アサファ・パウエルの憂鬱(その1)

moriyasu11232008-03-13

9日に放映されたNHK総合テレビ番組「ミラクルボディー」の第1回「アサファ・パウエル 史上最速の男」の録画を、残り少なくなった浦霞禅をやりながら見る(うう、幸せ)。
冒頭、パウエルのことをレゲェにのせて唄うジャマイカ国民が映し出されたが、そのことだけでも彼が国民的英雄であることがよくわかる。
その後、同業者諸氏?が次々に登場してくる(皆様お元気そうで何より)。パウエルの走動作の分析をしたり、筋のボリュームや腱のスティフネス(固さ)を測るなど、あらゆる角度?から世界最速の男のすごさに迫ろうという企画である。
パウエルの大腰筋はとってもでかくて、腱がとってもかたいらしく、知人諸氏は「でけぇ」「かてぇ」と驚嘆しきり。
しかし私としては、大腰筋がさほど大きくなく、腱のかたさも一般人とあまり変わらない朝原選手が、何故10.02秒で走れるのか、そちらのほうにより興味がある(その方が日本人のトレーニングには役立ちそう)。
ちなみに、パウエルやタイソン・ゲイのハイスピード映像は、多くの示唆を含んでいた(かなり貴重)。
そんなわけで、前半から中盤にかけてはポケーっと、というより「なんでアップシューズやねん」とか「本気で走ってないやん」とか「それってこじつけやないの」とか、なぜか関西弁で突っ込みを入れつつ拝(視)聴していた。
しかし番組後半、パウエルが世界記録ホルダーとして臨んでゲイに敗れた大阪世界陸上前後の心情を吐露する場面には結構引き込まれた。
きっと、彼は「いい奴」なんだろう、と思った(ゲイが悪い人という意味ではない)。
と同時に、同じジャマイカ出身で、ブロンズメダルコレクターという異名をとったマリーン・オッティの姿が頭に浮かんだ。
ジャマイカって、そういうお国柄なのかも…(400mHのマクファーレンもアテネ五輪で2位だったし←これは大健闘だったけど)
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「天下無敵」という言葉は、単に「あらゆる敵と戦って全てに勝利を収める」というだけの意味ではないらしい。
私は、この言葉の意味を38年以上にわたって半解していた(正確に言うと27、28年くらいか)。
どうやらこの言葉には、「全ての敵を殲滅した」という戦利的努力の成果を誇る解釈のほかに、実は「どのようにして敵を作り出さないか」という予防的配慮としての解釈可能性も秘められているようである。
さらに言えば、単に「敵を作ってはならない」という道徳的修辞ではなく、「敵を敵として機能させない」という具体的技法の存在をも含意しているというから驚きである(まさに目から鱗)。
そもそも「敵」とは誰(何)を指すのか。
あえて定義づけをすれば、それは私たちの身体的パフォーマンスの最大化(最適化)を損なうもの全てのことであると言えるだろう。そしてそれは、いわゆる「対戦相手」以外にも無数に数え上げることができる(腹の具合が悪いとか、夫婦の不仲とか、ラーメンで舌を火傷したとか、株で大負けしたとか…私のことではない)。
にもかかわらず、私たちは、もっぱら限定的な時間・空間、条件の下で身体能力を競い合う「対戦相手」のみを「敵」と名付けている。
しかし、例えば武術が「是が非でも生き延びるための技法」であるなら、「敵」という概念をできるだけ広く網羅的にとらえ、それを効果的に統御する技術を習得しようとするのは当然のことである(その方が生き延びる可能性が高い)。
したがって、「天下無敵人」とは、どのような状況におかれても、常にパフォーマンスを維持するように心身をコントロールできる人間、すなわち自身を取り巻く数多の「敵」を勘定に入れて生きられる人間ということになる。これを究極まで拡大していくと、つまりは「敵」をつくらない人間ということになる(らしい)。

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習いのたけを出さんと一筋におもふも病也。かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとどまりたるを病とする也。
(by柳生宗矩氏)

「病」とは、「何事も心の一すぢにとどまりたる」こと、すなわち「固着すること」である、と宗矩は言う。
つづく…(え?これは日記と呼べるのか?)