締め切り迫る…

moriyasu11232008-05-08

明後日(もうほとんど明日)締め切りの原稿を抱えている。
91年に東京で開催された世界陸上から16年、昨年再び日本で開催された大阪大会。その間、技術的に変化したことがあるのかないのか…科学的分析によって明らかにせよというミッションである(私は400mH担当)。
う〜ん、面白そうだけど難しいなぁ…なんて言っている場合ではない(だって締め切り間近)。ブログなんぞを更新している場合ではもちろんない。
日本の400mHは、78年に長尾隆史氏が49秒台に突入して以来、93年の斉藤嘉彦氏と苅部俊二氏による48秒台突入、95年世界陸上イエテボリ大会での山崎一彦氏の決勝進出(7位)、そして為末大選手の01年世界陸上エドモントン大会(47.89秒の日本記録)および05年世界陸上ヘルシンキ大会銅メダルなどをエポックメーキングとしながらパフォーマンスを向上させてきた。
第1回の世界陸上が開催された87年から06年までの20年間にわたる世界10傑平均を概観すると、88年の47.86±0.53秒を最高値として、現在まで47秒台後半から48秒1〜3台を推移している。一方、日本10傑平均は、87年が50.61±0.69秒と世界から約3秒もの差を付けられていたものの、93年には50秒を切り(49.91±0.88秒)、05年には49.20±0.73秒(世界平均との差は1.39秒)まで短縮するなど、着実に世界との差を縮めているとみることができる。
で、両大会の比較であるが、パフォーマンスの中身もさることながら、それ以外の部分もなかなかに興味深い。
まずレース日程。
東京は8月25日に予選、同26日に準決勝、同27日に決勝と、3日続きであったのに対して、大阪は8月25日に予選、同26日に準決勝、1日おいて同28日に決勝という流れであった。
次に環境条件。
東京のレース時間帯は17時〜19時、気温は24〜27℃、湿度は57〜63%あったのに対して、大阪のレース時間帯は20時半〜22時半、気温は30〜31℃、湿度は62〜65%であった(きっついなぁ)。近年、準決勝と決勝の間に1日おくのは、こうした厳しい条件に配慮してのことでもあろう(それでもきっついけど)。
そしてラウンド通過条件。
東京は予選通過(予通)が5組2着+6(計16名)、準決勝通過(準通)が2組4着(計8名)であるのに対して、大阪は予通が5組4着+4(計24名)、準通が3組2着+2(計8名)であった。このような差異が、選手の試合戦略にどのような影響を及ぼすのかについては、心理的な影響も含めて検討する必要があるだろう。
両大会で大きく異なるところは、レース記録が48.50〜49.49秒に分類される選手数(割合)である。東京は5名(14%)であったのに対して、大阪は11名(32%)と倍増している。48.50秒未満の選手数に大きな差が認められないことから(東京6名、大阪7名)、いわゆる中位群の層が厚くなったとみることができる(ちょっとのミスが命取り→B. ジャクソン)。
予通記録については、大阪(49.38±0.34秒)に比べて東京(49.25±0.42秒)が若干良いが、これは通過人数の差(東京;35名→16名、大阪35名→24名)によるものと考えられる。
準通記録については、逆に東京(48.59±0.65秒)にくらべて大阪(48.41±0.16秒)が若干良いが、ここには平均値の差以上に大きな差が見て取れる。すなわち、東京は組み合わせに恵まれれば49秒台後半(49.81秒)でも決勝に残れたのに対して、大阪は組によっては48秒台中盤(成迫選手の48.44秒)でも決勝に進めないというレベルであり、決勝進出の条件に1秒以上もの差があるといえる。東京と大阪では、予選と準決勝の意味合い(位置づけ)がかなり異なると考えて良いだろう。
決勝進出者の大会時の記録の推移をみると、準決勝よりも決勝の記録が良かった選手は、東京の5名に対して大阪は3名(表彰台に上がった選手のみ)に留まった。これは、環境条件が厳しかったことに加えて、準決勝通過レベルが著しく高まっている大阪を象徴しているといえる。
これらのことを考慮すれば、レース毎のパフォーマンスのみならず、予選から決勝に至るまでの緻密な戦略が重要となる(当たり前か)。
というようなところまでは書いたのだが、肝心のレースパターン分析の比較のところで筆が止まっている。
さてどうしよう…(泣)