を免れた代償に「(失敗は)成功のもと」をつかむ機会を逸したとすれば、これもまた算盤には合わない。

彼らは「日本選手権はダメだった」→「反省」→「練習」ではなく,「ダメだった」→「反省」→「移動」→「発想の転換」→「発見,発展」を求めて試合に参加します(する予定です).
日本人は,環境がそうさせているのか思想がそうさせているのか,それとも何かがそうさせているのか.多くの人が前者の考えになってしまいがちです.
そればかりだと,陸上ってつまらないと私は思います.知らず知らずのうちに,だんだん練習するために試合に出場しているようになってしまいます.
もっと違った頑張り方も必ずあると思います.
ヨーロッパに来て,答えは見つからないかもしれませんが,ヒントは得られると思います.
(2009年7月6日 「1日4カ国の旅(山崎一彦のたわごと)」より抜粋)

「♪答えはない 答えはない 見方が変わればいろいろ いろいろ♪(byシャキーン)」。
遠征中の3選手が、「成功のもと」を掴んで帰国することに期待したい。
日本選手権で辛勝した成迫健児選手は、約1ヶ月後に迫った世界選手権での決勝進出に向けて万全の調整を期していることだろう(7月10日にイタリア・ローマのGolden Galaに出場予定)。
ユニバシアードに遠征している吉田和晃選手は、持ち味の前半型レースを展開し、世界選手権に向けて弾みをつけて帰国することだろう。
日本選手権の後、それぞれの選手が、それぞれの道を歩み始めている。
その先にあるものは何か。

哲学者とは何か (ちくま文庫)

哲学者とは何か (ちくま文庫)

「人はいかにして自分自身になるか」
この問いが求めている内容は「本来の自分を取り戻す」とか「人生において本当にやりたい仕事をみつける」とか、巷でささやかれているような浅はかなことではない。それが突きつけているのは「私はいかに生きるべきか」という問いよりさらに手前にある 「私が生きるとはいかなることか」という問いである。
カントは「神は存在するか?」「魂は不滅であるか?」「われわれは自由であるか?」というような「われわれに課せられているが答えられない問い」を最高の問いとみなした。(科学的な問いのように)容易に答えの方向がわかるような問いはワンランク下の問いであり、問う衝動すら起きない問いは深刻な問いではない。
われわれに最も重くのしかかる問いとは、問い続けることはやめられず、しかも答えが見通せない問いである。ではこうした問いにわれわれはいかに対処すべきか。各人が実際に生きて納得する回答をつかむほかないのである。各人が(たぶん)たった一度の人生を生きてみて、そこから学びとるほかはない。
(by中島義道氏)

「私」とはいかなるものか?
「生きる」とはいかなることか?
その「答え」を探し求めて、走り続けるのだろうか。
400mハードル万歳!